第3章 建築見物~名所案内の世界から

近代建築の設計を担える日本人が誕生したことにより、国内に建てられる近代建築もその数を増していきます。そして街中に現れたそれらの建物は、従来にはなかった新たな名所として認識されるようになります。本章では、明治期以降に出版された名所絵や名所案内の中に現れる近代建築を紹介します。

近代建築の名所化

鹿鳴館を描いた浮世絵 鹿鳴館 (出典:井上安治『東京名所帖』明治20【寄別7-9-2-1】)デジタル化資料ボタン
雪中の永代橋際日本銀行を描いた浮世絵 永代橋際日本銀行の雪
(出典:井上安治・小林清親画『東京名所』明治10【寄別7-9-2-1ロ】)デジタル化資料ボタン

新橋駅の夜景を描いた浮世絵 新橋ステーンシヨン夜
(出典:同上デジタル化資料ボタン

江戸時代、名所は浮世絵や『名所図会』に描かれ、多くの人の目に触れていました。明治に入ってから建てられた建築物も、やはりその対象として描かれるようになります。明治10年前後に描かれた名所絵には、コンドルら外国人の設計により建てられた鹿鳴館や永代橋際の日本銀行(開拓使物産売捌所を転用)、新橋駅舎などが登場します。特にコンドルが設計した鹿鳴館は、「当時は鹿鳴館と云へば倫敦巴黎の燦爛たる新文明の栄華を複現した玉の台(うてな)であって、鹿鳴館の名は西欧文化の象徴(シンボル)として歌われたもんだ」(内田魯庵「四十年前―新文芸の曙光」(『おもひ出す人々:四十年間の文明の一瞥』【357-142イ】所収))などと回顧されるような存在でした。しかし、これらの建築物を取り上げる名所絵は当時の名所絵全体の中では少数派に属します。当時の名所絵の中心は、寺社や水辺の景など、江戸時代以来親しまれていたところが中心でした。右に挙げた絵は「光線画」と称される開明的な風景を描いた作品で、これらの主題には近代建築が取り上げられることもありました。

一枚ものの版画だけでなく、『江戸名所図会』の流れをくむようなガイド本においても、たとえば明治21年(1888)年刊行の『東京名勝画詞』【11-150】には、芝の五重塔以外、目立つ建築物は登場しません。そのような時代ではありますが、『東京名勝独案内』(資料7)には、いくつかの近代建築が登場します。

7)『東京名勝独案内』豊栄堂,明治23【特57-207】 デジタル化資料ボタン

初代歌舞伎座を描いた版画 初代歌舞伎座

明治23(1890)年刊行の東京名所案内です。名所を紹介する版画と、東京遊覧の便宜のための諸情報をまとめた冊子です。冒頭には四日間で東京を巡るモデルコースが記されており、短期間、見物のために上京してくる人々を主たる対象としています。本書刊行の年は第3回内国勧業博覧会が開催された年で、多くの東京遊覧者が見込まれたことが背景にあり、類書も多数出版されています。
本書中の図版に登場する近代建築には、新橋停車場や初代歌舞伎座などがあります。また、明治20(1887)年に隅田川に架る最初の鉄橋となった吾妻橋や明治21(1888)年に鉄骨トラス造となった鎧橋など、新技術で作られた橋も名所として取り上げられています。
なお、本書で使用されている図版に、8図を加え、それらの図版のみをまとめたものが『東京名勝三十六景』【特60-799デジタル化資料ボタン として明治26(1893)年に刊行されています。

