日本語読本

日本人教育普及会では、1935年(昭和10)に伯剌西爾時報の記者であった古野菊生に日本語教科書の編集を依頼した。同会では、1936年(昭和11)から1937年(昭和12)にかけてポルトガル語の翻訳を添えて州当局の認可を受けて、読本と教授参考書を編集・刊行した。ここでは、1948年にパルミッタール青年会で増刷された版を利用し、そのなかから日本の修身科の教科書に掲載された木口小平の「らっぱ手」の話をブラジル版に翻案したものを抜粋した。

画像『日本語読本』