- 日時
- 2013年 2月21日(木) ~ 3月22日(金)
- 会場
- 国立国会図書館 関西館 地下1階 総合閲覧室
- 参加費
- 無料
関西館小展示 「花ひらく少女歌劇の世界」
(終了しました)
関西館小展示 「花ひらく少女歌劇の世界」 の開催について

第13回の関西館小展示では、「花ひらく少女歌劇の世界」と題して、少女歌劇に関する資料を紹介します。
少女歌劇とは、女性のみで演じられるミュージカルやレビューなどの舞台であり、昭和初期に隆盛した日本独特の演劇形態です。大正期に関西で宝塚、大阪松竹等の少女歌劇団が人気を博すると、昭和戦前期には観光地や沿線開発の目玉として、各地で歌劇団結成の動きが広まりました。
今回の展示では、当時の歌劇団の活動や公演内容を中心に少女歌劇の発展史をたどります。各歌劇団の年史、脚本、写真集等の関西館所蔵資料を展示するとともに、「すみれの花咲く頃」(宝塚歌劇団)、「東京をどり」(松竹少女歌劇団)をはじめとする公演主題歌などの歴史的音源37点を聴くことができるコーナーを設けます。
開催期間中には資料解説も行います。
- 開催日時・場所・お問い合わせ先
- チラシ (pdf: 6.49MB)
- 資料解説開催予定:
職員が小展示の見どころを約20分で解説します。参加は無料です。
- 2月21日(木) 12:30~、2月22日(金) 14:30~、3月9日(土) 13:00~、3月14日(木) 14:00~
- 2月21日(木) 12:30~、2月22日(金) 14:30~、3月9日(土) 13:00~、3月14日(木) 14:00~
資料リスト[PDF版 1.21MB]
以下、各解説の後ろの()内は当館請求記号を表します。
第1部 少女歌劇の草創期
- No. 1 白木屋三百年史./ ( 東京 : 白木屋, 1957. )
少女歌劇の歴史は、百貨店の余興として1911年(明治44年)に誕生した白木屋少女音楽隊から始まりました。「白木屋少女歌劇の消長」(p.308~312)に、その設立時の状況が紹介されています。当時三越には1909年(明治42年)創設の少年音楽隊があり、白木屋の少女歌劇は「その向うを張つての対抗ともいえる」といった記述もあります。なお、白木屋は現在の東急百貨店です。 ( 673.8-Si569 )
*この資料はデジタル化されています。[本文へのリンク]
- No. 2 演劇百科大事典. 第3巻 (サナーチユ) /早稲田大学演劇博物館 編. ( 東京 : 平凡社, 1960. )
「少女歌劇(しょおじょかげき)」が立項されています。(p.206)白木屋少女音楽隊設立に始まり、その他の少女歌劇団の設立についても説明しています。なお、早稲田大学演劇博物館は、国内外の演劇資料や映像資料を所蔵する博物館です。 ( 770.33-E742-W )
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- No. 3 宝塚少女歌劇廿年史. /宝塚少女歌劇団 編. ( [宝塚町 (兵庫県) ] : 宝塚少女歌劇団, 1933. )
1913年(大正2年)7月、宝塚歌劇団の前身である宝塚唱歌隊が誕生しました。宝塚新温泉内のパラダイス劇場での公演に始まり、昭和初期のレビュー時代の到来まで、宝塚少女歌劇の歴史が記されています。劇場ごとの上演演目リストも収録されています。 ( 650-13 )
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- No. 4 日本歌劇概論. 補3版/小林一三 著. ( 宝塚町 (兵庫県) : 宝塚少女歌劇団, 1925. )
宝塚少女歌劇の創設者である小林一三(いちぞう)が、少女歌劇設立初期に発表した論稿を含んでおり、「国民劇」や「少女歌劇」に対する考え方、周囲の反応等を知ることができます。「少女歌劇の意義」の項で、男性のみの歌舞伎と同様、女性のみの宝塚歌劇団も芸術的意義を有すると述べています。 ( 541-47 )
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- No. 5 逸翁自叙伝. /小林一三 著 ( 東京 : 産業経済新聞社, 1953. )
「十一、寶塚歌劇団の誕生」(p.210~)に、宝塚新温泉の集客の目玉として水泳場を劇場に改装し、女性のみの少女歌劇を開いたとあります。なお、こちらの資料は復刻版も所蔵しています。(請求記号 GK75-E30、GK75-G23) ( 289.1-Ko428i )
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- No. 6 松竹七十年史. / ( 東京 : 松竹 1964. )
1922年(大正11年)4月、大阪で松竹楽劇部生徒養成所(のちのOSK日本歌劇団)が誕生し、1928年(昭和3年)には東京松竹楽劇部(のちの松竹歌劇団(SKD))が発足しました。「松竹歌劇の四十年」(p.384~416)には、これら2団体の歴史が記されています。 ( 770.67-Sy957s )
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- No. 7 劇./ ( 東京 : 国際情報社, 1929-1932. )
9巻6号(1931.6)には、レビュー全盛期の宝塚歌劇団と松竹楽劇部の公演風景が掲載されています。表紙も松竹楽劇部の人気レビュー「春のをどり」出演者が飾っています。 ( 雑35-69 )
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- No. 8 日蓄(コロンビア)三十年史. /日本蓄音器商会 編. ( 川崎 : 日本蓄音器商会, 昭15. )
SPレコードを多数発行していたコロンビア社は、1910年(明治43年)に日本蓄音器商会として創業しました。宝塚少女歌劇団と松竹少女歌劇団について、レビュー全盛期の1930年(昭和5年)から1939年(昭和14年)にかけてのレコードの発売点数が記載されています。(p.106~107)年平均での発売点数は、昭和5年頃は約5点、昭和9年頃は約22点、昭和14年頃は約24点と、年々増えていることがわかります。 ( 773-157 )
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- No. 9 宝塚歌劇四十年史. / ( 宝塚 : 宝塚歌劇団出版部, 1954. )
小林一三は序文で、大劇場主義と新国民劇の創生についての、かねてからの想いを披露しています。写真により40年の歩みを振り返ることができます。 ( 766.7-Ta377t3 )
- No. 10 宝塚歌劇の変容と日本近代. /渡辺裕 著. ( 東京 : 新書館, 1999.11. )
宝塚歌劇の創設者小林一三は、宝塚歌劇を歌舞伎などの旧劇の改革の一案としての国民劇として構想していたと論じています。その例として、常磐津の流れを汲んだ演目「お夏笠物狂」や、人形浄瑠璃の定番「滋野井子別れ」の場面を題材にした歌劇「丹波與作」も紹介されています。また、東京への対抗としての宝塚という視点からの分析も紹介されています。 ( KD597-G90 )
- No. 11 日本文化モダン・ラプソディ. /渡辺裕 著 ( 東京 : 春秋社, 2002.11. )
歌舞伎などの伝統演劇と西洋音楽を融合し新しい演劇を作るという点において、演劇の改良を試みた劇作家・坪内逍遥と小林一三の思想が一致しているのではないかと論じています。 ( KD151-H1 )
- No. 12 松竹九十年史. / ( 東京 : 松竹, 1985.12. )
資料No.6『松竹七十年史』と同様、「松竹歌劇の六十年」の項では、創立からの歴史をスターや公演の紹介を通じて振り返っています。 ( KD6-71 )
- No. 13 OSK日本歌劇団の九〇年. /岡本 澄 ( 大阪の歴史 (79):2012.11 p.99-120 )
