西村茂樹 にしむら しげき(1828〜1902)

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職業・身分 教育家学者(人文科学)
出身地(現在) 東京都
生没年月日 文政11年3月13日〜明治35年8月18日
1828年4月26日〜1902年8月18日)
号・別称等 泊翁(はくおう)

解説

思想家。父は佐倉藩士。嘉永3年(1850)家督を継ぐ。少年期より儒学・砲術を学び、後に蘭学・英学も学ぶ。明治6年(1873)文部省に出仕、編書課長として教科書や辞書の編纂を計画。明六社創設にも中心的役割を果たす。政府の欧化傾向に対し国民道徳の回復を訴え、9年東京修身学社を設立(のちに日本講道会、日本弘道会と改称)。10年文部大書記官、19年宮中顧問官。『日本道徳論』などを発表、日本弘道会長として儒教中心・皇室尊重の国民道徳の普及に努めた。23年貴族院議員。

参考ウェブサイト

写真1

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出典:西村茂樹
請求記号:289.1-N798Yn
白黒、7.2×10.7 cm