史料にみる日本の近代 -開国から戦後政治までの軌跡-

伊藤大隈板垣会見録

伊藤大隈板垣会見録

※ 付箋への記載事項は< >内に記しました。



【1コマ~5コマ】

伊藤大隈板垣会見録

<伊藤大隈板垣意見>
此会見には伯がオブザーバーとして
列席し、其の要旨を筆記したるものなり。

会見記要 明治三十一年六月二十五日午後八時半、於首相官邸
伊藤公 熟々内外の形勢を観るに、実に今日は国家に取りて重大なる時機といふへし。即ち内にしては経済社会の状況、政府財政の困難、条約改正に伴ふ実際的関係、外にしては東洋の形勢漸く迫まり、一たひ此時機に処するの道を過まるときは、実に国家将来の進運を危殆ならしむるの恐あり。蓋し帝国議会は必すしも万般の事を網羅するものにあらすと雖も、苟も憲政政治の継続せらるる間、国防の進行を図るに於て、議会なる関門を平穏に通過するの手段は尤も講明せざるへからざるは亦論を待たざる所、而して今日、経済上の政治方法として、民間外資輸入の論喧しきも中間政府を介立せしむるにあらずして、その成功を望むは難し。何となれは政府財政の機軸に拠るにあらざれは、到底其実行を見る能ざれはなり。是を以て其形式の如何を論せず、刻下の形勢に於て、之が計画の実行を緩うすること一年なるときは、

【6コマ~10コマ】

国家の損害真に容易ならざるものあらんとす。増税問題の如き、内閣に於て種々の議論もありしも、余は平素の主張に依り之を提出したるに、不幸解散の終を見るに至りたり。仍て余は新に同憂の士を糾合して、自己の主張を実行せんとするの考案をも有したるが、又内部に於ける異論故故障も起りたれは、余は到底急遽事の行はるへからざるを察して、暫く之を断念したる折柄、幸なるかな、両伯は積年の関係を舎てて、此に両者の会同を決行せられ、優に多数を議会に制せらるへきは、殆と疑を容れざる所、抑々今日の状勢に於て、動もすれは国務の阻滞を来すへき関係あるものは、何かと云はは誰か議会なりといはざるものあらん。故に今後の事、挙けて両伯に一任するに於て議会なる関門を通過するを得るへきこと亦深く顧慮するを要せざるへし。両伯幸に一諾せは、将来国政を挙くる、豈難事とせんや。余は独り両伯の為のみならず国家民人の為に其成功を祈望するものなり。余は今日まて死力を致して、聊か国家の為に尽す所ありしを自信す。然れとも党派の一兵一卒を有せざる身なれは、到底議会に多数を占め難きを思ひ、乃ち昨日辞表を畏き御辺りに捧呈したり。是れ両伯の抱負を実行しむるに便ならんが為めにして亦余の赤誠と決意とを表明するが為めのみ、但し内部に於ける憂慮説一にして足らずと雖も、余は大隈板垣とても均く日本人なれは日本人同士の争を移し、外に対して国家を過まる如き懸念、万なきにあらずやといひたり。今日我国の形勢は尤も大切なる場合なれは、若し次の議会に於ても解散を再ひせざるを得ざる如き事態に陥るときは、或は為に国家の機務を凝滞阻害するに至るなきを保し難し。今夜雨中両伯の来臨を煩したるは、余の決心を攄へ、赤誠を吐露して、両伯が断然として国家の重きを負はるるの決心を促す為なり。

大隈伯云 貴意領せり。岩倉、木戸、大久保の諸先輩を助けて日本開国の種子を播布したるは実に伊藤侯なり。而して其結果は異常の進歩発達を致し、就中帝国憲法の如き、侯の手に成りたるの偉功は、世人の識認する所、故に余は窃に憲政施行の円満を以て侯に属望する所、極めて大なりし。然るに侯が今忽然辞表を捧呈せられたるの事実は、余の殊に喫驚する所たり。去りながら侯既に此の如き果断に出てられたる以上は、宜く其善後の方途に付き考慮せざるべからず。

板垣伯云 侯の辞表は実に意外なり。民間党は既に合同したりと云ふも、余は大隈伯と宴席に唯々一回の面晤を得たるのみ。政綱已に発表せられたりと雖も是れ其大体に止まり、未た将来の国務に関し、如何に之を計画し、如何に実行せんとかといふに至ては、未た互に意見を闘はしたることなし。随て合同なるものの極めて薄弱なるを念はざるへからず。余は大隈伯が果して引受けらるるならは自由党を挙けて伯の手に委ね、老生は安して隠居たらんことが本来の願なり。

