びぶろす-Biblos
電子化54号(2011年11月)
7.法務図書館所蔵「未整理図書」の整理と目録の刊行について
高山 京子
私は、昭和33年春、法務省に採用され、職業人としての第一歩を踏み出した。そのとき職種の希望を訊かれ、もともと図書が好きだった私は、ためらわず「図書の係です」と答えた。これが、その後の私の人生を決定することになったのである。ちなみに、法務図書館は、国立国会図書館の支部図書館(昭和23年2月9日法律第5号国立国会図書館法)である。
図書係への配属の希望は即座には叶えられず、法務省の統計の業務など様々な仕事に割り振られた。法務図書館に配属されたのは、入省後、しばらく経ってからのことである。そしてそのときでさえ、私には図書館の業務について深い認識があったわけではない。私にとって幸いだったのは、法務図書館は職員を育てることに熱心な職場だったことである。当時の松山貞夫図書館長(法律学者で、岩波書店『法律学大辞典』・『法律学小辞典』編集に参加された)のリーダーシップで、各種の研修に参加して実力を付けることが奨励されていた。また、図書館員も福島小夜子さんを筆頭に極めて優秀な先輩が揃っていた。「仕事ができないのなら家に帰りなさい」と厳しく言われたこともある。しかし、そのような先輩の指導のおかげで、図書館員として私は少しづつ育てられ、成長したと思う。結婚・出産などのできごともあったが、その都度、周りに励まされて、受入係、閲覧係などの業務を楽しく続けた。
現在とは違いコンピュータによる検索などはなく、図書は窓口の職員を通しての貸出しであったから、閲覧者との間には自ずから親密な関係が生まれた。熱心に図書館を利用していた若い検事さんや判事補の方が、次々に頭角を現して昇進されるのを見るのは嬉しいことだった。また、特に昭和30年代は、大学の施設が不十分であったのか、牧野英一先生、我妻栄先生、宮澤俊義先生など、高名な学者の方も来館された。当時の法務図書館には法学者を中心としたサロン的な雰囲気も漂っていたと思う。
昭和40年代に入ると、法務省の別館が増築されたため、法務図書館には「貴重書室」が新設され、未整理の図書がこの部屋に移された。そして、その一部について、慶應義塾大学の手塚豊教授によって選定・整理が行われ、最初の「貴重書目録」が作成された。これは、資料を精査して立法過程を復元し、法域別、時代順に整理した模範的な目録であった。私は、その作業に直接には関わらず、多少のお手伝いをしたにとどまったが、手塚先生にはたいへん親しくして頂き、お手紙なども頂戴した。後日、慶應の院生グループと深い関係を持つようになったが、その発端は手塚先生が与えてくださったのである。
昭和の末まで「旧司法研究室」の建物が法務図書館の事務室・書庫として使用されていたが、平成を迎えて赤れんが棟の復原が開始された。そして、法務図書館は、工事完成後は赤れんが棟に移ることになり、終の住み処を得たのである。しかし、復原作業が完了したのは平成6年のことで、その間、祝田橋庁舎への仮移転を含めて、法務図書館は2回にわたる大規模な移転を経験ししなければならなかった。コンテナ4万5千個という数字が記憶に残っている。これは、他の図書館の移転の場合にも参考になると思われ、私は、『専門図書館』誌に経緯を寄稿させて頂いた(1)。
さて、法務図書館ではこの移転の過程で、 いわゆいる貴重書のほかにも重要な文書・資料が未整理の状態で存在することに気付き、先輩職員の方が「未整理図書」と命名して、段ボールの箱に収納するとともに、「後日必ず整理するように」と言い残された。しかし、その後私はまもなく定年を迎えて法務省を退職し、先輩の言葉も半ば忘れかけていた。定年後の私を迎えてくれたのは、本郷にある法律書の出版社、信山社で、立法資料全集の刊行に努力しており、私もその編集スタッフに加えられた。この分野のベテランの指導を受けながら、私は毎日のように国立国会図書館の憲政資料室に通い、関連資料を閲覧・謄写した。それは、明治・大正の立法資料の価値を深く認識する過程でもあった。
そのような日が約1年続いた平成11年春、法務省の太田茂司法法制課長(当時)から、お呼び出しの電話があった。参上してみると、「段ボール42箱の未整理図書があるので、内容を点検して欲しい。保存の必要はないという判断になれば、廃棄する」と言われた。私は、直ちに状況を把握できないほど心が乱れたが、「廃棄」になれば二度と取り戻せないという気持ちにかられた。以前に聞いた先輩の願いも胸に蘇った。私は、「はい。やってみます」と答えたが、それが10年に及ぶ苦闘の始まりだった。
「段ボール42箱」。量も膨大だし、内容は複雑怪奇である。とても一人でこなせる仕事ではない。宮内庁書陵部図書課の元専門官、藤井祥子さんは、古文書の専門家で、助けになる友人だった。そしてもう一人、当時、宇都宮大学で教えておられた小沢隆司さんは、日本法制史の新進気鋭の研究者であったことから、「協力して下さい」とご無理をお願いし、平成11年7月、この3人のチィームが動き出した。段ボールの箱を開いて見ると、簿冊は埃にまみれて固まっており、一枚づつはがして清掃しなければならなかった。保存のためアイロンもかけ、書誌事項を一つ一つ確認した。気が遠くなるほど手間のかかる作業であったが、幸い、日本法制史を専攻する慶應義塾大学その他の大学院生の人たちが、作業の難航を知って助力してくださるようになり、マン・パワーも次第に整って、仕事が捗るようになった。
もっとも、作業自体がもともと法務省の正規の業務としてスタートしたわけではなく、元法務専門官高山のボランティア活動的な性格を帯びていたため、当初は法務省内部での協力も必ずしも充分でなかった。作業を始めてしばらく経った後、高山宛に若干の手当が出るようになったが、それも作業に参加した大学院生の人達に分けると、お昼の弁当代で消える程度の額だった。また、作業の場となった法務図書館の立場からすれば、本来の業務とはかかわりのない仕事が侵入しているという感じもあったかもしれない。逆風に遭遇し、「涙にかられた」時期も皆無ではなかったと思う。
しかし、平成13年6月、法務省に「特別顧問室」が設置され、私は思いがけず特別顧問室付き秘書に採用された。その当時は民事訴訟法の三ヶ月章先生が特別顧問であったが、新たに刑事訴訟法の松尾浩也先生が特別顧問に就任されたので、法務省秘書課は、この機会に特別顧問室の設置と、特別顧問室付き秘書の採用を決めたのである。非常勤とはいえ、私も再び法務省職員になり、徐々にではあるが周りの理解が得られたことから、整理作業はやりやすくなった。
さらに、協力者の体制も強化された。資料の内容が徳川時代のものに始まり、明治・大正・昭和の三代にわたることが分かったので、幕府法については、その分野について造詣の深い國學院大學の高塩博教授のご教示を得た。高塩教授は、資料の整理を指導されるとともに、その意義を解明する講演をして下さった(2)。大正時代の法制資料の白眉ともいうべき「山岡萬之助関係文書」については、小沢隆司教授が中心となって講演してくださった(3)。また、法務図書館が「山岡萬之助とその時代」と題する企画展を開催したことなどから、若手研究者の参加も多くなったが、いずれも現在は大学の教授、准教授や専任講師として教壇に立っておられる。
平成19年からの3年間は、いわば整理作業の収穫期で、合計15冊の文書目録が完成し、うち12冊が既に刊行されている。その一覧は後に掲げるとおりである。高名な学者や実務界の長老の方から序文を寄せて頂いたことは嬉しいことだった。また、目録の刊行に合わせて幾つかの新聞社が記事にして下さったことから、衆議院法務委員会でも取り上げられた。さらに、今年4月には、図書館サポートフォーラム賞という身に余る大きな賞を頂いた。図書館に長く勤務した者として、この上ない光栄であった。
あとがき
国立国会図書館の支部図書館である法務図書館に勤務した者として、『びぶろす-Biblos』に寄稿の機会を与えられ、嬉しく思います。目録の整理・刊行に当たりましては、OBの方を含む多くの法務省関係者、図書館・出版社の関係者並びに研究者の方々に、一方ならぬ御支援・御指導を頂きました。感謝申し上げております。ことに、故塩野宜慶先生(元最高裁判所判事)、故新谷正夫先生(元名古屋高等検察庁検事長)のお励ましは格別の力になりました。
段ボールの箱に眠っていた文書を世に出し、活用の道筋を付けたことに安堵するとともに、これが研究・調査の手がかりとしてお役に立つことを願っております。何の学識もない私ですが、図書館の仕事に愛着を持ち、夢を追って今日まで過ごしました。皆様も、図書館に埋もれている資料があるとお気付きの際は、どうぞ手を差し伸べてください。
なお、図書館サポートフォーラム賞の副賞としていただきました図書は、被災地の仙台法務局に寄贈いたしました。
(1) 高山京子「新装オープンした赤レンガの法務図書館 赤レンガ庁舎への図書 資料の移転作業について」『専門図書館』15号(1995)。
(2) 高塩博「法務図書館所蔵の幕府方関係資料」。講演の内容は、『司法法制部季報』112号(2006)に紹介されている。
(3) 高山京子「『山岡萬之助関係文書目録』刊行記念講演会について」『刑政』120巻1号(2009)
(別表1)
・未整理図書目録「刊行に寄せて」
・解題等執筆者一覧
| 発行 順位 |
目録名 | 発行日 | 刊行に 寄せて |
整理作業を 終えて |
解題 | 編集 | 件名 数 |
参考 文献数 |
