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第4章 立憲政治の危機

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c. 政党の解消と翼賛政治

4-9 無産政党の変質

昭和11年2月20日の総選挙で大勝して狂喜する社会大衆党本部 (前列右から)浅沼稲次郎、河野密、安部磯雄、麻生久 『国際写真情報』第15巻第4号所収
昭和11年2月20日の総選挙で大勝して狂喜する社会大衆党本部 (前列右から)浅沼稲次郎、河野密、安部磯雄、麻生久 『国際写真情報』第15巻第4号所収

全国労農大衆党と社会民衆党は、いずれも反ファッショを掲げる無産政党であったが、昭和6(1931)年9月の満洲事変を契機に、党内に急進的な国家社会主義派が台頭した。その危機を回避するため、翌年7月に両党は合同し、単一の合法無産政党である社会大衆党が誕生する。しかし、党指導部には資本主義を打倒し、国内改革を断行する主体として軍部青年将校らに期待する人物も含まれており、党勢はしだいに国家社会主義へと傾いていった。

昭和11(1936)年・12年の総選挙では、「反ファッショ」への国民の期待もあり、社会大衆党は37議席へ躍進した。しかし、これに自信を得た党指導部は、かえって軍部への接近を早めた。

この流れを決定付けたのが、昭和12(1937)年7月の盧溝橋事件による日中戦争(日華事変)の開始であった。社会大衆党は戦争を積極的に支持し、同年11月の党大会では党の綱領を改正して、国体の本義に基づき日本国民の進歩発達をはかることとし、公然と挙国一致体制への参加を表明した。

宣言 社会大衆党第六年度大会

『宣言 社会大衆党第六年度大会』
  • 昭和12年11月15日
  • 林虎雄関係文書 10-108
  • 国立国会図書館
  • 「社会大衆党 諸文書綴 昭和十二年度」所収
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