千葉生まれ。法律家。藩の儒者並木栗水の門に学ぶ。維新前には、尊王攘夷論者として梅田雲浜らと国事に奔走し、禁錮されたこともある。明治4年(1871)敦賀県参事、のち判事に転ずる。フランス語、ドイツ語を能くし、ボアソナードとともに日本民法の編纂に従事。17年(1884)大審院判事、31年(1898)民事第2部長となる。多くの名判決を生み、39年(1906)の退職にあたってはそれを惜しんで東京弁護士会より留任の運動があったといわれる。刀剣の鑑定家としても知られる。