徳川頼貞 とくがわ よりさだ(1892〜1954)

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職業・身分 政治家公家・旧大名その他
出身地(現在) 東京都
生没年月日 明治25年8月16日〜昭和29年4月17日
1892年8月16日〜1954年4月17日)
号・別称等 薈庭(わいてい)

解説

紀州徳川家当主侯爵徳川頼倫の長男。学習院高等科を経て、英国ケンブリッジ大学に学ぶ。昭和14年(1939)貴族院議員。昭和22年第1回参議院議員選挙に当選。外務委員長、図書館運営委員会委員、国連国会議員連盟会長、ユネスコ国会議員連盟会長、自由党政調会外交部長ほか歴任。また、音楽愛好家として文献、古楽器の収集や南葵楽堂を建設しパイプ・オルガンを備えつける等、音楽奨励に尽力した。晩年にはパリ高等音楽院名誉評議員を務めた。

参考ウェブサイト

写真1

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出典:頼貞随想
請求記号:GK138-G117
白黒、9.1×12.8 cm