OSK日本歌劇団の歴史について記しています。同じ松竹楽劇団から派生した松竹歌劇団(SKD)は解散しましたが、OSK日本歌劇団は、運営母体は変化しながらも存続しています。 ( Z8-1687 )
- No. 14 少女歌劇の光芒 : ひとときの夢の跡/倉橋滋樹, 辻則彦 著. ( 東京 : 青弓社, 2005.8. )
大正時代中頃から、宝塚や松竹などの主要な団体以外にも、全国各地に様々な少女歌劇団が設立されていきました。本書には、全国各地の少女歌劇についての詳しい紹介があり、今日では関係資料がほとんど残っていない団体についても、元団員へのインタビューや個人所有の写真等が掲載されています。 ( KD597-H27 )
- No. 15 日本オペラ史 : ~1952/増井敬二 著 ; 昭和音楽大学オペラ研究所 編. ( 東京 : 水曜社, 2003.12. )
日本におけるオペラ史の一つとして、宝塚少女歌劇についても紹介されています。「2-6-5 本格的に活動を始めた宝塚少女歌劇、その他」(p.165~166)の項では、1921年3月~5月に上演された「ヘンゼルとグレーテル」について、「脚本を含めて正式に名作オペラをアレンジしたのは、宝塚ではこれが最初の筈である。」とあります。 ( KD338-H42 )
第2部 大流行する少女歌劇-大正から昭和にかけて-
2-1 宝塚歌劇団
- No. 16 オトギ歌劇ドンブラコ : 桃太郎/北村季晴 (成於) 著 ( 東京 : 共益商社, 1912.1. )
明治末期から大正にかけて、おとぎ話を題材としたお伽芝居と呼ばれる演劇が行われていましたが、創設期の宝塚少女歌劇では、それらを もとにした作品がしばしば上演されました。本資料は、おとぎ話「桃太郎」をモチーフにした北村季晴作詞・作曲の歌劇「ドンブラコ」の楽譜です。宝塚少女歌劇第1回公演「ドンブラコ」はこれをもとに上演されました。桃太郎が、犬野腕三郎・真白野猿之助・雉山拳蔵を引き連れて鬼が島に向かう内容です。北村季晴(きたむらすえはる)は、長野県歌「信濃の国」などをつくった作曲家です。 ( 特67-77 )
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- No. 17 歌劇十曲 再版. /小林一三 著. ( 宝塚町 (兵庫県) : 宝塚少女歌劇団, 1923. )
「歌劇雛祭」、「歌劇日本武尊(やまとたけるのみこと)」などの脚本のほか、公演写真も収録されています。小林一三は、劇団経営のみならず、脚本執筆にも携わりました。 ( 338-323イ )
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- No. 18 宝塚歌劇集 再版. /久松一声 著. ( 宝塚栄町 (兵庫県) : 宝塚少女歌劇団, 1924. )
「歌劇 中将姫」、「歌劇 三人猟師」などの脚本が収録されています。久松一声(ひさまついっせい)は、宝塚少女歌劇団初期の振付師で、宝塚人気の確立に大きく貢献しました。 ( 377-183イ )
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- No. 19 宝塚少女歌劇 : 東京帝国劇場上演脚本集/宝塚少女歌劇団 編. ( 大阪 : 阪神急行電鉄, 1918. )
1934年(昭和9年)に東京宝塚劇場ができるまで、東京では帝国劇場等で公演が行われていました。この脚本集には、「御伽歌劇 雛まつり」、「歌劇 三人獵師」、「喜歌劇 ゴザムの市民」、「歌劇 羅浮仙」、 「歌劇 コサツクの出陣」、「歌劇 下界」が収録されています。本書収録の「日本歌劇の第一歩」からは小林一三の歌劇観を知ることができます。 ( 特104-632 )
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- No. 20 宝塚少女歌劇 : 東京帝国劇場上演楽譜集/宝塚少女歌劇団 編. ( 大阪 : 阪神急行電鉄, 1918. )
資料No.19の脚本集に対応する楽譜集です。 ( 特104-428 )
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- No. 21 宝塚少女歌劇脚本集. 第7,10,12,23/宝塚少女歌劇団 編. ( 大阪 : 阪神急行電鉄, 1917-1921. )
「第23」の巻には、歌劇「邯鄲」(久松一声作)などの脚本が収録されています。 ( 特104-296 )
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- No. 22 お夏清十郎ものがたり : 特別展図録/姫路文学館 編. ( 姫路 : 姫路文学館, 2002.10. )
初期の作品の特徴として、歌舞伎や文楽などの演目を基にしたものが多いという点も挙げられます。「お夏笠物狂」は常磐津の流れを汲んだ演目で、初演は1920年(大正9年)、作者は久松一声です。 p.42に、「お夏笠物狂」プログラム(大正9年、池田文庫蔵)、絵はがき(池田文庫蔵)、雪組「お夏笠物狂」(昭和25年)の一場面(『歌劇』299号より転載)、ポスター(池田文庫蔵)が掲載されています。( KG748-H10 )
- No. 歴1 宝塚歌劇レヴュー:タカラヅカ・モン巴里/宝塚小女歌劇雪組生徒 ( 1937.6. )
岸田辰彌が欧米視察から帰国した1927年(昭和2年)に、宝塚大劇場で日本初のレビュー「モン・パリ」が上演されました。その主題歌です。岸田辰彌は劇作家・演出家で、オペラ歌手を経て1919年(大正8年)に宝塚歌劇に入りました。 ( 歴音 )
- No. 23 愛唱歌集 第2巻. /東京音楽書院編輯部 編. ( 東京 : 東京音楽書院, 1933. )
レビュー「モン・パリ」の生みの親である岸田辰彌による歌詞で、主題歌「モン・パリ」が楽譜とともに掲載されています。レビューの主題歌という枠を越えて、国民的な愛唱歌となっていた様子がうかがえます。 ( 特270-220 )
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- No. 24 SPレコードレーベルに見る日蓄-日本コロムビアの歴史/大西秀紀 編. ( 京都 : 京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター, 2011.3. )
京都市立芸術大学で行なわれた日本コロムビア社のレコードに関する展示会の図録です。邦楽レコードのレーベル意匠の変遷をたどる中で宝塚少女歌劇団のレコードの写真も紹介されています。p.30には、花組による「歌劇レヴユウ モンパリ(一)」が掲載されています。 ( DL731-J229 )
- No. 25 ライブラリー・日本人のフランス体験. 第16巻/和田博文 監修. ( 東京 : 柏書房, 2011.2. )
白井鐵造が欧米から帰国した1930年(昭和5年)にレビュー「パリゼット」が上演され、人気を博しました。本書収録の「宝塚少女歌劇脚本集.第138号」には、この「パリゼット」の脚本のほか、レビュー「ローズ・パリ」、「ラ・ロマンス」の主題歌の楽譜も収録されています。白井鐵造は、演出家・脚本家で、岸田辰彌に師事し、1921年(大正10年)に岸田とともに宝塚少女歌劇団に入りました。 ( GG336-J20 )
- No. 26 宝塚レヴュウ画集. /野島一郎 編. ( 東京 : 岡倉書房, 1934. )
野島一郎が舞台美術を手掛けたレビュー(「パリゼット」、「ローズパリ」、「花詩集」、「トウランドツト姫」など)の写真が収録されています。野島一郎は演出家で、白井鐵三からレビューの指導も受けました。巻末には「素顏の彼女たち」と題して当時のスター達の写真も収録されています。 ( 650-211 )
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- No. 歴2 宝塚歌劇:パリゼット(一)/白井 鐵造[作詞] 高木 和夫[編曲] 宝塚月組生徒 高木 和夫[指揮] ( 1930.7. )
