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第2章 明治国家の展開

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c. 議会政治の展開

2-21 桂園時代

西園寺公望 政友会本部前にて 『西園寺公望伝』別巻2所収
西園寺公望 政友会本部前にて 『西園寺公望伝』別巻2所収

明治末期には、立憲政友会総裁西園寺公望と、山県閥の流れをくみ、官僚・貴族院・軍部を掌握していた桂太郎が交互に政権を授受する慣行がみられた。

明治38(1905)年12月30日に西園寺から桂に送られた書翰は、両者の調整の過程を物語る史料である。桂内閣は12月21日に総辞職したが、次期首相の西園寺は、同書翰の中で松岡康毅を農商務相候補に、山県有朋の養嗣子山県伊三郎を逓相候補に挙げ、桂の意向を事前に確認している。翌年1月7日に成立した第1次西園寺内閣では、政友会からの入閣は西園寺を含めて3名に過ぎなかった。

桂は当初「一視同仁」(各党からの等距離)を掲げていたが、第2次桂内閣下の第27議会では、予算案をめぐる審議が紛糾したことから、桂首相は政友会勢力との提携を強化した。明治44(1911)年1月29日、桂首相は政友会議員を招待し、その席上で立憲政友会との提携(「情意投合」)を説いた。西園寺はこの書翰の中でその決断を「此度の御決断は実に時機を得たるもの」と評している。

西園寺公望書翰 桂太郎宛

『西園寺公望書翰 桂太郎宛』
  • [明治38年]12月30日
  • 桂太郎関係文書 47−1
  • 国立国会図書館
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西園寺公望書翰 桂太郎宛

『西園寺公望書翰 桂太郎宛』
  • [明治44年]2月7日
  • 桂太郎関係文書 47-30
  • 国立国会図書館
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