おわりに:戦後日本とオリンピック

古橋広之進の泳ぐ姿の写真 古橋広之進が泳ぐ様子
(出典:『婦人倶楽部』 33(10)講談社【Z6-30】

東京オリンピックの開催決定を伝える新聞記事 1964(昭和39)年東京オリンピック決定を伝える記事
(出典:『朝日新聞』(東京)1959年5月27日朝刊1面【Z81-1】拡大画像ボタン

日中戦争の激化でオリンピック開催返上を余儀なくされ、その後太平洋戦争ですっかり荒廃した日本でしたが、戦後、急速な復興を見せます。そんな中、スポーツ界も再び盛り上がりを見せ、スポーツ観戦が大衆娯楽化するとともに、選手たちの活躍は、戦争によって傷ついた人々の心の支えとなっていきます。「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた古橋広之進の世界記録樹立、白井義男のボクシング世界チャンピオン獲得、力道山の活躍、プロ野球の発展……。そんな中、オリンピックでもまた、数多くの日本人選手が活躍します。戦後すぐの昭和23(1948)年第14回ロンドン大会には参加できなかった日本ですが、昭和27(1952)年の第15回ヘルシンキ大会から参加が認められ、体操、レスリングなど、戦前のオリンピックで日本人選手の活躍が目立った陸上や水泳以外の競技でも、躍進を見せました。
その後日本は、昭和39(1964)年夏季大会を東京、昭和47(1972)年冬季大会を札幌に招致することに成功しました。昭和15(1940)年から数えて、東京大会は24年ぶり、札幌大会は実に32年ぶりのオリンピック開催という悲願達成となりました。
東京大会では、「東洋の魔女」と呼ばれたバレーボール女子代表の活躍は今でも語り草になっています。また、正式競技となった柔道の無差別級で、オランダの英雄ヘーシンクが神永昭夫に勝利した試合は、金メダル独占を狙っていた日本勢に衝撃を与えました。
札幌大会では、スキージャンプ70m級(後にノーマルヒルと名称変更)で、笠谷幸生、金野昭次、青地清二の日本人選手3名がメダルを独占し、日の丸飛行隊と称されました。
平成10(1998)年には、日本で2度目の冬季オリンピックが長野で開催され、スキージャンプの団体で優勝するなど、大いに盛り上がりました。一方で夏季オリンピックは、1980年代以降、東京をはじめ、日本のいくつもの都市が招致を目指しましたが、いずれも涙を飲む結果となりました。
そのような中、平成25(2013)年9月、2020年のオリンピック及びパラリンピックの開催地が東京に決定しました。前回の東京大会から56年、幻の東京大会から80年の時を経て、めまぐるしい変化を遂げてきた東京、日本、そして世界。一体どのような大会になるのでしょうか。