林毅陸 はやし きろく(1872〜1950)

現在のカテゴリー:生年月日順:1870年代[前の人物次の人物]

現在のカテゴリー:人名50音順:は[前の人物次の人物]

現在のカテゴリー:職業・身分:政治家[前の人物次の人物]

現在のカテゴリー:職業・身分:学者(社会科学)[前の人物次の人物]

現在のカテゴリー:出身地:長崎県[前の人物次の人物]

職業・身分 学者(社会科学)政治家
出身地(現在) 長崎県
生没年月日 明治5年5月1日〜昭和25年12月17日
1872年6月6日〜1950年12月17日)
号・別称等 弘堂

解説

外交史家。明治22年(1889)漢学者林滝三郎の養子となる(旧姓は中村)。28年慶應義塾大学部卒。34年から4年間ヨーロッパに留学し、ヨーロッパ外交史、比較憲法を研究する。帰国後、慶應義塾大学教授に就任。45年には衆議院議員に当選(当選4回、香川県)、第一次護憲運動に加わる。大正8年(1919)パリ講和会議に参加、また10年ワシントン会議全権随員を務める。12年~昭和8年(1833)には慶應義塾塾長兼大学総長を務める。21年(1945)枢密顧問官。日本の外交史学の草分け。法学博士。

参考ウェブサイト

写真1

新しいウィンドウで写真1の拡大画像を開きます

出典:生立の記 林毅陸手記
請求記号:GK49-25
白黒、7.5×10.4 cm