白井鐵造作のレビュー「パリゼット」の主題歌です。この曲の原曲はフランスのシャンソン歌手・ミスタンゲットによるもので、これに日本語の歌詞がつけられています。編曲の高木和夫はドンブラコの音楽監督を務めるなど、初期の宝塚において指導的な役割を果たした作曲家です。 ( 歴音 )
- No. 歴3 宝塚歌劇:パリゼット(二):すみれの花咲く頃/白井 鐵造[作詞] フランツ・デール[作曲] 高木 和夫[指揮] 門田 芦子宝塚月組 ( 1930.7. )
レビュー「パリゼット」の主題歌「すみれの花咲く頃」が収録されています。現在でも度々歌われる、宝塚歌劇団を象徴するような楽曲です。 ( 歴音 )
- No. 歴4 宝塚歌劇:パリゼット(三)/白井 鐵造[作詞] 高木 和夫[編曲] 宝塚月組生徒 高木 和夫[指揮] ( 1930.7. )
レビュー「パリゼット」の中で歌われた「モンパルナス」です。歌詞の「フジタを気取り集まるところ・・」の「フジタ」は、当時のフランスで人気を博した洋画家・藤田嗣治(ふじたつぐじ)のことです。 ( 歴音 )
- No. 歴5 宝塚歌劇:パリゼット(四)/白井 鐵造[作詞] 高木 和夫[編曲] 宝塚月組生徒 高木 和夫[指揮] ( 1930.7. )
レビュー「パリゼット」の中で歌われた「恋、あやしきは恋」です。 ( 歴音 )
- No. 歴6 宝塚歌劇:TAKARAZUKA/白井 鐵造[作詞] 高木 和夫[作曲] 高木 和夫[編曲] 雪野 富士子雪組( 1930.11. )
レビュー「パリゼット」の中で歌われた「おお宝塚」です。 ( 歴音 )
- No. 歴7 リラの花咲く頃(Les Lilas)/L.Lelievre[作詞] H.Varna[作詞] ROTTER FRITZ[作詞] DOELLE FRANZ[作曲] H.Varna[作曲] F.Rouvray[作曲] 山田 早苗[編曲] 藤沢 嵐子オルケスタ・ティピカ東京 ( 1952.5. )
レビュー「パリゼット」の主題歌「すみれの花咲く頃」は、シャンソンであるこの歌を基にしています。 ( 歴音 )
- No. 歴8 宝塚歌劇レヴュー:花詩集(主題歌)/白井 鐵造[作詞] 須藤 五郎[作曲] 須藤 五郎[編曲] 葦原 邦子 大空 ひろみ 寳塚管絃樂團 ( 1933.12. )( 歴音 )
No. 歴9 宝塚歌劇レヴュー:花詩集(野菊可愛いや)/白井 鐵造[作詞] 須藤 五郎[作曲] 須藤 五郎[編曲] 久美 京子寳塚管絃樂團 ( 1933.12. )( 歴音 )
No. 歴10 宝塚歌劇レヴュー:花詩集(大将となるにも)/白井 鐵造[作詞] 須藤 五郎[作曲] 須藤 五郎[編曲] 三浦 時子寳塚管絃樂團 ( 1933.12. )( 歴音 )
No. 歴11 宝塚歌劇レヴュー:花詩集(鈴蘭の歌)/白井 鐵造[作詞] 須藤 五郎[作曲] 須藤 五郎[編曲] 葦原 邦子 寳塚管絃樂團 ( 1933.12. )
「花詩集」は白井鐵造作、1933年(昭和8年)初演のレビューです。翌1934年(昭和9年)に完成した東京宝塚劇場のこけら落し公演も、この花詩集でした。 ( 歴音 )
- No. 歴12 宝塚歌劇:「トゥランドット姫」春の唄/白井 鐵造[作詞] 須藤 五郎[作曲] 草笛 美子 寳塚少女歌劇声楽専科生 須藤 五郎[指揮] ( 1934.6. )( 歴音 )
No. 歴13 宝塚歌劇:「トゥランドット姫」アラビアの歌/白井 鐵造[作詞] 須藤 五郎[作曲] 夕張 ゆさ子 古 八重子 寳塚少女歌劇声楽専科生 須藤 五郎[指揮] ( 1934.6. )( 歴音 )
No. 歴14 宝塚歌劇:「トゥランドット姫」支那祭/白井 鐵造[作詞] 須藤 五郎[作曲] 草路 潤子 壽 三千代 寳塚少女歌劇声楽専科生 須藤 五郎[指揮] ( 1934.6. )( 歴音 )
No. 歴15 宝塚歌劇:「トゥランドット姫」ホテル・ペキン/白井 鐵造[作詞] 須藤 五郎[作曲] 桜井 七重 二條 宮子 寳塚少女歌劇團聲樂專科生 須藤 五郎[指揮] ( 1934.6. )
ゴッツィ作「トゥーランドット」をもとに白井鐵造が手掛けた公演です。草笛美子がトゥランドット姫を演じました。 ( 歴音 )
- No. 歴16 宝塚歌劇:ジャブジャブコント(湯もみ音頭)/楳茂都 陸平[作詞] 宝塚少女歌劇団[作曲] 大空 ひろみ 汐見 洋子 寳塚少女歌劇團 ( 1934.9. )
「ジャブジャブコント」は1933年(昭和8年)に公演が行われた楳茂都陸平(うめもとりくへい)作のレビューです。主題歌の一つであるこの曲は、民謡「草津湯もみ唄」をもとに作られています。楳茂都陸平は舞踊家(三代目楳茂都流家元)で、宝塚音楽歌劇学校教授を務めました。 ( 歴音 )
- No. 歴17 流行歌:シング・シング・シング (宝塚少女歌劇(マンハッタン・リズム)主題歌/宇津 秀男[作詞] 酒井 協[作曲] 酒井 協[編曲] 三浦 時子 ( 1937.5. )
「マンハッタン・リズム」は、アメリカ留学から帰国した宇津秀男によって作られたレビューです。1936年(昭和11年)に発表されたばかりのジャズのスタンダード・ナンバー「Sing, Sing, Sing」に日本語の歌詞がつけられ、主題歌として用いられています。宇津は、白井・岸田のフランスのレビュー(シャンソン)とは異なる、アメリカのショー(ジャズ)を導入しました。また、宝塚にロケット形式のラインダンスを取り入れたのも宇津です。宇津はかつて、振付家兼ドラマーとして大濱少女歌劇にも所属していました。 ( 歴音 )
- No. 27 日・独・伊親善芸術使節渡欧記念アルバム/東郷静雄 撮影 ; 宝塚少女歌劇団 [著]. ( [宝塚町 (兵庫県) ] : 宝塚少女歌劇団, 1939. )
1938年(昭和13年)に宝塚少女歌劇団がドイツ、ポーランド、イタリアで公演を行った際の写真集です。巻末には日誌も掲載されています。同盟国との関係強化という政府方針の下で企画されましたが、宝塚少女歌劇団にとっては、歌劇団の宣伝や海外展開の好機でもあったようです。 ( 特210-234 )
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- No. 28 私の演劇資料. 第1-4冊/秦豊吉 著. ( [東京] : 秦豊吉, 1950-1953. )
第4冊は、1938-39年(昭和13-14年)の宝塚少女歌劇団の欧州公演に同行した際の日記の抜粋です。秦豊吉は興業家、演出家、随筆家で、7代目松本幸四郎の甥です。この欧州公演の総監督を務めていました。 ( 770.4-H317w )
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- No. 29 宝塚渡米記. /渋沢秀雄 著. ( 東京 : 春陽堂書店, 1939. )
1939年(昭和14年)にサンフランシスコで万国博覧会が開かれるのに合わせて、政府は宝塚少女歌劇団を派遣しました。対日感情の悪化を文化外交で改善するねらいがあったようです。本書は、このアメリカ公演に総監督として同行した渋沢秀雄の日記です。渋沢秀雄は渋沢栄一の四男です。 ( 特234-920 )
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- No. 歴18 チェリー・ブロッサム(一) 序曲/宝塚文芸部∥案 宇津 秀男∥演出 津久井 祐喜[編曲] 小夜 福子[帰朝挨拶] 宮島 あさ子[唄] 宝塚管絃楽団 津久井 祐喜[指揮] ( 1939.9. )( 歴音 )
No. 歴19 チェリー・ブロッサム(二) お江戸日本橋/さくら幻想曲/さくら さくら/宝塚文芸部∥案 宇津 秀男∥演出 津久井 祐喜[編曲] 草笛 美子[独唱・琴] 宝塚管絃楽団 津久井 祐喜[指揮] ( 1939.9. )( 歴音 )
No. 歴20 チェリー・ブロッサム(三) 大漁踊り/安木節/宝塚文芸部∥案 宇津 秀男∥演出 津久井 祐喜[編曲] 三浦 時子[唄] 宝塚管絃楽団 津久井 祐喜[指揮] ( 1939.9. )( 歴音 )
