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ヴェネツィアに印刷術を導入したのはシュパイヤー出身のドイツ人ヨハネス・デ・スピラですが (1469年) 、1470年に印刷を始めたフランス人ニコラ・ジャンソン (35.参照) も美しい活字で有名な印刷者で、同じフランス人ヤコブス・ルベウス (フランス語形ではジャック・ル・ルージュ) はジャンソンの影響下でローマの古典を印刷しました。本書にはジャンソンのギリシア文字活字 (115Gk) を模した活字 (80Gk) も使用されています。ヴェネツィアで5種の活字を用いて1478年頃まで活動した後、ピネローロに移って1483年頃まで活動を続けました。 マルチアリス (c.40-c.104) はローマの風刺詩人で、著作「短詩集Epigrammata」は18版のインキュナブラが知られています。D.カルデリヌス (c.1447-1478) はイタリアの人文主義者で、マルチアリスのほかユヴェナーリス等ローマの古典の注解を著し、11点のインキュナブラが知られています。 |
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フランシスクス・レンナーは1471年にヴェネツィアで印刷を始めました。1473年から77年まではニコラウス・デ・フランクフォルディアと共同で16点のインキュナブラを印刷しています。その後また単独で印刷を行い、1483年までに40点を超えるインキュナブラを印刷しました。彼の用いた12種の活字が知られています。「ラテン語聖書」は5版印刷しており、本書が最初に印刷されたフォリオ版で、翌年にも同じ活字で再版しています。また、1480年には小さい活字 (Typ.6:64/65G) で四折版を印刷しました (38.参照) 。 |
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エアハルト・ラトドルト (c.1447-c.1527) はニュルンベルクで印刷術を学び、1476年よりヴェネツィアで Bernhard Maler(Pictor) 、 Peter Lösleinと共同で印刷を始めました。1480年からは単独で印刷を行い、共同印刷のものも含めるとヴェネツィアで14種の活字を用いて、60点以上のインキュナブラを印刷しています。木版の挿図やボーダー、イニシアル、ダイアグラムを含む印刷や多色印刷 (40.参照) に優れ、本書はユークリッド「幾何学原論」の最初のインキュナブラです。テキストは12世紀にバースのアデラルドゥスがアラビア語からラテン訳したものを基にして、13世紀にノヴァラのカンパヌスが編集したものが用いられています。ギリシア語からのラテン訳が印刷されたのは1505年になってから、またギリシア語テキストが印刷されたのは1533年になってからでした。 ラトドルトは1486年からは故郷アウグスブルクで印刷を行い (22.参照) 、同地で100点以上のインキュナブラを印刷しました。 |
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デ・グレゴリイス兄弟は1480年頃より印刷を始め、40種以上の活字を用いた130点近くのインキュナブラが知られています。彼らの印刷したケタム「医学提要」 (1491) はきれいな図版で有名です。また4種のプリンターズ・マークを用いました。 ヴァレリウス・マキシムスは1世紀ローマの歴史家で、「著名言行録」はリウィウスやキケロを基にして修辞家向けにギリシア・ローマの歴史事例を記したものです。30点のインキュナブラが知られ、最初の版は1470年頃にシュトラスブルクでメンテリンが印刷しました。デ・グレゴリイス兄弟はまず1482年に「著名言行録」を印刷しています。 |
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ボネトゥス・ロカテルスはベルガモ出身の修道士で、1485年頃より印刷を始めましたが、1487年にオクタヴィアヌス・スコトゥス (39.参照) の資金でアウグスティヌス「神の国」の印刷を行ってから、彼の印刷者となり、スコトゥスのため120点以上のインキュナブラを印刷しました。これらにはスコトゥスのプリンターズ・マークが印刷されています。また、彼の用いた15種の活字が知られています。 「神の国」はアウグスティヌス (354-430) の主著で、19点のインキュナブラが刊行されました。最初の版は1467年にスビアコでスウェインハイムとパナルツ (32.参照) が印刷しました。本書のような木版挿図は1489年にバーゼルのアメルバッハ (3.参照) が印刷した版に付けられました。本書の木版挿図はそれと同じ構図で彫り直されたものです。なお、ロカテルスは1487年に挿図のない版をまず印刷しています。 |
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アリヴァベヌスはBernardinus Benalius、Paganinus de Paganinisと共同で1483年に印刷を始めましたが、1484年よりは単独での印刷も行い、50点ほどのインキュナブラを単独で印刷しました。非常に多くの活字を用い、30種以上が知られています。またプリンターズ・マークも7種類が知られています。 ランピゴリス (b.1412) は15世紀前半の聖職者で、説教を行う聖職者むけに聖書の文句を使いやすく編集した「聖書の姿」や「黄金聖書」で有名です。「聖書の姿」はインキュナブラとして5つの版が知られており、最初の版はミラノのシンツェンツェラー (13.参照) が1494年に印刷しました。 |
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アルドゥス・マヌティウス (c.1450-1515) は正確なテキストと美しい印刷で有名な印刷者で、3代にわたって印刷・出版業を続け、1598年までに一族の印刷した書物は600点を越します。彼等の「錨とイルカ」のプリンターズ・マークは有名で、また8折本の採用やイタリック体の使用でも有名です。インキュナブラとしてはアリストテレス「全集」 (43.参照) 、アリストファネス「新喜劇集」のようなギリシア語著作や「ヒプンエロトマキア・ポリフィリ」のような挿絵入り本が代表作で36点が知られています。 本書にはマルシリオ・フィチーノ (46.参照) が翻訳した新プラトン主義者達の小品集で、ヤンブリコスのほかプロクロスやポルフュリオスらの作品が集められています。フィチーノはこれまでに「ヘルメス文書」、プラトン「著作集」、プロティノス「全集」等の翻訳を終えており、また本書に入れられているフィチーノ「快楽について」は1457年に完成したものですが本書において初めて印刷されました。 |
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ミラノで印刷が始まったのは1471年頃ですが、多作な印刷者はAntonius Zarotus、Leonardus Pachel、ウルデリクス・シンツェンツェラーの3人で、併せて全体の6割以上のインキュナブラを印刷しました。シンツェンツェラーは1477年よりPachelと共同で印刷を行い1490年まで150点近くのインキュナブラを印刷しました。また1487年からは単独で印刷を行い、200点ほどのインキュナブラが知られています。16世紀に入ると息子のJohannes Angelus(Giovanni Angelo) が印刷業を引き継ぎました。 アルベルトゥス・マグヌス「マリアーレ」は1473年頃ケルンのU.ツェルやシュトラスブルクのJ.メンテリンが印刷したものを初めとして5版のインキュナブラが知られていますが、本書は最も後で印刷された版です。 |