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今日、活版印刷術の発明者がマインツの人ヨハン・グーテンベルク (c.1400-1468) であることは広く知られています。 一方、印刷者としてのグーテンベルクの名前が見られる一番古い事実は、後で述べます裁判記録を除きますと、フランスに残されたいくつかの写本に記された次の事柄です。そこには、フランス王シャルル7世がマインツでグーテンベルクにより発明された活字による印刷術を学ばせるためニコラ・ジャンソンを派遣するという布告を1458年10月4日に出したとあります。ただ、この布告の原本は残っておらず、そうした写本のひとつであるフランス国立図書館に所蔵されている写本Ms. fr. 5524の筆写年は1559-60年です。このジャンソンのマインツでの活動については記録がありませんが、彼は後に美しいローマン体活字を用いて1470年よりパリではなくヴェネツィアで印刷を開始し、10年間で100点近くのインキュナブラを印刷しました。パリで印刷業を始めたのはU.ゲーリング等3人のドイツ人で、こちらも同じ1470年のことでした。 |
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しかし裁判後もグーテンベルクは別の工房で印刷を続けたと思われ、『31行免罪符』、『トルコ暦』、『カトリコン』などを印刷したとされていますが、実は『42行聖書』同様これらのどこにも彼の名前は記されていません。フォリオ判373葉の大作『カトリコン』については、コロフォンにペンではなく父型と母型による調和のとれた技術で、栄光ある都市マインツで1460年に印刷された旨が書かれており、これが印刷術発明者の矜持の言葉であることから印刷者はグーテンベルクであると考えられてきました。近年の研究では『カトリコン』には三種類あることが確認され、1469年と1472年頃に印刷されたものであるという説やすべて1469年に印刷されたという説などが出されています。『カトリコン』はグーテンベルクの印刷したものではないという説も有力になっているのです。 このような記載以上にはグーテンベルクについては詳しいことはほとんどわかりませんので、印刷術の真の発明者は誰かという論争も古くから行われてきました。1588年に刊行されたH.ユニウス『オランダ年代記 (Batavia) 』には、印刷術の発明者はハールレムのラウレンス・コスターでありヨハン・フストがこの発明を持ち逃げした旨が記されています。しかしコスターが真の発明者であるという説にも客観的な証拠はなく、1430-40年にコスターは木活字による印刷術を発明しており、そこから金属活字による印刷術へと発展したというG. Meermanの説が1765年に出されました。その後、木版による印刷技法と金属活字による印刷技術の影響関係をめぐる研究やオランダに数多く残っている『ドナトゥス文法書』や『人類救済の鑑』などのプリミティブに見える印刷物 (コステリアーナと呼ばれました) の印刷年代をめぐっての研究も行われました。1870年にオランダの学者Antonius van der Lindeが発表した研究では、コスターという名前の人物はすべて他の職業であり印刷者のコスターは架空の人物であるとされましたし、コステリアーナも実は1463-80年に印刷されたことがわかってきました。こうしたことから印刷術の発明者はグーテンベルクであるという説が最も確からしいとされています。 |