石川 いしかわ 啄木 たくぼく

生没年
明治19年2月20日 〜 明治45年4月13日
1886年2月20日 〜 1912年4月13日)
出身地
岩手県
職業・身分
文学者
別称
一(はじめ)、翠江、麦羊、白蘋(号)

解説

歌人、詩人。明治35(1902)年与謝野鉄幹の知遇を得て、『明星』誌上で活躍する。38(1905)年第一詩集『あこがれ』を刊行し、注目される。同時期に盛岡に帰郷し結婚するも、生活難のため母校の代用教員となる。41(1908)年に上京、創作に没頭し小説を書いたが認められず、困窮の生活を送る。翌年に東京朝日新聞に就職。43(1910)年に『一握の砂』を刊行、歌人としての地位を確立する。また同年のいわゆる大逆事件に衝撃を受けて社会主義に傾倒し『悲しき玩具』(1912)等を残した。

関連資料

著作

直筆資料

音声資料

石川啄木の作品、演説を聴く

SNSでシェア

石川 いしかわ 啄木 たくぼく

石川啄木の肖像
  • 石川啄木の肖像1枚目
  • 石川啄木の肖像2枚目
  • 石川啄木の肖像3枚目
  • 石川啄木の肖像4枚目
出典: