Home > 第一章 江戸博物誌の歩み > Ⅰ 発展のきっかけ―17世紀
『本草綱目』の到来から『大和本草』刊行まで―独自の方向への第一歩
- 「本草綱目」の渡来とその普及
- 「本草綱目」和刻本
- 独自方向への第一歩
明の李時珍が諸本草書を集成・増補して『本草綱目』を出版したのは1596年のことです。これは日本の慶長元年にあたりますが、早くも慶長9年 (1604) 以前に日本に到来していました。『本草綱目』は、動植物の形態などの博物誌的記述が従前の本草書より優れています。この点が日本人に大きな影響を与え、中国からたびたび輸入されるとともに、和刻本も続出し、幕末に至るまで基本文献として尊重されました。
『本草綱目』李時珍撰 初版 金陵 万暦18(1590)序 27冊のうち冊1 <205-5>
初版は出版地に因んで「金陵本」 (金陵は今の南京) と呼ばれています。図示した個所に著者以下関係者の姓名があり、その最後に「金陵 後学胡承龍梓行」と出版地が示されています。初版は稀本で、完本は世界に7点しか残っていませんが、日本には国立国会図書館、東洋文庫、内閣文庫、東北大学狩野文庫と4点も存在します。
『本草綱目』
李時珍撰 初版 金陵 万暦18 (1590) 序 27冊のうち冊2 <205-5>
初版本の図 (①) は李時珍の子息が作成したといわれますが、どうみても稚拙でこの名著にはそぐわず、中国の後の版では描き直され、やがて和刻本もその改訂された図 (②:『本草綱目』寛文12 (1672) 刊<157-42>) を用いるにいたります。
『本草綱目』は斬新な内容だったので、本家の中国でも版を重ねましたが、日本でも何回も版刻・刊行されました。和刻本は3系統14種類があり、ここにはそのうちの6点を展示します。「角書 」というのは、題名の上に記されている冠称のことです。
- 寛永14年 (1637) 本 角書〈江西〉 36冊のうち題箋「十五」 <特1-3024>
最初の和刻本で、同じ版木を用いた多数の版があります。ここでは2.と3.が同じ版木です。
- 寛永14年本の後刷 角書〈新刻〉 36冊のうち題箋「二十七」 <特1-862>
本文は1.と同じ版木を用いていますが、図は中国の後版に使われた改訂図を載せています。掲出資料は承応2 (1653) 刊本などの取り合せ本。
- 正徳4年 (1714) 〈新校正〉本 稲生若水校 41冊のうち題箋「八」 <特1-970>
本文は1.と同じ版木を使っており、当時もっとも著名だった本草家稲生若水が校正しています。和刻本のなかで一番優れているといわれています。
- 寛文9年 (1669) 〈篆字本〉 角書〈新刊〉 松下見林校 38冊のうち題箋「三十九之四十」 <特1-895>
万治2年 (1659) に板刻された系統。題箋題が篆字なので「篆字本」と呼ばれています。
- 寛文12年 (1672) 版刻本の後刷 貝原本 角書〈校正〉 28冊のうち題箋「八」 <特1-969>
この系統は附録に「貝原益軒傍訓」と記してあるので、「貝原本」と呼ばれています。本書は角書に「校正」とある後刷ですが、刷られた年は不明です。
- 寛文12年 (1672) 版刻本の後刷 貝原本 角書〈和名入〉 39冊のうち題箋「五十二」<157-42>
和刻本5.と同じ版木を用いた後刷で、やはり刷られた年は不明です。
江戸時代に入ると出版が盛んになり、17世紀後半には百科図鑑が現われるほか、園芸や貝集めなど、趣味の分野の刊本も世に出るようになります。また、『大和本草』など、『本草綱目』に盲従しない著作も登場し始めました。
『草木写生春秋之巻』 狩野重賢画 明暦3 (1657) ~元禄12 (1699) 写本 4軸のうち春下 <寄別10-39>
