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第二部 集う ~知の交流~

戯作者の著述と生活 2

ここでは、曲亭馬琴と山東京伝をとりあげ、著作活動や生活の様子をうかがうことができる資料を展示する。

山東京伝 さんとうきょうでん(1761-1816)

江戸後期の戯作者、読本作家。本名岩瀬さむる。俗称京屋伝蔵。画号北尾政演きたおまさのぶ。浮世絵を北尾重政(1739-1820)に学び、安永7年(1778)18歳で黄表紙画工として、翌年には作者としてデビューした。天明2年(1782)に大田南畝に評価され、花形作者となる。黄表紙、合巻、洒落本、読本、滑稽本など多様なジャンルで活躍した。『骨董集』のような考証随筆の著作もある。弟の山東京山(1769-1858)も戯作や考証随筆の執筆に活躍した。

山東京伝肖像の資料画像

山東京伝肖像
(『長髦姿蛇柳 ながかもじすがたじゃやなぎ』<207-1084>)

50 作者胎内十月図 さくしゃたいないとつきのず

  • 山東京伝自筆稿本 〔享和4(1804)〕 1冊 17.5×12.3cm <WA19-9>

51 作者胎内十月図 さくしゃたいないとつきのず

  • 3巻 山東京伝著  〔江戸〕 〔鶴屋喜右衛門〕 享和4(1804)序刊  3冊(合1冊) 16.7×12.5cm <207-589>

黄表紙。草双紙の趣向を思いついてから完成までの創作の苦労を、妊娠から出産までの10か月に見立て、茶化した作品。写真上の稿本は、版面の構成をスケッチし、貼紙や朱筆で訂正や注記を加えている。見返しには「かき入落字無之様奉願上候」等の伝言も記入されている。初丁は欠。
写真下は刊行された版本。画工の署名はないが、北尾重政風とされる。稿本と比較すると、文章に多少の相違があるが大筋は変わりなく、絵も登場人物の向きなどの違いは見られるが、ほぼ京伝の指示どおりになっている。鶯亭金升おうていきんしょう旧蔵。

52 江戸時代名物集 えどじだいめいぶつしゅう

  • 〔明治-大正頃〕成立 1帖 30.2×11.2cm <寄別8-3-2-1>

書名は書き題簽による。江戸時代の商標など約60枚を集めた貼り込み帖。それぞれ詳細な解説が記される。記述者は近代の人物で本帖の編者と思われるが未詳。なかには、「幾代餅」「神田川」「笹の雪」などの名もみられる。
写真は、京伝張の煙管と家伝の薬「読書丸」の部分。ともに山東京伝の店の品である。当時の戯作者は本業を持ち、戯作は余業として行うものであった。京伝もその例にもれず、寛政4年(1792)秋、銀座1丁目に紙製煙草入店を開き、享和2年(1802)には「読書丸」を売り出した。

53 吉原傾城新美人合自筆鏡 よしわらけいせいしんびじんあわせじひつかがみ

  • 北尾政演画 江戸 蔦屋重三郎 天明4(1784)序刊 1帖 35.5×24.7cm <WA32-6>

北尾政演まさのぶは山東京伝の浮世絵師としての名。京伝は若くして北尾重政の弟子となり、作家となるより早く浮世絵師として活躍していた。本書は、大判錦絵2枚続大の図7枚からなる画帖。前年出版された錦絵集「青楼名君自筆集」に四方山人(大田南畝)の序文、朱楽館主人(朱楽菅江あけらかんこう)の跋文を加えて制作しなおされたものとされる。太夫2人と新造等、数名の吉原の遊女を描き、太夫の自筆とされる和歌、俳諧、詩などを配している。

学者や戯作者が登場する見立番付

現在でも、色々なランキングを相撲の番付に見立てて作ることがあるが、江戸時代にも、産物、名物、観光、園芸、芸人、長者など多様な見立番付が作られた。掲出した「大江戸名物流行競」(『諸番附』<す-62>所収)は、江戸で流行している芸能人、工芸品、土産物、さらに戯作者や学者など、さまざまな江戸名物を掲げた番付である。そのなかには、本稿で取りあげた屋代弘賢や平田篤胤、曲亭馬琴、葛飾北斎の名も見える。刊行年は記されていないが、天保5年(1834)に死去した大石千引の名があることから、それ以前のものと思われる。

54 諸家人名江戸方角分 しょかじんめいえどほうがくわけ

  • 文政1(1818)写 1冊 11.7×17.1cm <本別18-20>

1000名を超える江戸在住の文人を、地域別に掲げた人名録。書名は序題による。各人には、学者、詩人、画家などを示す記号が付けられ、住所、雅号も記されている。中野三敏氏によれば、歌舞伎役者三世瀬川富三郎著。文化14-文政元年(1817-18)頃成立。展示本は大田南畝の書き入れ本で、達摩屋五一、林若樹旧蔵。
本書には、旧蔵者大田南畝(資料画像の2行目)をはじめとして、第2部で紹介した屋代弘賢(資料画像の11行目)、狩谷棭斎、式亭三馬、曲亭馬琴、山東京伝らの名も見える。

序題
序文のはじめに記された標題。