近代建築を名所と捉えているのは、東京に限った話ではありません。

8)『日本写真帖』ともゑ商会,明治45【408-51】 デジタル化資料ボタン

『日本写真帖』表紙 『日本写真帖』表紙

日本各地の写真を、道府県ごとにまとめた写真帳です。台湾・樺太・朝鮮・満洲の一部の写真も含まれています。序言で「風光明媚なる帝国の山色水光を紹介する所以のものに至りては、単に一地方に限られたる写真帖の外、未た全国を通したる好個の代表冊子あるを見す」と述べ、日本全国を一覧できるものという点を売りにしています。
寺社や風景の写真が多いとはいえ、役所や学校などを中心に、多くの道府県で近代建築の写真が取り上げられており、近代建築が普及していく様子を窺うことができます。また、近代建築以外でも、京都府では御所や寺社が多く掲載され、福岡県の部分では八幡製鉄所が大きく取り上げられるなど、当時の各県に対する代表的イメージが窺える資料です。

当初、近代建築が採用されたのは、官公庁や学校・駅などの公的機関が中心であったこともあり、名所案内に登場する近代建築も役所の割合が高くなっています。特に東京においては、役所の多くが江戸城内に存在して人目には触れなかった近世期に比して、独立した役所を構える官庁が多数出現したこともあり、多くの人目を引いていました。

関東大震災のあとさき

東京では、大正に入って、近代建築がさらに数を増していきます。大正3(1914)年には、改修を経て現在も使われている東京駅や三越呉服店の東館なども完成しています。同年には、上野公園で東京府主催の東京大正博覧会が開催されたこともあり、東京の観光案内書が数多く発行されています。

9)『三日間東京案内』三越呉服店,大正3【特273-599】 デジタル化資料ボタン

完成間近の三越東館の写真 完成間近の三越東館

大正3(1914)年に出版された多くの東京観光案内の中で、三越が出したものです。冒頭から3分の1ほどは、東京大正博覧会見物に上京してきた人が、東京を観光する際のコースを紹介しています。上野を振り出しに皇居を目指し、日比谷・芝・お台場・銀座をめぐるなど盛りだくさんです。見るべきスポットは太文字で強調されており、行程の冒頭から万世橋停車場や東京郵便局、諸官庁や帝国劇場などの名が挙がります。辰野金吾が設計し、開業間近の中央停車場(東京駅)も「これは日本第一の大建築で、今秋の御大礼迄には落成する筈」として紹介されています。
また、本書の中ほどの約3分の1は、ちょうど同年に東館が竣工した三越呉服店の宣伝にあてられ、残りの部分では東京大正博覧会の紹介をしています。

関東大震災で焼け残ったビルの写真 焼け残った丸の内の大建築
(出典:写真時報社編『関東大震災画報:写真時報』大正12【415-30】デジタル化資料ボタン

近代建築が名所として一般化してきた大正12(1923)年、関東大震災が襲いかかりました。地震や火災により、多くの建物が倒壊・焼失しますが、被害を記録した写真帳には、無事残った建築物も紹介されています。1章のコラムで触れたニコライ堂のように、震災後、修復を施された建物も多くあります。

10)遠藤早泉『趣味の東京物語』南海書院,大正14【532-240】 デジタル化資料ボタン

『趣味の東京物語』のうち帝国劇場・歌舞伎座を紹介する写真 写真上は帝国劇場、下は歌舞伎座

関東大震災の2年後に刊行された東京の観光案内書です。東京駅や丸ビルなど、建物を紹介していますが、写真の掲載数は多くありません。紹介する建物の役割や、その所在する街の性格などに触れた文章が充実しており、「ただ通り一偏の見物ではなく、モット深い東京が見て欲しい」という著者の願いを感じさせます。警視庁や東京市役所、白木屋などがバラック移転や仮住まい中の一方で、警視庁の隣の帝国劇場や歌舞伎座は再興がなされているなど、復興途上にある東京が記録されています。

関東大震災で失われた建物は、それぞれが建てられた時代を反映しており、日本に近代建築が根付いていく過程を跡付ける上で重要な建築物でした。再建されたものでも、創建当初の姿はもはや写真でしのぶしかありません。日本建築学会の創立50年に際し、昭和11(1936)年に開催された記念展覧会でも、「50年の建築」として、日本における近代建築の写真が展示され、好評を博しました。その際の写真を中心にまとめられた写真集を紹介します。

