(横浜)福井旅館 

福井屋旅館(和田彦の改称)。移民会社の取扱人が地方から赤毛布を抱えた移民応募者の一隊を引率して横浜に着くと、彼らは和田彦、上州屋、大勢屋といった移民宿に割り当てられ、消毒、検眼を受け、出航を待った。閑な小旅館では、検眼不合格となった者が全快するのを長引かせ、長逗留させるため、眼病に良くない食物、例えば塩鮭などを食わせたといわれている。
ブラジル行きの船が出航した神戸にも、岩国屋旅館などの移民宿があり、1928年(昭和3)に移民収容所が開設されるまで利用された。

画像『(横浜)福井旅館 』