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印刷術がフランスに伝わったのは1470年のことで、ヨハン・ハインリンとギヨーム・フィシェの招きで3人のドイツ人 (Ulrich Gering、Martin Crantz、Michael Friburger) がパリで印刷を始めました。彼等は1477年頃までに50点ほどのインキュナブラを印刷しました。その後ウルリッヒ・ゲーリングは単独で、あるいはG. MaynyalやB. Rembolt等と共同で印刷を続け、100点ほどのインキュナブラを印刷しています。ゲーリングの用いた15種の活字が知られています。 グイド・デ・モンテ=ロケリ (d.c.1350) はスペインの神学者で、神父向けの指導書「司牧者の手引き」は広く使われ、120点近くのインキュナブラが知られています。最初に印刷したのは上記の3人のドイツ人で1473年のことでした。ゲーリングは本書を印刷した後、1480年にも「司牧者の手引」をGuillermus Maynyalと共同で印刷しています。 |
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ジャン・ボノムはパリで最初のフランス語インキュナブラ (「フランス年代記」1477) を印刷したパスキエ・ボノムとは親戚関係であり、ジャンがパスキエを引き継ぐ形で印刷を行いました。両者併せて30点ほどのインキュナブラが知られています。 フランス王シャルル7世 (1403-61) はバーゼル公会議 (1431-37) で提出された国家教会主義を1438年5月のブルージュでの会議に諮り、合意する「国事詔書」を同年6月7日に公布しました。この「国事詔書」はインキュナブラとして9版印刷されています。 |
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パリの多作な印刷者として知られるのがアントワーヌ・カイヨウとギィ・マルシャンです。A.カイヨウは1480年頃から印刷を始め300点近くのインキュナブラが知られています。またG.マルシャンは1482年頃から印刷を始め170点近くのインキュナブラが知られています。うち3点は本書のようにAntoine Vérardのために両者が共同で印刷しています。A. Vérardは自身が印刷者で90点ほどのインキュナブラを印刷しましたが、出版者としても活動しほぼ同数のインキュナブラの出版者となりました。 アリストテレスのフランス語訳は1370年頃にニコル・オーレム (c.1320-1382) が行いました。このオーレムによる「ニコマコス倫理学」の仏訳は1488年に、「政治学」と「家政学」の仏訳は本書として、いずれもA. VérardがA.カイヨウとG.マルシャンに共同で印刷させました。 |
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ヨハネス・ヒグマンは1484年頃から印刷を始め、1489年からはウォルフガング・ホピルと共同で印刷しました。彼等が共同で印刷したインキュナブラも46点ほど知られています。その中には「アンジェミサ書」、「ソルズベリーミサ書」のようなミサ典書が含まれています。外国の市場向けの印刷も多く、英語のインキュナブラも印刷しています。16-17世紀にパリとジュネーブで有力な印刷・出版者となったエティエンヌ家の初代 Henri Estienne (d.1520) はJ.ヒグマンの未亡人と結婚し、ヒグマンの印刷所を継ぐ形となりました。 |
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フィリップ・ピグシェは1487年頃より印刷を始めた多作な印刷者で150点を超えるインキュナブラが知られています。「
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フランス第二の印刷都市リヨンに印刷術をもたらしたのはリエージュ出身のGuillaume Le Royで1473年のことでしたが、この時資金を出したのが Barthélemy Buyerでした。ヨハネス・シベルは1477年に同じリヨンで印刷を始めたMartin Hussと共同で1478年に印刷を始めましたが、1481年からは単独で印刷を行い140点近くのインキュナブラが知られています。J.シベルはローマ法、教会法の印刷を多数行い、グレゴリウス9世「教令彙集」を7版、「ローマ法大全」を27版、グラティアヌス「法令集」を2版印刷しています。 |
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ヤコビヌス・スイグスはイタリアのサン・ジェルマノ出身で同地やヴェルチェリ、キヴァッソ、ヴェネツィア、トリノで印刷した後、1496年よりリヨンに移ってきました。トリノ時代からカタロニア出身のニコラウス・デ・ベネディクティスと共同で印刷を行い、リヨンでも共同関係が続きました。彼等が共同で印刷した37点のインキュナブラが知られています。本書は彼等がBoninus de Boninis, de Ragusiaの資金で印刷したものですが、Boninus de Boninis自身、イタリアのブレシアで40点のインキュナブラを印刷した印刷者でもあります。本書のボーダーは金属彫版によるものです。 |
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クロード・ダヴォストはリヨンで主に16世紀に活動した印刷者です。本書には印刷者名が記されていませんのでコンラッド・ヘブラーは印刷者をMatthias Huss (活字はTyp.8:140GとTyp.17:96G) としましたが、ISTCはクロード・ダヴォストの印刷としています。 バルトロマエウス・アングリクスは13世紀のフランシスコ会士で「事物の性質について」は地理、博物誌、医学、宇宙論等を扱う百科事典です。最初のインキュナブラは1470年頃印刷され12版が知られています。半分は翻訳で仏訳8版、西訳3版、蘭訳1版、英訳1版が知られています。本書には出版者としてJean Genin le Dyamantierの名が記されています。またフランスの暦では1500年は4月10日までしかありませんので、印刷年月日も1501年4月17日ではないかとされています。 |
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フランス第三の印刷都市ルーアンに印刷術をもたらしたのはGuillaume Le Talleurで1485年頃のことでした。ジャン・ル・ブルジョワは1488年よりルーアンで印刷を始め、「司牧者の手引き」を6版印刷するなど30点ほどのインキュナブラが知られています。 「トリスタン物語」はもともとケルト系の伝説であると考えられますが、12世紀には吟遊詩人たちにより広められました。13世紀に成立した散文の「トリスタン物語」は写本も多数残っており、本書はフランス語「トリスタン物語」の最初のインキュナブラになります。出版者はアントワーヌ・ヴェラールで、ヴェラールはこの後もパリで「トリスタン物語」を出版しています。 |