ほし とおる

生没年
嘉永3年4月 〜 明治34年6月21日
1850 〜 1901年6月21日)
出身地
東京都
職業・身分
政治家 法律家

解説

左官屋の家に生まれ、医師の養子となり星姓を名乗る。貧窮の中で英学を学び、各地で英語教師をつとめる一方、陸奥宗光の知遇を得、維新後、官界へ入る。横浜税関長を経て英国留学。ミドルテンプル法学院に学び、明治10(1877)年日本人初の英国法廷弁護士資格を取得。帰国後司法省附属代言人。15年自由党入党。20年保安条例で横浜へ退去、翌年入獄。25年衆議院議員当選、同議長に就任。伊藤博文と結んで立憲政友会に勢力を張る。第4次伊藤内閣の逓相に就任するが、東京市会汚職事件により辞任。34年東京市会議長在職中に暗殺される。

関連資料

リサーチ・ナビ

電子展示会「史料にみる日本の近代」より

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ほし とおる

星亨の肖像
  • 星亨の肖像1枚目
  • 星亨の肖像2枚目
  • 星亨の肖像3枚目
出典: