幸徳 こうとく 秋水 しゅうすい

生没年
明治4年9月23日 〜 明治44年1月24日
1871年11月5日 〜 1911年1月24日)
出身地
高知県
職業・身分
ジャーナリスト 社会運動家
別称
伝次郎(本名)

解説

社会主義者。土佐の自由民権運動の中で育つ。明治21(1888)年に上京して中江兆民の学僕となり、兆民より「秋水」の号を授かる。『自由新聞』等の記者を経て31(1898)年万朝報社に入社、同年に社会主義研究会へ入会。34(1901)年に『廿世紀之怪物帝国主義』を刊行、更に安部磯雄らと社会民主党を結成。36(1903)年に『社会主義神髄』発表後、堺利彦らと『平民新聞』を発刊。同誌で「与露国社会党書」や『共産党宣言』(翻訳)を発表し、38(1905)年に投獄される。出獄後に渡米、39(1906)年に社会革命党を結成。帰国後演説会や新聞で直接行動論を展開。42(1909)年に管野スガらと『自由思想』を刊行するも発禁。いわゆる大逆事件で検挙され、44(1911)年に処刑された。

関連資料

著作

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幸徳 こうとく 秋水 しゅうすい

幸徳秋水の肖像
  • 幸徳秋水の肖像1枚目
  • 幸徳秋水の肖像2枚目
  • 幸徳秋水の肖像3枚目
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