山田 やまだ 顕義 あきよし

生没年
天保15年10月9日 〜 明治25年11月11日
1844年11月18日 〜 1892年11月11日)
出身地
山口県
職業・身分
陸軍軍人 政治家

解説

父は萩藩士。松下村塾に学ぶ。尊王攘夷運動に参加。戊辰戦争で活躍。明治2(1869)年兵部大丞に就任。4年陸軍少将に昇進、岩倉遣外使節団に随行。佐賀の乱、西南戦争に従軍し、反乱士族を鎮圧。11年中将。参議をつとめる一方、工部卿、内務卿、司法卿を歴任。第1次伊藤内閣の司法相に就任し、以後黒田内閣、第1次山県内閣、第1次松方内閣でも留任した。法典整備に尽力し、皇典講究所(現国学院大学)、日本法律学校(現日本大学)の設立にも関わる。

関連資料

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山田 やまだ 顕義 あきよし

山田顕義の肖像
  • 山田顕義の肖像1枚目
  • 山田顕義の肖像2枚目
  • 山田顕義の肖像3枚目
  • 山田顕義の肖像4枚目
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