樺山 かばやま 愛輔 あいすけ

生没年
慶応元年5月10日 〜 昭和28年10月21日
1865年6月3日 〜 1953年10月21日)
出身地
鹿児島県
職業・身分
実業家

解説

父は鹿児島藩士橋口与三郎。海軍大将樺山資紀の養子となる。同仁舎、神田共立学校を経て明治13(1880)年渡米。22年アマースト大学卒業後に渡独し、ボン大学入学。24年帰国。39年以降、函館船梁、北海道炭鉱汽船、日本製鋼所、千代田火災保険などの重役を歴任。また大正3(1914)年国際通信社創立・社長。11年伯爵を継ぎ、14年貴族院議員。昭和4(1929)年ロンドン海軍軍縮会議日本全権委任随員。21年枢密顧問官。日米協会会長や国際文化会館理事長なども務めた。

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樺山愛輔の肖像
  • 樺山愛輔の肖像1枚目
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