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ネーデルランドに印刷術が伝わったのは1473年のことで、オランダのユトレヒトとベルギーのアロストにもたらされました。ユトレヒトで最初に印刷を始めたのはNicolaus KetelaerとGerardus de Leemptの二人で、2年間で30点ほどのインキュナブラを印刷しています。アロストで最初に印刷を始めたのはJohhanes de WestfaliaとThierry Martensの二人ですが、Johhanes de Westfaliaは翌年にはルーヴァンへ移り、同地の多作な印刷者となりました。ヨハン・フェルデネルはヴュルツブルクの出身でケルンで印刷術を学びました。1475年頃にルーヴァンで印刷を始め、1478年にユトレヒトに移ってきた印刷者です。1483年にはクレムボルフに移っており、全体で40点ほどのインキュナブラが知られています。彼のバタード体活字はウィリアム・キャクストンの活字に影響を与えたといわれています。 |
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アントワープに印刷術をもたらしたのはMathias van der Goesで、1481年のことでした。ヘラルト・レーウは1477年に生地ハウダで印刷を始め、1484年からアントワープに移った多作な印刷者です。本書のような挿絵入り本の印刷を得意とし、全部で200点以上のインキュナブラが知られています。また両都市で用いたのべ13種の活字が知られています。 「創造物の道徳的対話」は14世紀頃、北イタリアで作られた寓話集で、1480年にハウダでレーウが初めて印刷しました。蘭・仏語への翻訳を含めると全部で14の版が知られていますが、うち8版はレーウが印刷したものです。 |
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ブレダ出身のペター・ファン・オスは多作な印刷者でツヴォレで11種の活字を用いて122点のインキュナブラを印刷しました。本書は14世紀始めにシュトラスブルクでカルトゥジオ会修道士サクソニアのルドルフス (c.1295-1377) により書かれたキリスト伝で、インキュナブラとしても多く印刷され、ラテン語版18点、カタロニア語版5点、オランダ語版5点、フランス語版3点、ポルトガル語版1点が知られています。 |