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第3章 大正デモクラシー

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c. 政党政治の時代

3-18 浜口雄幸襲撃事件

浜口首相の遭難 昭和5年11月14日 『帝国主義と民本主義』所収
浜口首相の遭難 昭和5年11月14日 『帝国主義と民本主義』所収

ロンドン海軍軍縮条約の枢密院審議を乗り切った浜口内閣であったが、昭和5(1930)年11月14日、統帥権干犯に憤った右翼青年佐郷屋留雄によって浜口が狙撃された。浜口は一命を取りとめたが、重傷であったため、内閣は幣原外相を首相代理として第59議会に臨んだ。ところが、政友会は首相不在や幣原が政党員でないことを取り上げて、政府を攻撃した。

こうした最中に、ロンドン条約をめぐって、幣原が天皇に責任を転嫁するような発言をしたとして議会が紛糾した。この失言問題が決着すると、浜口首相の議会出席が政治問題化した。政友会が首相の出席を強く求め、予算審議を拒否したため(予算は成立)、事態を重大視した浜口は病身を押して議会に出席した。衆議院の大木書記官の日誌にはこの時の浜口と鳩山一郎との質疑応答の模様が記されている。しかし以後健康状態は悪化し、4月14日に浜口は首相を辞職し、第2次若槻礼次郎内閣が成立した。その4ヶ月後の8月26日浜口は62歳の生涯を閉じた。

第五九回議会議場日誌

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