さかい 利彦 としひこ

生没年
明治3年11月25日 〜 昭和8年1月23日
1871年1月15日 〜 1933年1月23日)
出身地
福岡県
職業・身分
社会運動家 文学者
別称
枯川(号)、貝塚渋六(かいづかしぶろく)(別名)、由分子(筆名)

解説

社会主義者。明治32(1899)年に萬朝報へ入社、家庭改良や言文一致体の普及に努める。34(1901)年に内村鑑三幸徳秋水らと社会正義を求めて「理想団」を結成。36(1903)年に平民社を創立して『平民新聞』を刊行、39(1906)年には日本社会党を結成する。41(1908)年の赤旗事件で入獄し2年で出獄。売文社を設立して大正3(1914)年に『へちまの花』を創刊、翌年には『新社会』と改題、社会主義思想を紹介し、普選運動や労働運動に参加。11(1922)年の日本共産党の結成では初代委員長となるも、翌年の第一次共産党事件を機に離党。昭和2(1927)年に山川均らと『労農』創刊、翌年には無産大衆党を結成、晩年まで無産政党の結集に努めた。

関連資料

著作

翻訳

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さかい 利彦 としひこ

堺利彦の肖像
  • 堺利彦の肖像1枚目
  • 堺利彦の肖像2枚目
  • 堺利彦の肖像3枚目
出典: