石田博英 いしだ ひろひで(1914〜1993)

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職業・身分 政治家ジャーナリスト
出身地(現在) 秋田県
生没年月日 大正3年12月12日〜平成5年10月14日
1914年12月12日〜1993年10月14日)

解説

昭和14年(1939)早稲田大学政治経済学部卒業後、中外商業新報(現日本経済新聞)に入社。上海支局長、政治部次長を歴任。22年の総選挙で当選(当選14回)。自由党内反主流派として、「吉田側近政治」を批判した。31年の自民党総裁選挙では、石橋湛山総裁実現の参謀として活躍し、石橋内閣の官房長官として入閣。以後、第1次岸・第1~3次池田・第1次佐藤・福田内閣で労相、及び三木内閣運輸相を務め、35年の三井三池大争議の解決、仲裁裁定完全実施慣行の定着、ILO87号条約の批准促進を行い、いわゆる「石田労政」時代をつくった。

参考ウェブサイト

写真1

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出典:22人の政治家
請求記号:312.8-M942n
白黒、8.1×11.4 cm