No. 歴21 チェリー・ブロッサム(四) 宝塚音頭/宝塚文芸部∥案 宇津 秀男∥演出 津久井 祐喜[編曲] 雁音 路子[唄] 宝塚管絃楽団 津久井 祐喜[指揮] ( 1939.9. )( 歴音 )
No. 歴22 チェリー・ブロッサム(五) 素敵なビア・ガーデン/宝塚文芸部∥案 宇津 秀男∥演出 津久井 祐喜[編曲] 三浦 時子[唄] 宝塚管絃楽団 津久井 祐喜[指揮] ( 1939.9. )( 歴音 )
No. 歴23 チェリー・ブロッサム(六) エコー(こだま)/宝塚文芸部∥案 宇津 秀男∥演出 津久井 祐喜[編曲] 三浦 時子[唄] 宝塚管絃楽団 津久井 祐喜[指揮] ( 1939.9. )
「チェリー・ブロッサム」は、アメリカ公演で演奏した曲を収めたレコードです。「宝塚音頭」「安来節」「大漁踊り」は、資料No.29「宝塚渡米記」の公演記録にも記載があります。 ( 歴音 )
- No. 30 ベルサイユのばら : 池田理代子作より 宝塚グランドロマン. / ( 宝塚 : 宝塚歌劇団, 1990.3. )
宝塚歌劇創立75周年・フランス革命200年を記念して、1989年(平成元年)に「ベルサイユのばら」が再演されました。写真を中心に公演の様子を紹介しています。 ( KD597-E13 )
- No. 31 ベルサイユのばら : 昭和・平成総集編 宝塚グランドロマン./ ( 宝塚 : 宝塚歌劇団, 1991.8. )
昭和から平成にかけての「ベルサイユのばら」の公演を、写真を中心に振り返っています。巻末には「愛あればこそ」の楽譜の他、劇中で歌われた楽曲の歌詞も掲載されています。(「心のひとオスカル」、「ばらのスーベニール」など。) ( KD597-E20 )
- No. 32 宝塚歌劇柴田侑宏脚本選 : あかねさす紫の花ほか/橋本雅夫 編. ( 宝塚 : 宝塚歌劇団, 1989.8. )
宝塚歌劇専属の劇作家・演出家である柴田侑宏による下記5作品の脚本が収録されています。
・「あかねさす紫の花」
・「琥珀色の雨にぬれて」
・「小さな花がひらいた」
・「アルジェの男」
・「紫子」
また、柴田氏による各作品の背景紹介、出演者からのメッセージ、主題歌の楽譜なども収録されています。巻末には柴田侑宏作品の一覧表も掲載されています(資料No.33、34も同様)。 ( KD597-E11 ) - No. 33 宝塚歌劇柴田侑宏脚本選. 2/ ( 宝塚 : 宝塚歌劇団, 1990.12. )
柴田侑宏による下記5作品の脚本などが収録されています。
・「フィレンツェに燃える」
・「あしびきの山の雫に」
・「大江山花伝」
・「バレンシアの熱い花」
・「新源氏物語」
( KD597-E11 ) - No. 34 宝塚歌劇柴田侑宏脚本選. 3/ ( 宝塚 : 宝塚歌劇団, 1992.1. )
柴田侑宏による下記5作品の脚本などが収録されています。
・「星影の人」
・「エーゲ海のブルース」
・「川霧の橋」
・「うたかたの恋」
・「赤と黒」
( KD597-E11 ) - No. 35 植田紳爾脚本選 : 宝塚歌劇 「ベルサイユのばら」ほか/ ( 宝塚 : 宝塚歌劇団, 1990.12. )
宝塚歌劇専属の劇作家・演出家である植田紳爾による下記5作品の脚本や解説が収録されています。
・「おーい春風さん」(昭和42年2月・月組)
・「メナムに赤い花が散る」(昭和43年9月・花組)
・「海鳴りにもののふの詩が」(昭和56年8~9月・星組)
・「花供養」(昭和59年3~4月・専科中心)
・「ベルサイユのばら~フェルゼンとマリー・アントワネット編~」(平成元年9~11月・星組ほか合同)
また、巻末には宝塚大劇場で上演された植田紳爾作品の一覧も掲載されています(資料No.36も同様)。 ( KD597-E15 ) - No. 36 植田紳爾脚本選 : 宝塚歌劇. 2. / ( 宝塚 : 宝塚歌劇団, 1993.2. )
植田紳爾による下記6作品の脚本や解説などが収録されています。
・「春ふたたび」(昭和63年9~11月・花組)
・「引き潮」(昭和44年4月・専科中心)
・「若獅子よ立髪を振れ」(昭和49年6月・雪組)
・「友よこの胸に熱き涙を」(昭和55年11~12月・花組)
・「この恋は雲の涯まで」(平成4年3~5月・雪組)
・「戦争と平和」(昭和63年8~9月・星組)
( KD597-E15 )
2-2 松竹歌劇団、OSK日本歌劇団
- No. 37 ターキー自画像. /水の江滝子 著. ( 東京 : 少女画報社, 1933. )
ターキーとは、松竹少女歌劇で男装の麗人と謳われ活躍した水の江滝子の愛称です。ターキーが刈上げショートカットの男役として登場した公演「先生様はお人好し」(昭和6年6月公演)の写真が掲載されています。 ( 643-191 )
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- No. 38 ターキー舞台日記 : 続ターキー自画像/水の江滝子 著. ( 東京 : 少女画報社, 1934. )
1933年(昭和8年)6月、松竹少女歌劇の待遇改善を求めてのストライキ"桃色争議"が起こりました。水の江自身がこのストライキによる松竹退団、後の復帰について回想しています。巻末には、1933年(昭和8年)8月以降の出演年表も掲載されています。 ( 675-32 )
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- No. 39 私のアルバム. /時事新報社娯樂セクシヨン 編 ; 水の江瀧子 著. ( 東京 : 時事新報社, 1934. )
水の江本人の他、オリヱ津阪など他の男役スターと一緒の写真も収録されています。ターキーの生い立ち・経歴などについても記されています。 ( 614-163 )
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- No. 40 証言私の昭和史. 第1 (昭和初期)/東京12チャンネル報道部 編. ( 東京 : 学芸書林, 1969. )
「レビュー・ストライキ(水の江滝子,城戸四郎)」では、1933年(昭和8年)のストライキについて、水の江滝子が回想しています。 ( GB511-1 )
- No. 歴24 主題歌:東京をどり(SSK「東京踊り」主題歌)/安東 英男[作詞] 田代 与志[作曲] 井草 鈴子 松竹少女歌劇団声楽専科生 水の江 瀧子[(ナレーション)] ( 1937.9. )( 歴音 )
No. 歴25 主題歌:恋人同志でも(SSK「東京踊り」主題歌)/安東 英男[作詞] 田代 与志[作曲] 水の江 瀧子 松竹少女歌劇団声楽専科生 オリヱ 津坂[(ナレーション)] ( 1937.9. )( 歴音 )
No. 歴26 主題歌:この気持悪くない(SSK「東京踊り」主題歌)/安東 英男[作詞] 田代 与志[作曲] 水の江 瀧子 オリヱ 津坂[(ナレーション)] ( 1937.9. )( 歴音 )
No. 歴27 主題歌:瓢箪ルムバ(SSK「東京踊り」主題歌)/安東 英男[作詞] 佐藤 清吉[作曲] オリヱ 津坂 水の江 瀧子[(ナレーション)]( 1937.9. )( 歴音 )
No. 歴28 主題歌:紅絵売り(SSK「東京踊り」主題歌)/安東 英男[作詞] 浅井 挙曄[作曲] 熱海 芳枝 オリヱ 津坂[(ナレーション)] ( 1937.9. )
「東京踊り」は1930年(昭和5年)に初回公演が行われた後、毎年春の恒例となった松竹少女歌劇を代表する演目です。水の江滝子がナレーションを務めています。 ( 歴音 )
- No. 歴29 主題歌:夏祭(SSK「夏の踊り」主題歌)/安東 英男[作詞] 佐藤 清吉[作曲] オリヱ 津坂 水の江 瀧子[(ナレーション)] オリヱ 津坂[(ナレーション)]( 1937.9. )
1937年(昭和12年)7月に、浅草の国際劇場での公演が始まりました。主題歌を歌うオリヱ津阪は男役として活躍しました。 ( 歴音 )
- No. 歴30 主題歌:秋のブルース(SSK「秋の踊り」主題歌)/田賀 甫[作詞] 春野 八重子 水の江 瀧子[(ナレーション)] オリヱ 津坂[(ナレーション)] ( 1937.9. )
歌舞伎レビュー「秋の踊り」で歌われた曲です。 ( 歴音 )
- No. 歴31 主題歌:タンゴ・ローザ(SSK「タンゴ・ローザ」主題歌)/安東 英男[作詞] 紙 恭輔[作曲] 江戸川 蘭子 水の江 瀧子[(ナレーション)] オリヱ 津坂[(ナレーション)] ( 1937.09 )
「タンゴ・ローザ」は松竹レビュー始まって以来の傑作といわれ、公演回数は当時のレビュー界最高記録を樹立しました。 ( 歴音 )
- No. 歴32 主題歌:秘めよ汝が恋(SSK「忘れな草」主題歌) /青山 圭男[作詞] フネマイヤー[作曲] 水の江 瀧子 松竹少女歌劇団声楽専科生 水の江 瀧子[(ナレーション)] オリヱ 津坂[(ナレーション)] ( 1937.09 )
1936年(昭和11年)上演のレビュー「忘れな草」の主題歌である「秘めよ汝が恋」が大ヒットしました。 ( 歴音 )
- No. 41 松竹座名物「春のおどり」/大森正男 ( 上方. 4号(1931.4) )
大阪松竹楽劇部による「春のおどり」の舞台風景が掲載されています。中央に4大スターの一人である飛鳥明子がいます。 ( 雑19-156 )
- No. 42 松竹座樂劇部春の踊/ ( 芝居とキネマ. 5(5)(1928.5) )
大阪松竹楽劇部による大阪・松竹座での公演風景がp.4に掲載されています。 ( 雑35-65 )
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- No. 43 小島利男と私 : 都の西北と松竹少女歌劇/小島千鶴子 著. ( 東京 : ベースボール・マガジン社, 1994.10. )
著者は、東京松竹楽劇部で「小倉みね子」として活躍していました。入団初期からトップに抜擢された頃の思い出や、出会った人々との出来事などが記されています。 ( KD962-E497 )
- No. 44 上方芸能./大阪 : 『上方芸能』編集部 ( 2003.12-2012.9. )
肥田晧三氏による連載「松竹少女歌劇の足跡(1)~(33)」には、結成後初の公演に関する新聞記事や草創期に関する関係者の回顧談、筆者蔵のブロマイド写真などが収録されています。 ( Z11-1433 )
- No. 45 田辺聖子全集. 第19巻 /田辺聖子 著 ( 東京 : 集英社, 2006.3. )( KH596-H488 )
No. 46 田辺聖子全集. 第20巻 /田辺聖子 著 ( 東京 : 集英社, 2006.4. )
「道頓堀の雨に別れて以来なり--水府泡幻--川柳誌『番傘』を率いた広告界の異才岸本水府の生涯」が掲載されています。OSK日本歌劇団の劇団歌「桜咲く国」は、大阪の川柳作家岸本水府が作詞しました。この項は岸本にまつわる随想です。19巻にはOSKに関する記載があり、OSKの主題歌である「桜咲く国」の歌詞や楽譜が掲載されています。 ( KH596-H501 )
第3部 全国に広がる少女歌劇
3-1 赤玉少女歌劇団(大阪府)
- No. 47 ムーランルージユカーニヴァル : 赤玉少女歌劇特別公演/赤玉少女歌劇団 [編]. ( 大阪 : 赤玉少女歌劇団, 1935. )
赤玉少女歌劇は、大阪・道頓堀のカフェー赤玉(キャバレー赤玉)専属の歌劇団として、1927年(昭和2年)に誕生しました。本書では、特別公演「ムーランルージユカーニヴァル」の様子が写真を中心に紹介されています。また、歌劇団についての説明として、研究予科と専科とに分かれており、気品ある女生徒を養成する学園である、といった内容の記載もあります。なお、このカフェー赤玉には、作曲家・服部良一も当時サックス奏者として出演していました。 ( 特252-902 )
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- No. 48 大阪の20世紀/産経新聞大阪本社社会部 著. ( 大阪 : 東方出版, 2000.7. )
「カフェー「赤玉」 一世風靡した夜の社交場」(p.216~219)には、『ステージにあでやかなドレスの少女たちが現れた。宝塚の少女歌劇団を参考に作られた「赤玉歌劇団」だった。レビューが終わると客にさかんに手を振って、笑顔を振りまいた。』とあります。 ( GC161-G22 )
3-2 河合ダンス(大阪府)
- No. 49 大大阪画報/大大阪画報社 編. ( 大阪 : 大大阪画報社, 1928. )
河合ダンスは、道頓堀にあったお茶屋「河合」にて1921年(大正10年)に芸妓のみで結成されました。主宰者は、店の主人・河合幸七郎です。 p.857以降には、河合幸七郎の肖像画や河合ダンス創立の経緯、主要団員の写真などが掲載されています。 ( 576-64 )
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- No. 50 帝劇の五十年/帝劇史編纂委員会 編. ( 東京 : 東宝, 1966. )
「河合ダンスそのほか」(p.195~196)の項で、河合ダンスが帝国劇場出演に向け、「かなり長期の訓練を課してのち、初日をあけていた」とあります。家族連れなどからも人気を得て、1925年(大正14年)の初演以降、1933年(昭和8年)までほぼ毎年公演を行っていました。 ( 770.67-Te143 )
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- No. 51 芝居とキネマ. 2(6) 1925.6 / ( 大阪 : 大阪毎日新聞社, 1924- )
「水の精 駒菊」として、河合ダンスのスター・駒菊の写真が掲載されています。資料No.14『少女歌劇の光芒』に、駒菊の紹介として、「芸妓が在来の三味線と舞扇だけに執着していては時代に遅れます。(…)駒菊という芸妓はフランスに留学してダンスを勉強し、女性ばかりのこの劇団のスターになったという。」とあります。 ( 雑35-65 )
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- No. 52 芸妓もすなるダンス大阪島之内河合ダンス物語/芝田江梨 ( 大阪春秋. 36(4) (通号 133) 2009.新年 )
河合ダンスのあゆみを、当時の雑誌記事や絵葉書などとともに紹介しています。芸妓のみで構成され、タップダンスなども取り入れた公演を行っていました。 ( Z8-1053 )
- No. 53 日本芸能史. 第7巻 (近代・現代)/芸能史研究会 編. ( 東京 : 法政大学出版局, 1990.3. )
「花ひらくレビュー時代」(p.96~100)で、河合ダンスが取り上げられています。団員達は、パリなど欧米でのショーを実際に見て回ったとのことで、ダンスのみならず、アコーディオンなど様々な楽器と音楽を日本に紹介しました。駒菊の写真(「河合ダンスグラヒック」からの抜粋で、ノークタンでの1コマ)も掲載されています。 ( KD22-30 )
- No. 歴33 新浦島(器楽合奏)/河合ダンス少女団菊弥[木琴] 政栄[サキソフォン] 二三子[ピアノ] ( 1930.10. )( 歴音 )
No. 歴34 アメリカン・パトロール/F.W.MEACHAM[作曲] 河合ダンス団 菊弥( 1929.2. )( 歴音 )
No. 歴35 カルメン抜粋曲/G.BIZET[作曲] 河合ダンス団 せき子 ( 1929.2. )( 歴音 )
No. 歴36 兎と亀/マルタ鈴とサキソフォン/石原 和三郎[作詞] 納所 弁次郎[作曲] 河合ダンス少女団 RIESE FRIEDRICH WILHELM[作詞] FLOTOW VON FRIEDRICH[作曲] ( 1930.12. )( 歴音 )
No. 歴37 軽騎兵/F.V.SUPPE'[作曲] 河合ダンス少女団 河合 菊弥[木琴] 二三子[ピアノ伴奏] ( 1930.12. )