計 | 頁数 | 収録 期間 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 故牧野英一博士 寄贈図書目録新版 |
H14.4 | 高山 京子 | 小沢 隆司 藤井 祥子 高山 京子 |
1364 | 0 | 1364 | 248 | T10 ~S12 |
||
| 2 | 山岡萬之助関係 文書目録 |
H19.3 | 高山 京子 | 小沢 隆司 | 小沢 隆司 児玉 圭司 藤井 祥子 高山 京子 |
1982 | 64 | 2046 | 274 | M45 ~S14 |
|
| 3 | 司法大臣 岩村通世 関係文書目録 |
H20.3 | 高山 京子 | 小沢 隆司 | 小沢 隆司 宮平 真弥 藤井 祥子 高山 京子 |
1518 | 60 | 1578 | 215 | S4 ~S22 |
|
| 4 | 「徳川裁判事例」 「徳川禁令考」 編纂資料目録 |
H20.3 | 東京大学 名誉教授 石井 紫郎(※) |
中網栄美子 高山 京子 |
高塩 博 | 高塩 博 中網栄美子 高山 京子 |
95 | 95 | 190 | 56 | |
| 5 | 陸地測量部発行 地図目録 |
H20.3 | 高山 京子 | 馬場 義信 | 馬場 義信 高山 京子 |
1917 | 6 | 1923 | 124 | M20 ~S16 |
|
| 6 | 司法制度調査会 関係文書目録 |
H21.3 | 法務省 特別顧問 松尾 浩也 |
高山 京子 | 出口 雄一 | 小沢 隆司 宮平 真弥 出口 雄一 児玉 圭司 高山 京子 |
288 | 40 | 328 | 71 | S9 ~S13 |
| 7 | 司法大臣官房
調査課関係文書 目録 |
H21.3 | 公正取引委員会 委員 濱崎 恭生 |
高山 京子 | 出口 雄一 | 小沢 隆司 宮平 真弥 出口 雄一 高山 京子 |
548 | 96 | 644 | 155 | S21 ~S24 |
| 8 | 昭和25年 商法改正関係 文書目録 |
H21.3 | 学習院大学 法科大学院 教授 前田 重行 |
高山 京子 | 出口 雄一 | 小沢 隆司 出口 雄一 児玉 圭司 高山 京子 |
159 | 66 | 225 | 55 | S24 ~S26 |
| 9 | 連合国総司令部との 会談報告関係 文書目録 |
H21.3 | 法務省 特別顧問 松尾 浩也 |
高山 京子 | 出口 雄一 | 小沢 隆司 出口 雄一 高山 京子 |
751 | 221 | 972 | 192 | S21 ~S26 |
| 10 | 連合国総司令部との 会談目録 関係文書目録 |
H21.3 | 上智大学 法科大学院 教授 高見 勝利 |
高山 京子 | 出口 雄一 | 小沢 隆司 出口 雄一 高山 京子 |
1789 | 167 | 1956 | 492 | S23 ~S27 |
| 11 | 小澤文雄関係 文書目録 |
H21.3 | 元仙台高等裁判所 長官 現弁護士 藤田 耕三 |
高山 京子 | 出口 雄一 | 小沢 隆司 出口 雄一 高山 京子 |
1241 | 95 | 1336 | 240 | S20 ~S22 |
| 12 | 昭和27年 会社更生法等 関係文書目録 |
H21.3 | 法務省 特別顧問 竹下 守夫 |
高山 京子 | 小沢 隆司 | 小沢 隆司 高山 京子 |
654 | 33 | 687 | 94 | S24 ~S26 |
| 13 | 甲府地方検察庁 都留支部旧蔵 文書目録 |
未発行 | 國學院大學 法学部教授 高塩 博 |
高山 京子 | 岩谷 十郎 | 藤井 祥子 正田 周大 橋本 宗馬 高山 京子 |
1837 | 532 | 2369 | 537 | M19 ~S31 |
| 14 | 新潟地方検察庁 旧蔵 文書目録 |
未発行 | 慶應義塾大学 法学部教授 岩谷 十郎 |
高山 京子 | 高塩 博 | 馬場 義信 菊地 幸晴 藤井 祥子 高山 京子 |
3443 | 532 | 3975 | 651 | M15 ~M32 |
| 15 | 京都区裁判所検事局 旧蔵 文書目録 |
未発行 | 慶應義塾大学 法学部教授 岩谷 十郎 |
高山 京子 | 高塩 博 | 高塩 博 橋本 宗馬 高山 京子 |
482 | 406 | 888 | 139 | M29 ~M38 |
| 16 | 法務図書館 関係資料 |
未発行 | 高山 京子 | 111 | 0 | 111 | - | ||||
| 合計 | 18179 | 2413 | 20592 | 3543 |
※「徳川裁判事例」「徳川禁令考」編纂資料目録」については、「序」として執筆いただいた。
「刊行に寄せて」は法務図書館が執筆。
(元法務図書館法務専門官)

