有島 ありしま 武郎 たけお

生没年
明治11年3月4日 〜 大正12年6月9日
1878年3月4日 〜 1923年6月9日)
出身地
東京都
職業・身分
文学者
別称
行正(ゆきまさ)、泉谷(せんこく)、由井ヶ浜兵六、勁隼生

解説

小説家。学習院から札幌農学校に進み、キリスト教に入信。明治36(1903)年からアメリカ留学中、信仰に動揺をきたし、社会主義思想にふれ、クロポトキンの無政府主義にも傾倒した。3年間の留学後、欧州をまわって帰国。43年「白樺」に参加、執筆活動を始める。作品に『生れ出づる悩み』(1918)、『或る女』(1919)、『惜みなく愛は奪ふ』(1920)など。第一次大戦後の社会状況下で有産階級であることに苦悩を深め、『宣言一つ』(1922)を発表、農場解放などを行ったが、翌年、波多野秋子と心中した。

関連資料

直筆原稿

著作

全集

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有島 ありしま 武郎 たけお

有島武郎の肖像
  • 有島武郎の肖像1枚目
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