• 利用案内
  • サービス概要
  • 東京本館
  • 関西館
  • 国際子ども図書館
  • アクセス
  • 複写サービス
  • 登録利用者制度
  • オンラインサービス
  • オンラインサービス一覧
  • 国会関連情報
  • 蔵書検索
  • 電子図書館
  • 調べ方案内
  • 電子展示会

トップ > 刊行物 > びぶろす > 72号(平成28年4月)

びぶろす-Biblos

72号(平成28年4月)

びぶろす

  • 発行:国立国会図書館総務部
    (National Diet Library)
  • ISSN:1344-8412
5. 【特集:図書館のお引っ越し】
メディア図書館の成立過程と移転の効用

大阪国際メディア図書館代表理事 畑 祥雄

一般社団法人 大阪国際メディア図書館(OIML)は写真・映像・アート系の専門図書館で、活字資料を扱う図書館とは違い視覚系資料中心の図書館として24年間を歩んできた。主な所蔵資料は、写真集、展覧会カタログ、デザインに関する資料である。当初は図書館の分類方法に基づいた排架を考えたが、この方法では当館の主要な所蔵資料である視覚作品(視覚資料ではない)にはそぐわないため、開架式の書架に独自の排架方式で一般に無料公開している。

1.「写真図書館」開館~最初の引っ越し

1960年代は世界の出来事を目撃する報道カメラもドイツ製のライカから日本製のニコンやキャノンに変わる時代で、その後のビデオカメラでも、ソニー、パナソニック、キャノンの日本製が寡占するようになった。しかし、1980年の中頃まで我が国の美術館には写真作品がコレクションされておらず、写真や映像を学ぶ若い世代は文字主体の評論集の白黒カット写真で写真史や映像史を学んでいた。また、この分野に関しては活字文化に比べて国境を越えて理解しやすい洋書の写真集でも、公立図書館では、税金で運営されるからには市民の誰もが活用できるように翻訳や吹き替えをしなければという自縛のハードルが高く、所蔵しにくかった。

このような背景から、視覚的に作品を理解する場の必要性を感じ、自ら専門図書館を創って公開することが、行政や図書館に陳情して写真集コーナーを創っていただくよりも近道であると考え、1992年、「写真図書館」として開館1。大阪市内の2DKマンションの一室で約5千冊の写真集と美術カタログを並べて公開した。

当時、関西では初めての試みで評判を呼び、土曜のみの開館にも関わらず来館者でにぎわい、貴重な本を寄託・寄贈していただく人も現れ、すぐに手狭になった。そのため、閉校になった予備校の教室をメセナで借り、約7千冊となった所蔵資料の1回目の引っ越しを1994年にした。開館日も週6日に増やし、家賃と人件費が必要になったが、写真講座を開くことで運営経費を捻出した。その後、阪神淡路大震災の影響で講座受講生が激減し、写真系だけでは運営経費が賄えなくなったが、インターネットの普及に伴うマルチメディア時代に向けたIMI/グローバル映像大学2を開校し、なんとか時流に乗り図書館を維持することができた。


合評会の様子

2.通算6度にわたる引っ越しを経て大阪国際メディア図書館へ

しかし1回目の引っ越しでひとまず広い場所を確保出来たものの、3年?5年の期限付きの安い家賃の物件であったため、すぐにまた引っ越し先を探さなければならなかった。そのため、1996年、大阪市からユニバーサルスタジオの開設に伴うデジタルアーカイブの拠点として誘致を受けたこともあり、2度目の引っ越しをした。その後も万博記念公園に先端科学と国際交流を融合させる文化公園をめざした中核施設としての大阪府からの誘致による3度目の引っ越しを2000年にし、宝塚市の駅前ビル活性化の軸としての活動依頼をUR都市整備公団から受けた4度目の引っ越しを2005年にした。さらに「晴耕雨読」のコンセプトに基づき水耕野菜栽培を併設した図書館へと拡張するため2008年に5度目の引っ越しをしてきた。そして2015年に駅前ビルの売却と立命館大学茨木キャンパスの開設に合わせ、茨木市に6度目の引っ越しをし、それを機に『大阪国際メディア図書館』と改名して現在活動をしている。ちなみに、引っ越しの都度、資料の取捨選択も行っていたが、それでも約1万5千冊→約3万冊→約3万3千冊→約3万冊と変遷し、創館時の5千冊の約6倍の蔵書数となっている。

3.引っ越しの利点と労苦

このような図書館の度々の引っ越しは専門図書館の中でも稀な例で、「引っ越し貧乏」といえるだろう。唯一の良い点は時代の流れに合わせて蔵書の収集傾向を変え、講座の開発にも常に未来潮流を先取りするカリキュラムが創れたことだ。半年で新製品が売り出される目まぐるしい時代のメディア分野において、引っ越しも蛹から蝶へのメタモルフォーゼ(変容)と同様に時代変化に適応していくのに有効であった。これらの経験から、活字文化中心の図書館とメディア文化中心の当館は似て非なる運営方法が必要と考えるに至る。

