第二章 いろいろな暦

日本全国の地方暦 その2

金沢・月頭暦(げっとうれき/つきがしらごよみ)

金沢で発行された半紙1枚摺りの略暦で、創始の年代は不明ですが、明和年間(1764-72)の月頭暦が残されています。通常の暦の暦首(暦の始め)部分と毎月の大小、朔日(さくじつ 月の始め)の干支をまとめ主要な暦注を加えたもので、月の始めをまとめた形から、月頭(つきがしら)と呼ばれています。月頭暦は売暦(販売する暦)で、版元は毎年不定ですが、津幡屋、川後(尻)屋、松浦の名が多く見られます。

特に幕末のものには、右上にその年の十二支の絵が入るのが特色の一つです。ただし、大経師と院御経師の名があるものには、絵はありませんでした。

タイトル(巻) 著者名 形態事項
月頭暦(弘化5年(嘉永元、1848)) 1枚 ; 35cm×25cm
出版年 出版者 出版地
1847(弘化4年) 津幡屋仁左衛門、川後屋信太郎 金沢
注記 分類 請求記号
尾島碩宥旧蔵古暦 449.81 本別15-21

この年の干支である猿を右上に配している。

薩摩暦(さつまごよみ)

薩摩藩が編さん刊行して、薩摩、大隅、日向の領内にだけ頒布されていた綴暦(とじごよみ)です。天明5年(1785)以後のものが残されています。貞享の改暦で暦は統一されましたが、中央から離れた地理的な条件などから特に発行が許されたもので、日の出・日の入りの時刻などの暦注には他の暦にはない記載があり、清の官暦であった時憲暦(じけんれき)の影響が強く見られます。

三島暦(みしまごよみ)

三島暦は、伊豆国賀茂郡三島(現在静岡県三島市)で、暦師河合家によって発行された暦で、起源は不明ですが、鎌倉時代まで遡るといわれています。三島暦は、独自に製作されたもののようで、京暦(きょうごよみ)との暦日の相違が何度か記録されています。最も古いものでは、義堂周信(ぎどうしゅうしん)の『空華日工集(くうげにっくしゅう)』の応安7年(1374)3月4日の条に、1日の違いが記されています。

三島暦は、江戸時代初期には伊豆・相模を中心とした関東諸国に頒布されていましたが、貞享の改暦後は伊豆1国、後に伊豆・相模2国での販売が許可されました。

古くは巻暦(まきごよみ)で、後に綴暦(とじごよみ)となり、大小2種類ありますが、献上暦は幕末まで巻暦でした。

三嶋暦(文政8年(1825))の59コマ目三嶋暦(文政8年(1825))の58コマ目

タイトル(巻) 著者名 形態事項
三嶋暦(文政8年(1825)) 24cm×17cm
出版年 出版者 出版地
1824(文政7年) 河合龍節藤原隆保 豆刈賀茂郡三嶋(三島)
注記 分類 請求記号
449.81 104-375

江戸暦(えどごよみ)

江戸の暦問屋によって刊行された暦で、始めから出版事業として出発し、すべて販売を目的として製作されたものでした。江戸の暦問屋仲間は始め28人でしたが、元禄10年(1697)には11人に定められました。江戸暦は、関東一円から東北地方南部にかけて頒布され、幕末には北海道にまで及びました。

綴暦(とじごよみ)には大小2種類があり、折暦(おりごよみ)の形態のものもあります。いずれも表紙にその年の十二支を表す印が見られます。

古暦(享保19年(1734)江戸暦)の11コマ目古暦(享保19年(1734)江戸暦)の10コマ目

タイトル(巻) 著者名 形態事項
古暦(享保19年(1734)江戸暦) 1冊 ; 22cm×16cm
出版年 出版者 出版地
1733(享保18年) 鱗形屋孫兵衛 江戸
注記 分類 請求記号
新城文庫所収 449.81 190-377

地震なまずの暦

表紙に〔地震なまず〕の絵が描かれ、左上に「いせこよみ」の表題が付けられた綴暦(とじごよみ)です。「いせこよみ」とありますが、実際には江戸で刊行されたといわれ、寛文13年(延宝1、1673)から貞享2年(1685)年に至るまでの暦が知られています。表紙の図柄から「地震なまずの暦」と呼ばれていますが、寛文4年(1664)のものは「新板こよみ」となっています。

表紙の鯰(なまず)は日本図をかかえ、首尾が交差したところに要石(かなめいし)が打ちつけられています。その脇には、「ゆるぐとも よもやぬけしのかなめ石 かしま〔鹿島〕の神のあらんかぎりは」と、和歌が添えられています。