右方の「アラセイトウ」は地中海沿岸原産で江戸時代初期に渡来し、万治3年 (1660) 写生の本図はその名と図の初出になります。左方の「春菊」はミヤマヨメナらしく、現在のシュンギクではありません。画家狩野重賢の経歴は不明ですが、美濃の加納と関係する人物のようです。本資料には明暦3年~元禄12年 (1657~99) にわたって計284品が描かれており、大半は園芸植物です。
1.『花壇綱目』 水野元勝著 寛文4 (1664) 成 白井光太郎写 大正13 (1924) 1冊 <特1-45>
2.『花壇綱目』 水野元勝著 延宝9 (1681) 刊 1冊 <特1-1782>
最初の総合園芸書ですが、図はありません。稿本 (①) のうち、「菖蒲草、あらせいとう、杜若、牡丹、会津百合、升麻」の6品が刊本 (②) に刻されています。稿本では異名・花の色・分植の時期を記しているだけなのに対し、刊本では土質と肥料の2項が加わっていますが、なお形状の記述は簡略です。刊本は192品を所収し、菊・椿・ツツジなどの品種を数多く挙げています。
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『訓蒙図彙』 中村惕斎編 寛文6 (1666) 序刊 初版 14冊のうち巻20 <117-18>
日本初の百科図鑑で、動植物の図が668点と全図数の45%を占め、おおむね写実的です。右頁は鳳仙 と水仙 、左頁は秋葵と春菊です。みな、室町時代から江戸時代初期までに渡来した草花で、シュンギクもすでに日本に入っていたことがわかります。
1.『耕織図』 楼璹原画・狩野永納摸 延宝4 (1676) 刊 2冊のうち上冊 <W488-12>
2.『耕織図』 焦秉貞画 (欽定授時通考52・53) 清刊 2冊のうち上冊 <特1-2481>
宋の楼璹(1090~1162) が、稲作 (耕) と養蚕 (織) を一連の図に描いて皇帝に献上した画集が原本です。①は、1462年の明・刊本を狩野永納が延宝4年 (1676) に摸刻した本で、原態を伝えると思われます。②は、清の康煕帝が新たに図を描かせた1696年刊本系統の一書です。ともに「水牛による耕作」図を示しましたが、図柄が異なっています。①の狩野本は稀本です。
『六々貝合和歌』潜蜑子撰 元禄3 (1690) 序刊 1冊 <W89-60>
18世紀になると貝類収集が流行しますが、それに先立って三十六歌仙になぞらえた歌仙貝の選定がはやりました。36品の貝とそれぞれの貝名を詠みこんだ和歌36首を選んだものですが、いろいろ異なる組合せがありました。本書はその古い刊本の一つで、①が和歌、②が貝図。和歌「左一番」は図の「左一 すだれ貝」に、和歌「右一番」は図の「右一 わすれ貝」に当たります。
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『貝茂塩草』 渡部主税編 寛保元 (1741) 序 写本 1冊 <特1-2535>
「前歌仙貝板本図摹写」は、前項の『六々貝合和歌』以前に出版された刊本の図を写したものです。『貝茂塩草』は古い貝類書の一つで、このように歌仙貝についての先行著作を数点まとめた有用な資料ですが、伝本が少なく、ほとんど知られていません。
『大和本草』 貝原益軒著 宝永6 (1709) 刊 10冊のうち巻1 <特1-2292>
貝原益軒は儒学者として著名ですが、動植物関係の著作もあります。その代表作『大和本草』では『本草綱目』に盲従せずに、独自の分類を立て、また和産品を重視しました。ここに示したのは総論のなかの「論本艸書」の一部です。↑で示した個所に、「本草綱目ニ品類ヲ分ツニ、可
疑フ事多シ‥‥」「魚品ニ河海ヲ不
分」などと『本草綱目』への批判がみられます。本書は、江戸時代博物誌の基本文献の一つです。