梅谷光貞書簡

梅谷光貞は、海外移民組合連合会専務理事時代に台湾総督府時代の上司であった下村宏(当時朝日新聞社専務取締役)にこまめに手紙を書いており、そのうちの数通が憲政資料室所蔵の「下村宏関係文書」中に残っている。梅谷は1927年(昭和2)12月から1928年(昭和3)7月までと、1929年(昭和4)3月から1930年(昭和5年)3月までの2回ブラジルに渡航・滞在しているが、ここでは第1回渡航・滞在中の1928年(昭和3)6月から、同専務理事を退任する前の1930年(昭和5)12月までの書簡5通を掲載した。第1回の渡航の際のブラジル移植民事業に対する梅谷の旺盛なやる気と事業の将来への期待が、その後、周囲の妨害やその他の事情により潰えていくのが読み取れる。そして、実際に梅谷は梅谷のいう「策者」により専務理事の職を追われることになった。

昭和4年11月24日付けの書簡で梅谷は海外移住組合による移植民事業に疑問を呈しているが、専務理事退任後には海外移住組合解散論をとなえた(田中誠之助著『移殖民政策の確立と棉花移住地提唱』新生会殖民部 1933 p. 16 憲政資料室所蔵「斎藤実関係文書」所収)。

画像『梅谷光貞書簡』