講座(現在は『写真表現大学』として実施)は運営上の必要に迫られて始めたが、専門図書館として、その専門的な所蔵資料が宝の持ち腐れとならないため、また理解を促進するためにも役に立っている。例えば、現代写真史の中で最も重要な米国のロバート・フランク3や日本の東松照明4の写真集は小さな判型だが新しいイメージを創造しており、黎明期の名取洋之助5や土門拳6の起承転結の活字文化の文法引用では到底に理解ができない。これが専門図書館には講座の併設が不可欠な機能と考えるに至った理由である。

図書館の引っ越し自体は、物理的な移動を依頼する引っ越し会社の良き選択と、捨てがたい資料の破棄基準と決断するディレクションの重要性、ボランティアによる資料の特性に応じた箱詰め、新しい移転先のレイアウトとの整合性、綿密な打ち合わせの出来る廃棄業者の選択と、不用品のネット販売や安価な下取り販売、お世話になった方々への貴重機材などの無償譲渡など多くの作業があり、それら全てを束ねる総合監督を中心としたテンポラリーな組織創りが大切であると、度々の経験から学んだ。

昨年の引っ越しについて詳述すると、準備は約3ヶ月間を見込み、基盤となる作業としてすべての本棚と収蔵庫を番号化して背タイトルが読める大きさで写真を撮り、台帳を作成した。台帳作成後、順に箱詰めの作業を行ったのだが、写真集や映像資料の箱詰めを愛着や理解のある講座受講生のボランティアチームに担当して頂くことで、的確かつ丁寧な梱包が出来た。

今回の引っ越しで大きな問題点となったのは、日本一の実績を持つ引っ越し会社でさえ、本棚に並んでいる蔵書の見積もりは容易ではなく、箱詰めすると1.5倍の量になり搬出時間の計算が大幅に狂った点である。幾度か引っ越しを経験したが、事前の心配が膨らみ過ぎて高くなる見積もりと、少ない時間・人手で抑えたい気持ちとの見極めはとても難しい。

4.当館の取り組み

当館での新しい取り組みは、新聞社が主催する展覧会のカタログを各社から寄贈として受け入れていることである。カタログに載る研究者の論文こそ現在的に必要とされる最先端論文であるが、図書館での収集が難しく、さらに売れ残ったものは2?3年先には経済的理由で焼却処分となる。こうした特性を持つカタログの所蔵は関西圏では唯一に近い集積であり「文化の隙間産業を担う図書館」と呼ばれる程である。

また、24年間の図書館活動により写真・美術・映像・デザイン・音楽・サイエンスなどの人脈アーカイブもできた。この人脈は中心的な人物に集約されるため、ここに多彩な相談ごとや企画依頼が持ち込まれ、それを解決するためのデザイン(計画立案)や所蔵資料を活用したシンクプロジェクト(企画して実行する)を担う役目が増えてきた。

現在の当館は、所蔵資料の利活用・講座の主催・シンクプロジェクト受託の三部門の総合的な力で活動をしている。今後は、本を製本&修理する講座、図書館司書の有資格者へのメディア研修講座、子ども向けの遊学漫画講座なども開設していきたい。

人口減の少子高齢化社会が迫る時代の図書館は、人口増の時代とは違った運営の在り方が迫られている。このような考えにたどり着いたことはまさに「引っ越しの効用」でもある。図書館の引っ越しは稀なケースでしかないが、確実に機能の見直しと時代に適応するアンテナの役割につながる千載一遇の機会とも考えている。

5.私設の図書館を運営する立場から今後の公立図書館の在り方について思うこと

昨今、公立図書館と民間企業の連携でにわかに図書館論議が盛り上がっているが、図書館に民間サービスの利便性を持ち込むことは硬直化した図書館運営へのカンフル剤にはなるが、健全な体質改善になるとは限らない。既設の図書館に専門図書館としての+1蔵書を付け加えることで各図書館に独自性を出し、都道府県立図書館には総合知のアーカイブ機能を持たせ、市町村立図書館には知の普及活動に+1的な専門図書館の性格を付加し、民間サービスの参入と合わせて三位一体化すると図書館の発展につながると考える。

例えば、建築系の蔵書が地域圏で一番、他にもアート系、宇宙系、海洋系、防災系、料理系と競い合えば、県境を越えての来館者が増え、図書館は集客施設にもなれると確信している。

(はた よしお)

  1. 筆者と、編集者で当館初代館長となった中川繁夫氏の二人が自らの本を寄託した。
  2. 映像、音楽、Web/デザイン、アートなど、多様な分野を対象に、自分一人の手でアイディアを具現化=映像を作り上げることを目的として、理論と実践を組み合わせた講座を開設している(当館主催)。
  3. Robert Frank(1924年 -)
  4. とうまつ しょうめい(1930年 - 2012年)。戦後日本を代表する写真家の一人。
  5. なとり ようのすけ(1910年 - 1962年)。日本の写真家、編集者。
  6. どもん けん(1909年 - 1990年)。戦後日本を代表する写真家の一人。日本の写真界で屈指の名文家。

このページの先頭へ