中橋徳五郎 なかはし とくごろう(1861〜1934)

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職業・身分 実業家政治家官僚
出身地(現在) 石川県
生没年月日 文久元年9月10日〜昭和9年3月25日
1861年10月13日〜1934年3月25日)

解説

金沢藩士・齋藤宗一の五男。中橋家の養嗣子となる。明治19年(1886)帝国大学法学部選科を卒業。判事試補、農商務省を経て、31年逓信省鉄道局長を最後に官界を退き、大阪商船社長に就任。後に宇治川電気社長、日本窒素肥料会長なども兼任。関西財界の重鎮となる。大正3年(1914)政界に転じて、立憲政友会に入り、5年衆議院議員に当選。以後当選6回。内閣、高橋内閣の文相。高橋内閣では内閣改造に反対し、高橋と対立。13年政友会を脱党し、政友本党を結成。その後、政友会に復帰。田中義一内閣の商工相、犬養内閣の内相を歴任。

参考ウェブサイト

写真1

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出典:中橋徳五郎 上巻
請求記号:289.1-N334Nn
白黒、10.2×14.4 cm