資料No.50『帝劇の五十年』には、「いちばん人気のあった駒菊をはじめ、里三、君子、ゆき栄、政栄、菊弥、里松らのスターの名を今も記憶している老ファンも(…)。」と、芸妓の名前が挙げられています。政栄や菊弥は資料No.歴33『新浦島(器楽合奏)』などにも演奏者として名前があり、木琴やサキソフォンの演奏を行っていたことがわかります。 ( 歴音 )
3-3 大濱少女歌劇(大阪府)
- No. 54 開通五十年/南海鉄道株式会社 編. ( 大阪 : 南海鉄道, 1936. )
堺市にあった大浜汐湯で公演をしていた大濱少女歌劇の写真が掲載されています。大浜汐湯は南海鉄道が経営していたレジャー施設で、大浴場や水族館のほか、少女歌劇専用の劇場も備えていました。 ( 638-194 )
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- No. 55 芝居とキネマ. 2(1) 1925.1/ ( 大阪 : 大阪毎日新聞社, 1924- )
「堺大濱少女歌劇団」と題して、公演の一場面の写真が掲載されています。 ( 雑35-65 )
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- No. 56 南海沿線百年誌/南海道総合研究所 編. ( 大阪 : 南海電気鉄道, 1985.5. )
『盛衰極まりなき「潮湯」と「少女歌劇」』(p.183~184)にて、大濱少女歌劇が紹介されています。芸名には、「紀の川」美代子など阪堺電気軌道や南海鉄道の駅名をとっていた、とあります。 ( GC143-34 )
3-4 青黛座(せいたいざ)(福岡県)
- No. 57 博多大正世相史/井上精三 著. ( 福岡 : 海鳥社, 1987.8. )
筝曲の師匠であった井上胡蝶(いのうえこちょう)は、1921年(大正10年)に福岡・大濠で開かれた子供博覧会で、自作の少女歌劇の公演を行いました。(「少女歌劇」p.192~194)その後、博多少女歌劇養成会を設立し、生徒を青黛座(せいたいざ)の座員として公演に出演させるようになりました。(「青黛座」p.194~197) ( GC267-E3 )
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- No. 58 少女歌劇集. 第1編 /松居豊三郎 編. ( 福岡 : 博多歌劇協会, 1923. )
「胡蝶の夢」など青黛座で演じられた公演の脚本16編が収められています。「博多少女歌劇養成会専属青黛座規則」も掲載されており、宝塚歌劇音楽学校と類似の劇団養成課程を擁していたことがわかります。 ( 329-332 )
- No. 59 博多少女歌劇「青黛座」について(2) /田畑きよ子 ( 館報池田文庫. 29号(2006.10) )
宝塚少女歌劇場が全焼した頃、宝塚歌劇の偽物騒動がありましたが、その正体は、青黛座ではなく中野興行社だったという論文です。なお、掲載誌を発行している池田文庫は、宝塚少女歌劇を始め、広く演劇関係資料を所蔵している図書館です。 ( Z21-2363 )
3-5 鶴見園女優歌劇(大分県)
- No. 60 大別府案内 : 世界一大温泉府/安部登 著述・編. ( 東京府 : 南郷山荘, 1937. )
鶴見園は現在の大分県別府市にあった遊園地です。1925年(大正14年)、実業家・松本勝太郎によって作られました。「鶴見園大遊園地」の項で、「九州の宝塚新温泉場だと言へば最も適当」「宝塚松竹に次いで第三位を占むる女歌劇場」と紹介されています。(p.92~93) 資料No.14『少女歌劇の光芒』には、「行って御覧よ 鶴見ヶ丘へ 別府名所で名も高い」といったラインダンスの際に流れる歌の歌詞も掲載されています。( 特228-99 )
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- No. 61 絵の国豊前豊後/大仏次郎 著等. ( 東京 : 九州風景協会, 1934. )
鶴見園見物の際に、大仏次郎らが少女歌劇を観劇したとあります。「ここの歌劇が、やがて宝塚の名を凌ぐようになるのも、あまり遠くはないだらう。」と述べています。(p.22~25) ( 661-44 )
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- No. 62 絵はがきの別府 : 古城俊秀コレクションより/松田法子 著 ; 古城俊秀 監修. ( 東京 : 左右社, 2012.5. )
温泉プールの前でポーズをとる少女歌劇の専属女優たちの写真が掲載されています。(p.204) ( GC285-J78 )
3-6 羽田歌劇(広島県)
- No. 63 呉市主催国防と産業大博覧会誌/呉市 編. ( 呉 : 呉市, 1936. )
羽田歌劇とは、広島市にある料亭「羽田(はだ)別荘」において結成された少女歌劇団です。「国防と産業大博覧会」に出演した羽田歌劇の写真と演目名が掲載されています。(p.549~550) ( 708-79 )
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- No. 64 山陽路の女たち /広島女性史研究会 編著. ( 東京 : ドメス出版, 1985.2. )
「羽田別荘少女歌劇団(広島県) 台湾・満州まで巡演」(p.61~63)の項で、羽田謙次郎が少女歌劇を設立した経緯、初演の公演名などが記載されています。劇団スターの磯部孝子の写真も掲載されています。 ( EF72-449 )
3-7 だるま屋少女歌劇(福井県)
- No. 65 だるま屋百貨店主坪川信一の偉業/藤田村雨 著. ( 東京 : 丁酉社, 1938. )
1930年(昭和5年)、福井のだるま屋百貨店(現西武福井店)の経営者であった坪川信一によって、少女歌劇部が設立されました。坪川は店員や歌劇部生徒に教育者としての態度を保っていたと記されています。(p.113) ( 特219-603 )
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- No. 66 新・ふくい女性史 : 近代から現代へ 福井の光と影に生きる/田中光子 著. ( 福井 : 勝木書店, 1994.8. )
「だるま屋少女歌劇のスターたち 市民に夢を贈る」(p.286~300)にて、厳しいレッスンの様子や劇団員の生活などが紹介されています。 ( EF72-E614 )
- No. 67 加賀・越前と美濃街道 /隼田嘉彦, 松浦義則 編. ( 東京 : 吉川弘文館, 2004.5. )
「(2)百貨店だるま屋と少女歌劇」(p.250~256)では、「コドモ中心のデパート」だるまや百貨店が設立され、そこの別館「コドモの国」で公演を行っていただるま屋少女歌劇が紹介されています。公演演目名も記載されています。 ( GC94-H18 )
- No. 68 近代日本の都市と農村 : 激動の一九一〇-五〇年代/田崎宣義 編著. ( 東京 : 青弓社, 2012.3. )
6章「一九三〇年代の地方都市百貨店とモダニズム―福井市・だるま屋を事例に」(p.197~226)では、だるま屋百貨店の経営・営業を例に、1930年代における地方都市モダニズムについて論じられています。だるま屋少女歌劇の公演について、『子どもから大人まで楽しめるように構成されており、肩の凝らない内容をジャズなどの洋楽に乗せて演じた「モダン」な香り漂う娯楽だったといえる』と述べています。 ( EC114-J33 )
3-8 粟ヶ崎少女歌劇団(石川県)
- No. 69 ふるさと石川歴史館/橋本澄夫 [ほか]編. ( 金沢 : 北國新聞社, 2002.6. )
粟ヶ崎遊園は、現在の石川県内灘町にあった遊園地で、1928年(昭和3年)には少女歌劇の公演も始まりました。『「北陸の宝塚」粟ヶ崎遊園 不毛の砂丘に誕生した一大パラダイス』(p.420~421)に、粟崎少女歌劇のレビュー風景、公演のプログラムなどの写真が掲載されています。粟ヶ崎遊園とそこに到達する鉄道の浅野川電鉄を創設したのは平澤嘉太郎です。平澤は、宝塚創設者である小林一三の影響を受け、鉄道の終点に遊園地を開き、乗客を呼び込むというビジネスモデルを採用しました。資料No.14『少女歌劇の光芒』には、団歌「アワガサキ乙女の歌」も紹介されており、「朗らかに清く正しく美しく」という歌詞からも、宝塚歌劇の影響の大きさがわかります。 ( GC94-H1 )
