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第一部 学ぶ ~古典の継承~

歴史・漢籍 2

漢詩の受容

平安時代にもっとも愛好されたのは、白居易はくきょい(楽天)の作であり、平安貴族の漢詩文はそれを模範として作られた。『源氏物語』をはじめ国文学に与えた影響も大きい。今日、中国にはほとんど伝わらない『白氏文集』の古写本が、日本にはかなり残っている(27)。

中世になると、杜甫とほ蘇軾そしょく(東坡)、黄庭堅(山谷)などの詩が禅僧を中心に受容されるようになり、白詩一辺倒からの転換が行われた。杜甫は詩聖と称され、中国最高の詩人とされるが、このように高く評価されるようになったのは宋代以後で、わが国でもその影響を受けて五山版も何種か刊行された(29)。また『三体詩』(28)も作詩の入門書として流行し、講義筆記も多く残っている。

26 白氏文集 はくしもんじゅう

  • 71巻 (唐)白居易撰  那波道円 元和4(1618)刊 15冊 28.1×19.6cm <WA7-76>

古活字版。唐の詩人白居易(あざなは楽天。772-846)の詩文集。第15冊末に校訂・刊行者那波道円なわどうえん後序がある。朝鮮刊本を底本としているが、現存の中国刊本はすべて当初の編成を改変しているので、旧態を伝える貴重なテキストとして、中国でも影印本が刊行された(『四部叢刊』所収)。那波道円(名は方のちに觚、号は活所。1595-1648)は藤原惺窩せいかの高弟で和歌山藩の儒者となった。榊原芳野旧蔵。

27 〔白氏〕文集抄 はくしもんじゅうしょう

  • 存上巻 (唐)白居易撰 建長2(1250)阿忍写 1冊 26.4×16.5cm <WA15-8>

『白氏文集』巻1、2、5からそれぞれ25首、29首、8首の詩を抄出したもの(一部の詩は部分のみ)。巻頭書名は「文集抄上」。句読点、訓点等を施し、欄外、行間に注を書き入れる。書写のための押界おしかいがある。奥書によれば、建長2年11月中旬に醍醐寺観心院の僧阿忍が書写し、同年12月25日に「円蓮房本」により注を書き入れたという。装訂は綴葉装。巻1、2は政治・社会批判の詩(諷喩)を収め、特に巻1からの抄出は例が少ないという。本書など日本伝存の古写本は、唐代写本のさまを伝え、テキストの校訂に役立つ資料として価値が高い。

押界
へらなどで罫線を空押ししたもの

28 増註唐賢絶句三体詩法 ぞうちゅうとうけんぜっくさんたいしほう

  • 3巻 (宋)周弼しゅうひつ撰 (元)円至註 (元)裴庾はいゆ増註 〔室町時代末期〕刊 3冊(合1冊) 27.7×18.2cm <WA6-20>

唐詩の選集。167名の詩494首を収録。書名は巻1巻頭による。通称は「三体詩」。七言絶句、七言律詩、五言律詩の三体の詩を収録することによる。南宋の淳祐10年(1250)成立。日本には南北朝時代初め頃に伝わり、五山文学に大きな影響を与えた。室町時代には数種の版が刊行され、注釈も多い。江戸時代中期以後流行した『唐詩選』が盛唐詩重視の選定であるのと異なり、中唐、晩唐の詩を中心に収録する。展示本はやや裁断されており、巻1(七言絶句)には藍による訓点、朱引き、欄外の墨書書入れがおびただしい。巻2、3には藍の訓点のみ。

29 集千家註分類杜工部詩 しゅうせんかちゅうぶんるいとこうぶし

  • 25巻 (唐)杜甫撰 (宋)徐居仁輯 (宋)黄鶴補註 京都 観喜 永和2(1376)刊 10冊 25.5×17.2cm <WA6-29>

五山版。唐の詩人杜甫とほ(712-770)の詩集。元の皇慶元年(1312)刊本の覆刻。懐古、送別など詩のテーマにより分類し、諸家の注を付す。版刻は渡来した中国の工人の手になり、6人の名が分担部分に刻されている。これらの工人は元末の動乱を避け来日し、貞治6年(1367)頃から京都に住み、漢籍の刊行に従事した。本書に名を刻する陳孟栄(江南出身)、兪良甫(福建出身)は最も活躍し、自ら開版を行っている。展示本は巻1前半および巻3-15に朱の訓点がある。印記「法山退蔵院」(「退蔵院」は墨で抹消)。

陳孟栄の名(巻1) 兪良甫の名(巻2)
陳孟栄 兪良甫

五山版と中世の出版

平安時代末頃から、奈良興福寺など一部の寺院では経典等が印刷されていたが、ほとんどの書物は写本であった。しかし、鎌倉時代中期から室町時代末期にかけ、京都・鎌倉の五山を中心とした禅宗関係者によりかなりの書物が刊行されるようになった。これらを「五山版」という。最盛期は南北朝時代で、臨川寺、天竜寺などが主に出版に携わった。刊行された書物は中国、日本の禅僧の語録や詩集が主だが、仏書以外の漢籍にも及んだ。版式は宋・元・明・朝鮮版の覆刻、模倣が多い(29)。

室町時代には五山以外にも、堺の阿佐井野氏(24)や周防の大名大内氏など、出版活動は各地に広まり、医書、辞書等の実用書も刊行されるようになった。これらもほとんどは漢籍で、日本人の著作は禅書以外は少ないが、『聚分韻略』(漢詩を作るための辞書)や『御成敗式目』などがある。