木下尚江 きのした なおえ(1869〜1937)

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職業・身分 社会運動家ジャーナリスト
出身地(現在) 長野県
生没年月日 明治2年9月8日〜昭和12年11月5日
1869年10月12日〜1937年11月5日)

解説

明治21年(1888)東京専門学校邦語法律科を卒業し、郷里で新聞記者、後弁護士となる。また、キリスト教徒となり、禁酒・廃娼運動に尽力。30年中村太八郎らと普通選挙運動をおこし入獄。32年毎日新聞社に入社し、廃娼論、足尾鉱毒問題、政官界の汚職に関する記事の執筆に力をそそいだ。34年片山潜、幸徳秋水らと社会民主党創立者の一人となる。37年反戦小説『火の柱』、続いて『良人の自白』を連載。38年石川三四郎らと雑誌『新紀元』を発行。39年の母の死を契機に社会主義運動から退き、著述活動に専念。43年静坐法の岡田虎二郎の門に入り、以後求道生活を送った。

参考ウェブサイト

写真1

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出典:木下尚江
請求記号:910.28-Ki243Yk
白黒、8.4×12.1 cm