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- No. 70 加賀と能登/青柳真三郎 著. ( 金沢 : 北国夕刊新聞社出版部, 1934. )
「郊外を行く 粟ヶ崎遊園」(p.32~34)では、粟ヶ崎遊園が「どうです、宝塚以上でせう。」と会話調で紹介されています。 ( 特233-238 )
- No. 71 郷土内灘. / ( [内灘町 (石川県) ] : 内灘町教育委員会社会教育課, 1988.5. )
巻頭1ページ目に「北陸の宝塚"粟ヶ崎遊園"」と題して、粟ヶ崎遊園の鳥瞰図、「春のをどり」のポスターなどが紹介されています。また、「2.粟ヶ崎遊園」(p.21~24)では、粟ヶ崎遊園全体についての説明があるほか、人気スター壬生京子の写真も掲載しています。「北陸には北陸のモダニズムを」と提唱する文化コミュニティについての言及もされています。 ( GC96-E8 )
3-9 銀の星少女歌劇団(新潟県)
- No. 72 吉田町史. 資料編 6(民俗)/吉田町 編. ( 吉田町 (新潟県) : 吉田町, 2002.3. )
「小林千代子と少女歌劇」(p.17)に、「翌年1月には小林千代子歌劇学校を銀の星歌劇学校と改め、「狸囃桜御殿」などの新作披露公演を行っている。」とあります。小林は松竹楽劇部に所属し、退団後歌手として活躍しました。戦中、新潟県の吉田町に疎開していましたが、戦後同地で少女歌劇を設立しました。 ( GC87-G57 )
3-10 浅草オペラ(東京都)
- No. 73 浅草オペラ物語 : 歴史、スター、上演記録のすべて/増井敬二 著. ( 東京 : 芸術現代社, 1990.5. )
浅草オペラは、大正時代、浅草六区を中心に上演されたオペラやミュージカルの総称で、1916年(大正5年)5月、アメリカで踊りを習ったという高木徳子の一座が浅草で公演して評判を得たのが始まりです。本格的なオペラを上演したものの人気を得られず解散した帝国劇場や赤坂ローヤル館のオペラ関係者も加わり、様々な劇団により、オペラやオペレッタをより大衆的にした作品が上演され人気を博しました。その中には「日本歌劇協会」という少女歌劇団や、宝塚入団前の岸田辰彌が所属していた「新星歌舞劇団」などがありました。 ( KD338-E79 )
3-11 花月園少女歌劇(神奈川県)
- No. 74 鶴見花月園秘話 : 東洋一の遊園地を創った平岡廣高 : 鶴見ゆかりの人物誌/齋藤美枝 著. ( 横浜 : 鶴見区文化協会, 2007.12. )
鶴見花月園は、横浜市鶴見区に1914年(大正3年)に開園した遊園地です。1922年(大正11年)には花月園少女歌劇が結成されました。児童雑誌「赤い鳥」で有名な児童文学者・鈴木三重吉も、同園内に1925年(大正14年)に設立された「日本児童歌劇学校」の顧問を務めていました。「花月園少女歌劇」(p.251~267)の項では、上演演目のほか、「東の宝塚」と呼ばれ人気を博していたこと、また男性団員もいたことが紹介されています。上述の歌劇学校でも男子生徒の募集をしていたようです。口絵には、公演場面、楽譜、レコード等の写真も掲載されています。 ( GK52-J11 )
- No. 75 「ダンス!20世紀初頭の美術と舞踊」展/栃木県立美術館 編. ( 宇都宮 : 栃木県立美術館, 2003. )
恩地孝四郎が演出を手掛けた作品の公演写真が掲載されています。(p.45)また、花月園少女歌劇のために書き下ろした戯曲集「ゆめ : 童話歌劇小曲集」も紹介されています。(p.44)恩地は版画家、装本家で、萩原朔太郎の「月に吠える」や「北原白秋全集」などの装丁を手がけました。 ( K16-H111 )
3-12 大和屋少女連(大阪府)
- No. 76 「大和屋女将の語る昭和のサムライたち」第1回/櫻川 一郎 ( 本の話. 10(7) (通号 110) 2004.7 p.58~61 )
南地大和屋は、大阪市宗右衛門町にあった老舗料亭で、司馬遼太郎を始め、多くの文化人や財界人が常連となっていました。資料No.49『大大阪画報』にも「浪花の誇り 大和屋の経営ぶり」という項があり、p.832、836、841に大和屋少女連の写真が掲載されています。「宝塚歌劇団」を作った小林一三が後に、「宝塚歌劇は、『大和屋少女連』がヒントになった」といっていたそうだ、との記述も見られます。(p.61) ( Z21-B300 )
3-13 甲陽園少女歌劇(兵庫県)
- No. 77 昔西宮名所独案内 : 第18回特別展展示案内図録/西宮市立郷土資料館 編. ( [西宮] : 西宮市立郷土資料館, 2003.7. )
「甲陽園甲陽劇場」の写真と紹介文が掲載されています。(p.19)『「宝塚」のような郊外レクリエーション地域として発展し、(…)劇場では少女歌劇などが上演された』とのことです。 ( Y121-H1240 )
3-14 塩江温泉少女歌劇(香川県)
- No. 78 『目で見る高松・東讃の100年』/和田仁 監修. ( 名古屋 : 郷土出版社, 2000.7. )
塩江温泉少女歌劇は、香川県・塩江温泉の花屋旅館にありました。「少女歌劇のレビュー」(p.61)に写真があります。 ( YP5-928 )
3-15 裵亀子(ペクジャ)歌劇団(朝鮮)
- No. 79 韓流ブームの源流/高祐二 著. ( 東京 : 社会評論社, 2012.6. )
「韓流ブームの先駆け~裵亀子(ペクジャ)歌劇団」(p.111~115)の項で裵亀子歌劇団の紹介があります。裵亀子は、当時日本で人気だった奇術師松旭斎天勝の養女でしたが、独立し朝鮮独自の舞踊を追求しました。後に吉本興業と専属契約を結び、日本でも公演を行うようになりました。 ( KD91-J6 )
3-16 支那少女歌劇(シンガポール)
- No. 80 南方演芸記 (アジア学叢書69)/小出英男 著. ( 東京 : 大空社, 2000.4. )
松竹の小出英男がシンガポールで、支那少女歌劇に「桃太郎」を演出しました。ルーズベルト、チャーチル、蒋介石などを鬼の役にしました。 ( KD91-G1 )
第4部 様々な少女歌劇論
4-1 誕生当時から戦前まで
- No. 81 女盛衰記 : 女優の巻/三楽流子 等著. ( 東京 : 日本評論社, 1919. )
「宝塚の少女歌劇」の項(p.181)に「私はこの歌劇を観て、云い知れぬ清らかな美しい快い魅惑を覚えた。」「坪内士行のような確りした人を持っている宝塚少女歌劇!その前途はどう発展してゆくか。最も末頼もしき興味である。」とあります。坪内士行は、劇作家・評論家で、坪内逍遥の甥です。宝塚少女歌劇の創設期から関わっていました。 ( 特108-18 )
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- No. 82 ぺラゴロ双紙(寳塚叢書. 第7編)/青柳有美 著. ( [良元村 (兵庫県) ] : 宝塚少女歌劇団出版部, 1924. )
青柳有美は明治から昭和時代前期のジャーナリスト・随筆家です。青柳お気に入りの宝塚の生徒について論じたり、宝塚という組織に対する悪評に反論したりしています。また、宝塚歌劇は日本物と洋物との調和がとれているとも述べています。なお、タイトルの「ペラゴロ」とは「オペラごろつき」の略(またはオペラのペラとフランス語のジゴロgigoroの合成)で、オペラの熱狂的ファンを指します。小林一三による序文も収録されています。( 515-98 )
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- No. 83 レヴユウと舞踊/中村秋一 著. ( 東京 : 三笠書房, 1933. )
「少女歌劇論」(p.53~60)の項で、歌舞伎の女形と少女の男装との関連を指摘するとともに、少女のみのレビューからは脱皮すべきだと述べています。松竹少女歌劇団の養成指導などにもあたった演出家・青山杉作による序文も収録されています。 ( 650-139 )
