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別称・通称(よみ)
ひぐらしの里 (ひぐらしのさと)
現住所
荒川区日暮里
解説
古くは新堀または入堀と表記したが、江戸時代中期には日暮里と書くようになった。寛延(1748-51)の頃からつつじが植えられ、一帯は寺院の庭が続く名所となった。春の桜、秋の紅葉も美しく、日の暮れるのも忘れるということから「ひぐらしの里」とも呼ばれた。その範囲は、谷中の感応寺(現天王寺)裏門から道灌山方面に広がっており、西部の台地上には寺院が、東部の低地には農村が広がっていた。一帯は太田道灌の出城跡とされ、物見台等の遺構が残る。諏訪神社境内は諏訪台と呼ばれ、眺望が良く、厄よけなどの願いを掛けて高い場所から皿などを投げる土器投かわらけなげの遊びが盛んに行われた。