11)『明治大正建築写真聚覧』建築学会,昭和11【722-48】 デジタル化資料ボタン

帝国図書館の写真 帝国図書館

建築学会の創立50周年を記念する展覧会で使われた写真を中心に編まれた写真集です。明治元年の築地ホテル館から大正15(1926)年の大阪府庁舎まで、250に及ぶ建築物の写真を取り上げています。昭和期の建築物が取り上げられていないのは惜しまれますが、大正期以前の近代建築の流れを、関東大震災で失われた姿も含めて一覧でき、また、昭和11(1936)年時点での現況も付記されている点で、資料的な価値も高い写真集です。
現在国立国会図書館国際子ども図書館の建物として使われている帝国図書館の第一期建築部分の写真も含まれています。

関東大震災以後の写真帳には、近代建築の占める割合が多くなりました。本章の最後に、大震災から復興し、戦火にさらされる前の東京名所を写した写真帳を紹介します。

12)『大東京名所百景写真帖』青海堂,昭和12【特268-104】 デジタル化資料ボタン

東京所在の百貨店外観写真を合成した画像 百貨店群の写真

昭和12(1937)年に出版された東京名所を写した写真帳です。第1章で紹介した辰野金吾の設計による東京駅・日本銀行や、片山東熊の設計した赤坂離宮、岡田信一郎が設計した第3期歌舞伎座、設計を巡る紆余曲折を経て完成した国会議事堂なども登場しています。公園や池など、従来からの名所も掲載されていますが、建物の占める割合が多くなり、街並みの空撮写真なども掲載されるようになっています。

コラム国際子ども図書館

帝国図書館の写真 帝国図書館 関連電子展示会ボタン
帝国図書館全設計平面図 帝国図書館全設計平面図(明治39年に完成したのは右側黒色部のみ)
(出典:『帝国図書館概覧』[明39]【特69-172】)デジタル化資料ボタン

現在の国際子ども図書館の写真 現在の国際子ども図書館
(出典:国際子ども図書館HP

帝国図書館 関連電子展示会ボタン の建築の歴史は明治29(1896)年建議書が貴族院、衆議院で可決されたことに始まります。同年設置された設計委員会には、辰野金吾、文部省技官の久留正道くる まさみちが名を連ねます。同じく文部省技官として久留正道の下にいた真水英夫まみず ひでおは、帝国図書館の設計のために明治31(1898)年から翌年にかけて米国に図書館建築の調査に向かいます。帰国後、久留と共にロの字型の壮大な図書館を設計し、明治33(1900)年に着工します。しかし、ロの字型の東側から順次建設される予定だった帝国図書館は、予算上の都合から東側側面のみの計画に縮小されます。明治35(1902)年真水は、計画が大幅に縮小したこと、設計段階で自らが提案した和風要素が受け入れられなかったことなどから文部省を辞しています。明治39(1906)年帝国図書館は当初計画の約2割程度建設された状態で開館します。

帝国図書館は、開館後も増築が続けられ、開館から23年後の昭和4(1929)年当初計画の約1/3が完成します。明治期に完成した建物部分は鉄骨補強煉瓦造で外壁は白丁場石と白煉瓦、昭和期に完成した建物は鉄筋コンクリート造で外壁は白丁場石を種石にした擬石と白煉瓦に似せたタイルで建築されており、同じ素材を使えない中でも一体感を持たせる工夫が感じられます。

以後この建物は、昭和22(1947)年からは国立図書館、昭和24(1949)年からは国立国会図書館支部上野図書館として使用され、平成12(2000)年には国立国会図書館国際子ども図書館として生まれ変わりました。その際、日建設計が設計、安藤忠雄建築事務所が新築部分のデザイン、神戸芸術工科大学の坂本勝比古さかもと かつひこが旧帝国図書館の保存指導を担当し、耐震補強や防災等への対応のための免震工事を含む改築を行いました。