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- No. 84 私の小説勉強 : 高見順評論随筆集/高見順 著 ( 東京 : 竹村書房, 1939. )
「雑嚢 『五、 少女歌劇論』」の項(p.159~168)では、少女歌劇を子供だましと見なす風潮に対して、恋愛の美しさを見せる少女歌劇の魅力について述べています。高見順は、戦後に日本近代文学館の創設に尽力した作家です。 ( 782-215 )
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- No. 85 文芸的雑談/高見順 著. ( 東京 : 昭森社, 1940. )
「フアン的雜談 『六 幻滅の少女歌劇』」の項(p.292~302)で高見は、スターとなれない生徒たちの将来を嘆いています。 ( 914.6-Ta43-5ウ )
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4-2 戦争を経て現代へ
- No. 86 ぼくはマンガ家 : 手塚治虫自伝. 1/手塚治虫 著. ( 東京 : 大和書房, 1988.5. )
少年時代を宝塚で過ごした漫画家・手塚治虫は、宝塚歌劇団の影響を受けて育ちました。少女マンガ「リボンの騎士」誕生ついての話など、宝塚歌劇に関する思い出が語られています。 ( KC486-E14 )
- No. 87 手塚治虫のふるさと・宝塚/河内厚郎 編著 ; のじぎく文庫 編. ( 神戸 : 神戸新聞総合出版センター, 1996.12. )
ベルサイユのばらの原作者や宝塚歌劇団の演出家らが対談したミュージカルフォーラム「手塚治虫と宝塚歌劇」、手塚治虫と宝塚の関わりを論じた論考を掲載する「ふるさと・宝塚」、手塚治虫記念館についての想いを述べた「夢のミュージアム」の3部構成です。 ( KC486-G114 )
- No. 88 宝塚-1-ベルばら観察ノ-ト/田村紀雄 ( 朝日ジャーナル朝日新聞社, 18(32)(913) 1976年8月号 )
1974年(昭和49年)初演の「ベルサイユのばら」の大ヒットの要因は、愛と革命を扱ったからではないかと論じています。(p.49~50) ( Z23-7 )
- No. 89 インタヴュー「少女歌劇のシステム-南青山少女歌劇団のケーススタディ」 / /新川貴詩 ( Les Specs. 39(9)(476) 1992年9月号 )
宝塚に着想を得て設立された南青山少女歌劇団についての記事です。(p.62~63) ( Z11-238 )
- No. 90 タカラヅカ愛讃々/下瀬直子 編著. ( 神戸 : 神戸新聞総合出版センター, 1992.4. )
著者が宝塚歌劇団編集部に勤務していた時期のエピソードを交えながら、安奈淳、鳳蘭などのタカラジェンヌとの思い出や、宝塚歌劇団についての思いを綴っています。 ( KD597-E24 )
- No. 91 Takarazuka phoenix : 阪神大震災を乗り越えてタカラジェンヌからの熱いメッセージ/名取千里 著 ; ウィズたからづか編集室 編. ( 大阪 : あさひ高速印刷出版部, 1996.7. )
阪神・淡路大震災により、宝塚大劇場も被害を受けました。その震災から公演再開までの様子がタカラジェンヌ達などの言葉を交えて紹介されています。 ( KD597-G33 )
- No. 92 「図解」ビバタカラヅカ! 改訂版/PHP研究所 編. ( 東京 : PHP研究所, 1994.9. )
巻頭で宝塚歌劇団の略史を写真とともに紹介しています。宝塚音楽学校の様子や、宝塚大劇場の舞台装置や稽古場などを図解で説明しています。 ( KD597-E50 )
- No. 93 宝塚 : イラスト版オリジナル/梅原理子 文 ; 乙原愛 イラスト. ( 東京 : 現代書館, 1994.10. )
宝塚歌劇団の歴史、タカラジェンヌの入団から退団までの流れ、ファンクラブなどについて、イラストを織り交ぜながら解説しています。 ( KD597-E53 )
- No. 94 不思議の花園タカラヅカの秘密/すみれソサイエティー 著. ( 東京 : 文化創作出版, 1994.6. )
タカラジェンヌや、裏方の事情などについて、問答形式で記されています。 ( KD597-E47 )
- No. 95 タカラヅカの秘密ふたたび : 不思議の花園2/すみれソサイエティー 著. ( 東京 : 文化創作出版, 1997.4. )
出演俳優の裏事情や、ファンクラブなどについて記されています。 ( KD597-G35 )
- No. 96 宝塚の香気 : オスカルからポスト・フェミニズムへ/荷宮和子 著. ( 東京 : 広済堂出版, 1995.8. )
宝塚歌劇の作品選択の仕組み、作劇の手順、登場人物の描き方のほか、宝塚ファンについても分析しています。 ( KD597-G9 )
- No. 97 タカラヅカ・ベルエポック : 歌劇+歴史+文化=宝塚 /津金澤聡廣, 名取千里 編著. ( 神戸 : 神戸新聞総合出版センター, 1997.9. )
「タカラヅカ文化」を中心テーマとして、宝塚歌劇団の歴史、宝塚歌劇と阪神大震災、宝塚歌劇に対する随想など、様々な論考を掲載しています。 ( KD597-G43 )
- No. 98 宝塚 : 消費社会のスペクタクル/川崎賢子 著. ( 東京 : 講談社, 1999.1. )
宝塚歌劇団を、誕生した時代背景や、ジェンダーの視点から分析しています。 ( KD597-G61 )
- No. 99 近代日本の音楽文化とタカラヅカ/津金澤聰廣, 近藤久美 編著. ( 京都 : 世界思想社, 2006.5. )
宝塚少女歌劇の変遷を、音楽の観点から分析しています。「北陸のタカラヅカ」とよばれた粟ヶ崎遊園少女歌劇隊についても、北陸文化との関わりから論じています。 ( KD597-H33 )
- No. 100 宝塚という装置/青弓社編集部 編. ( 東京 : 青弓社, 2009.3. )
宝塚歌劇について、俳優、作品、宝塚歌劇における西洋と日本の交わり、男役など、多様な切り口の論考を収めています。 ( KD597-J14 )
- No. 101 宝塚ファンの社会学 : スターは劇場の外で作られる/宮本直美 著. ( 東京 : 青弓社, 2011.3. )
ファンクラブの仕組み、活動内容を詳述するとともに、ファンがスター形成に寄与していることを論じています。 ( KD597-J28 )
- No. 102 特集 宝塚歌劇は深化する--100年への架け橋/ ( 上方芸能.(通号 174) 2009.12 )
宝塚歌劇団の経営者、演出家、出演者、研究者などが、様々な角度から同劇団を展望しています。 ( Z11-1433 )
- No. 103 レコードから聞こえてくる少女歌劇の世界--宝塚とOSKを中心に/吉河 悟史. ( 大阪の歴史.(66) 2005.7 p.29~53 )
関西に拠点を置く2つの少女歌劇のレコードに注目した論考です。著者所蔵のレコードから、収録曲の分析を行っています。 ( Z8-1687 )
- No. 104 "OSK"復活のゴールはいつ!?--名称使用に「待った」やメンバー不足 新生名門劇団が乗り越えるべき課題/福原 一緒 ( イグザミナ.(通号 196) 2004.1 p.14~17 )
OSK日本歌劇団が、近鉄からの支援打ち切りを受けて、市民劇団として再生しようとしている姿を紹介しています。和倉温泉「加賀屋」では、現役劇団員やそのOGによる「雪月花歌劇団」が編成されているとあります。 ( Z23-576 )
- No. 105 (特集)花萌ゆる いま-OSK90周年/ ( 上方芸能.(通号 186) 2012.12 )
OSK日本歌劇団の今後を展望しています。 ( Z11-1433 )
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