新板こよみ(寛文4年(1664))の4コマ目新板こよみ(寛文4年(1664))の2コマ目

タイトル(巻) 著者名 形態事項
新板こよみ(寛文4年(1664)) 1冊 19cm×13cm
出版年 出版者 出版地
1663(寛文3年) 江戸
注記 分類 請求記号
新城文庫所収 449.81 寄別12-6-14

表紙に地震鯰の絵が置かれている。本文は寛文4年の暦を示している。

会津暦(あいづごよみ)

会津暦は、会津若松城の鎮守であった諏訪神社の神官・諏方、笠原、佐久家(信州から移住という)が賦暦(無償で配る暦)を、隣町の七日町住菊地庄左衛門が売暦(販売する暦)を発行していました。貞享の改暦以前には宣明暦法により独自に編暦を行っていたものの、改暦後は幕府天文方から直接送付される「写本暦」(頒暦の稿本)に従って製作されました。寛永11年(1634)暦が現存最古のものといわれますが、記録では永亨年間(1429~41)から「開板」とあります。東北一円で頒布されていました。

綴暦(とじごよみ)ですが、印刷法や綴じ方が他の地方暦と大きく異なっています。初期の会津暦は、木活字を使って印刷されていたことも他の地方暦と比べて珍しい点です。

会津暦(寛政11年(1799))の2コマ目会津暦(寛政11年(1799))の1コマ目

タイトル(巻) 著者名 形態事項
会津暦(寛政11年(1799)) 1冊 ; 21cm×15cm
出版年 出版者 出版地
1798(寛政10年) 笠原幸之丞神勝三満 奥州会津(会津若松)
注記 分類 請求記号
新城文庫所収 449.81 寄別12-6-23

寛政の改暦を反映した会津暦。

秋田暦(あきたごよみ)

幕末から明治2年(1869)までのわずかの期間、秋田で刊行されていた小型の綴暦(とじごよみ)で、秋田久保田(現在秋田市)の浅野数馬(あさのかずま)が製作したものです。嘉永4年(1851)、元治2年(1865)、明治2年(1869)の暦が知られています。

弘化四丁未暦(秋田暦)の2コマ目弘化四丁未暦(秋田暦)の1コマ目

タイトル(巻) 著者名 形態事項
弘化四丁未暦(秋田暦) 1冊 ; 8cm×13cm
出版年 出版者 出版地
1846(弘化3年) 浅野数馬 秋田
注記 分類 請求記号
尾島碩宥旧蔵古暦 449.81 本別15-21

暦首に「御免開板所浅野数馬」とあり、表紙に麻の葉の模様が入っている。浅野にちなんだものかと思われる。刷りと綴は会津暦に近似している。二十四節気、月蝕を上段に別記しているのも、他の版暦と異なる特徴のひとつである。

仙台暦(せんだいごよみ)

仙台では延宝から正徳頃(1673~1716)にかけて独自の暦が発行されていましたが、官暦にはない暦注を記載したため江戸の暦屋の訴えにあい、発行が中断していました。その後は江戸暦が用いられていましたが、需要を満たすことができないとの理由で仙台藩から仙台暦の再興が願い出され、安政元年(1854)、幕府に発行を認められたものです。神明社の神職平野伊勢が作暦し、国分町の伊勢屋半右衛門により売り出されました。明治3年(1870)まで発行された綴暦(とじごよみ)で、小型のものと余白をつけた大型のものがありました。

盛岡暦(もりおかごよみ)

盛岡の舞田屋が、慶応4年(明治元、1868)と明治2年(1869)の2年のみ製作した綴暦(とじごよみ)です。販売者は柳屋清兵衛。編さんは藩校日新館教授帷子繁治(かたびらしげはる)。この時期に伊勢暦、江戸暦などが入らないため臨時に製作されたもので、藩の許可を得て刊行したといわれています。

弘前暦(ひろさきごよみ)

弘前では、江戸時代後期に1枚摺りの略暦が2種類発行されました。その一つの稽古館暦は藩校稽古館で作られたためにその名があり、寛政9年(1797)から明治3年(1870)まで発行されていました。もう1種類は藩の御用商人竹屋慶助の出版した竹屋暦で、文政年間(1818~30)から万延2年(1861)頃まで刊行されました。

(国立国会図書館編・刊「国立国会図書館所蔵個人文庫展 その3 日本の暦」1984.10の記述に基づく)