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珍禽奇獣の舶来~江戸時代の通信販売~

江戸時代にも、通信販売がありました。
当時国際貿易の窓口だった長崎には、異国からの珍しい品々が次々に舶来しました。なかでも、今まで見たことも聞いたことのないような珍獣や怪鳥は超目玉商品です。それを買っていたお客様は、というと…当時の貿易をほぼ独占していた幕府や大名が、やはりいちばんのお得意様でした。

将軍や幕閣にとって、見たことも聞いたこともない珍獣や奇鳥は気になる商品です。ですが見たことも聞いたこともないのでは、それが欲しいかどうかも判断できません。そこで代々長崎代官を務めていた高木家では、珍しい鳥獣が舶来するたびにその絵図を作成し、それを江戸の幕府に送って御用伺いをしていました。幕府はその図を吟味して欲しいものだけを選び出し、取り寄せていたというわけです。現在のカタログ通販にそっくりですね。ちなみに、珍しい鳥獣は無料で幕府に献上されることもありましたし、わざわざ外国に発注することもありました。

ゾウ・ラクダ・ヒクイドリの図

さて、この絵図を単なる通販カタログだと思って侮ってはいけません。というのも、江戸時代における鳥獣舶来の記録としては、このカタログに由来する資料がもっとも貴重な情報源になっているからです。今回展示する資料では『外国産鳥之図』と『外国珍禽異鳥図』がそれに当たります。生き物の特徴をよくとらえた描写は真に迫るものですし、さまざまな外来生物の日本初見参(けんざん)の時期を記録しているのも、このカタログです。

では、こうして日本にやって来た鳥獣たちは、その後どんな運命を辿ったのでしょうか?

たいていの場合、ゾウやラクダヒクイドリのような大型の鳥獣は見世物注釈になり、小型の鳥類はペットとして飼われたようです。ここでは、享保年間に徳川吉宗が注文したゾウの例を見てみましょう。

日本にきた鳥獣たちの運命
享保13年 (1728) 6月 オスメス1対の子ゾウが長崎港に到着。
同年9月 メス死亡。甘い物の食べすぎが原因。
享保14年 (1729) 3月 オスが長崎を出発。江戸に向けて徒歩の旅が始まる。
同年4月 京都に到着。
従四位に叙せられ、中御門天皇に拝謁。
同年5月 旅の疲れからか箱根で病気になるが、まもなく回復。
江戸に到着。浜御殿で飼われる。
吉宗に拝謁。
享保15年 (1730) 6月 早くも幕府から「御用済み」を申し渡されるが引き取り手がなく、
ひきつづき浜御殿で飼われる。
(この間、相当な飼育費がかかったらしい)
寛保元年 (1741) 4月 中野村の源助に下げ渡され、見世物になる。
寛保2年 (1742) 7月 暴れまわって騒ぎを起こすが、大事には至らず。
同年12月 オス死亡。21歳。
(源助の管理が悪かったらしい)

このオスのゾウこそ、『[享保十四年渡来]象之図』に描かれているゾウにほかなりません。ゾウの来日はこのときが通算5回目でしたが、たくさんの庶民が実物を目にできたのはこれが初めてでした。長崎から江戸への道中では各地で話題を巻き起こし、何冊もの関連書籍が出版されるほどの人気を博しましたが…その末路は散散だったようです。

注釈見世物【みせもの】…いろいろな物珍しいもの、曲芸、奇術などをみせる興行 (入場料を取る) で、江戸時代のもっとも一般的な大衆娯楽。詐欺まがいの怪しい出し物もあったらしい。

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