中村弥六 なかむら やろく(1855〜1929)

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職業・身分 学者(自然科学)政治家
出身地(現在) 長野県
生没年月日 安政元年12月8日〜昭和4年7月7日
1855年1月25日〜1929年7月7日)
号・別称等 中村背水

解説

林学者。父は高遠藩儒官。明治3年(1870)大学南校に入学。ドイツ語教師、内務省勤務を経て、12年ドイツに留学し、林学を修める。帰国後、東京山林学校(後の東京大学林学科)教授、農商務省山林局技師などを務める。23年衆議院議員に当選(8回当選)し、森林関係法案の審査等に携わり、森林法の原形を作った。31年第1次大隈内閣の司法次官。32年林学博士。東洋民族の統一を唱え、32年のフィリピン独立運動支援を目的とした武器密輸事件(未遂)「布引丸事件」にも関与した。大正10年(1921)帝国林政研究会会長、昭和2年(1927)大日本山林会顧問。

参考ウェブサイト

写真1

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出典:林業回顧録
請求記号:386-263
白黒、8.5×12.0 cm