【11コマ~15コマ】

大隈伯云 余は去る二十一年入閣したるときも、偏に其調和を希へり。板垣伯の如き、亦曽て黒田内閣の時、調和的忠告を試みられたりと聞く。世人動もすれは薩長の専横を罵るも、国家に於ける薩長の功績は実は非常なりとす。然れとも人は功績を忘れ易きものなれは、些少の過失と雖も仮借せざるが常態なり。一概して藩閥政府と呼ひて、之を厭悪するも、凡そ国として何れにか実力の埋伏する所なかるへからず。但た時勢の推移甚しければ、余が入閣したれはとて、前日の如き威信を繋くを得へきや否。

板垣伯云 余が内務大臣たりし日と雖も、万事を慮勝ちにて意に任せざるもの少からざりし。薩長の勢力は政党の勢力に下らず、故に之を揺撼する所容易ならざるへきを悟りき。

伊藤侯云 薩長の党派は、最早実利なし。今日議会に於て立法上の目的を達せんとする党派とは、固より同日を語るへきにあらず。

大隈伯云 然り。事已に此に至りたる以上は、板垣伯とも熟議の上、何とか善後の計を講せざるべからず。其上聖天子の思食をも伺ひ、若し陛下の御信任を辱くするに於ては、相当の手段を取らざるを得ず。

板垣伯云 余は実に意外なり、且余は迚も其器にあらざるを知る。

(此時両伯協議の上、翌二十六日午前十時を期し、大隈伯より板垣伯を訪問すへしと約束せらる)

伊藤侯云 余は今回は勲爵まても奉還するの決心なれは、形骸存するも、実は死したるに同し。専心国家を念ふの一事あるのみなれは、其他は何ものと雖も顧慮するに足らずと信せり。余は今自己の決心を表明して、一点私心を其間に介まざるを明白にせんことを欲す。両伯は或は辞表捧呈前相談を試みたらんにはとの感を懐かれんも知るへからずと雖も、自己の去就は自己の決心に依らざるを得ず、而かも勲爵まても併せて奉還を乞へる場合なれは、陛下は必す愚衷を憐み玉ひ、御聴許の恩命を下さるなるへし。

其れより大隈伯は君主の御信任に就き、板垣伯は例を警視庁に引きて衆心の治め易からざるをいはるるや、伊藤侯は官吏の安心を買ふは、其地位の安固を感せしむれは足る。陛下御信任は、事に当り機に際して、十分叡慮を安し玉ふやう申上、且両伯等の行為、之に伴ふときは、追々御信任あらせらるへきは勿論ならん、又今日の行政、官は殆んと専門的人物を以て之に任せざるへからざる底の進歩なれは、大臣は何人が来るとも、又其更任が頻繁なるも、敢て不可なしと雖も、一般官吏之れに適応の学識才能を具ふるものならさるへからず、凡そ行政機関は、其命令の善く行はるるを以て主要とし、之加官吏たるものは疑惺危殆の感なく、安して其職に勉めしむるを要す、城明け渡の乗取り流儀は不可、又宮中の権限に関しては、過日一篇の意見書を上呈し置きたり。若し宮内大臣に於て格別の異議なけれは、順次実行を見るへきを信す。両伯等の尤も神身を労せらるへきは国防なるを以て、宮中の改革の如きは漫に手を下すへからざるを宜とすと注意し、後ち侯は更に帝国憲法に依れは、大臣は天皇に対して輔弼の責に任

【16コマ~20コマ】

すること其明文の如くなるを以て、天皇は衆議院に多数を有する人を召し玉ふこともあるへく、又少数を有する人を召し玉ふこともあるへし。極言すれは、一人の味方を有せざるものと雖も、輔弼の責に当るを妨けざれは、明かに衆議院の多数を有するものと制限したる英国の如きとは自ら其撰を異にすとの憲法論を試みられ、大隈伯亦然りと為して首肯したり。最後伊藤侯は内部に憲法中止論なきにあらざりしも、余の署鈐を要求するものは、先つ余の首を刎ねよと喝破したること、刻下英仏独露等に対する外交の成行き及我の態度は最も慎重を加へざるへからざる所以、対議会政策は今後専ら両伯等の方寸に出てしと雖も、最早選挙期日をも定めざるへからず。旁々以て速に決断して、国家民人の為に今日の難局に当られたし。余は誠心実意両伯等の成功を祈るものなりと、反覆丁寧に述へ了り、両伯亦熟慮協議の上重て貴意を得んと挨拶して辞別せらる。時に夜十一時。
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