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第一部 学ぶ 〜古典の継承〜

歴史・漢籍 1

清原家の学問

本展示会には、清原家が関与した書物が何点か展示されている(1、4、21、22、24、25)。儒学は、律令制下では明経博士(みょうぎょうはかせ)が講義を行うこととされ、平安時代中期から博士の地位は、清原、中原両家の世襲となった。その学問も、家学として代々継承された。解釈は伝統的な古注(漢・唐の注釈)によっていたが、鎌倉時代からは南宋の朱熹(しゅき)(朱子)の新注が五山の僧侶に学ばれるようになり、清原家でも次第にこれを取り入れていった。

清原業忠(なりただ)(1409-67)は天皇、将軍に講じ、清原家中興の祖といわれた。孫の宣賢(のぶかた)(1475-1550)は家学を集大成するとともに、吉田神道の卜部(うらべ)家から養子にはいったため神道にも詳しく、三条西実隆から『伊勢物語』の講義を受けるなど、和漢の古典に通じていた。さらに、元来武家のものである『御成敗式目』も、清原家相伝の解釈が権威を持っていた。

21 日本書紀 (にほんしょき) 巻1-2

  • 舎人(とねり)親王奉勅撰  慶長4(1599)刊 1冊 29.9×21.0cm <WA7-251>

古活字版。後陽成天皇勅版(慶長勅版)。『日本書紀』は奈良時代に編纂された歴史書で30巻、養老4年(720)完成。巻1、2は神代巻で、中世には神道書として尊重された。これは、後陽成天皇(1571-1617)の命により、「慶長勅版」の一つとして刊行されたもの。巻末に清原国賢(くにかた)(1544-1614)の刊語があり、刊行の趣旨を記す。展示本は大判の料紙で、刷りも非常に良い本である。巻1の1〜3丁は匡郭(きょうかく)に沿って切り取り、台紙に貼付する。伝後陽成天皇筆の書き題簽がある。

匡郭
本文の周囲をかこむ枠。

22 式目抄 (しきもくしょう)

  • 〔近世初期〕写 2冊(合1冊) 26.4×18.8cm <WA16-123>
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御成敗式目(ごせいばいしきもく)』(貞永式目)の注釈書。書名は外題による。天正8年(1580)の清原枝賢(1519-90)の本奥書があり、「当家累葉奥義一子相伝也」と記す。同名の古活字版(清原宣賢の講釈)や『続史籍集覧』所収本とは内容が異なる。『御成敗式目』は、貞永元年(1232)に執権北条泰時が定めた鎌倉幕府の基本法で、武家の規範として重んじられた。近世には寺子屋の教科書としても使われ、庶民にも親しまれた。式目の注釈は鎌倉時代からなされ、室町時代のものは公家系(清原氏)と武家系(斎藤氏、飯尾氏)に大別されている。亀田次郎旧蔵。

23 康富記 (やすとみき)

  • 中原康富自筆 応永8-康正1(1401-1455) 93軸 縦30.3cm <WA27-2>
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権大外記(ごんだいげき)であった中原康富(なかはらやすとみ)(1400頃-57)の日記。ただし応永8年の1巻は祖父重貞のものと推定されており、康富の日記は応永24年(1417)からである。書状や文書の裏を再利用して書かれている。途中にかなり欠落もあるが、長期にわたり書き継がれ、朝廷、室町幕府の動向、公家社会や自己の生活の有様を詳細に記録している。政治、経済、社会、文化にわたり当時の状況を知るための重要史料である。掲出個所は文安元年(1444)2月30日、古典学の権威であった一条兼良邸での『源氏物語』講義に参加した記事。正徹、冷泉持為、尭孝(ぎょうこう)宗砌(そうぜい)(宗祇の師)ら一流の歌人、連歌作者が出席している。

中原康富と『康富記』

『康富記』を記した中原康富は、朝廷の儀式、公事や文書作成に携わった外記局(げききょく)の官人であった。その職掌から故実に通じるとともに、清原良賢(業忠の曽祖父)に学び儒者としても名声があった。わが国の古典にも関心が深く、和歌、連歌、漢詩、芸能等についての記事も『康富記』には豊富である。

彼の日記を読むと、当時公家や僧侶の間で古典の学習が盛んだったことがわかる。康富は頻繁に伏見宮成貞(さだふさ)親王(後崇光院(ごすこういん))の御所に参上し、『論語』『孟子』『左伝』などの経書を講義している。御所では禅僧を招いて杜甫の詩の談義もあった。公家の邸に出向いたり、自宅に武家や僧侶が来たりして、康富の経書の講義は連日のように行われている。自宅が雨漏りし、講義の場所を急遽他に移したという記事などもみえる。

24 論語 (ろんご)

  • 10巻 堺 阿佐井野氏 天文2(1533)跋刊 2冊(合1冊) 27.6×21.2cm <WA6-90>

日本で刊行された『論語』としては、正平19年(1364)の『論語集解(しっかい)』(正平版論語)につぎ、「天文版論語」と呼ばれる。最初に魏の何晏(かあん)の序があり、巻頭に「何晏集解」と記すが、本文のみで何晏らの注はない。天文2年の清原宣賢跋文があり、清原家の伝本により堺の阿佐井野(あさいの)氏が刊行した旨を記す。阿佐井野氏は、阿佐井野宗禎が『三体詩』、宗瑞が『医書大全』を出版している。これらを「阿佐井野版」と称する。天文版論語の版木は堺の南宗寺に戦前まで伝わっており、近世以降の後印本が多く伝来するが、展示本は後遊び紙に天文16年(1547)11月の宣賢自筆識語があり、刷りも鮮明で、稀少な初印本と思われる。豪華な西陣織の表紙(江戸時代)がつけられている。全巻にわたり朱点、訓点を付し、上欄に校異を記した個所もある。

25 論語聞書 (ろんごききがき)

  • 清原業忠講 天隠竜沢聞書 天文4(1535)写 2冊 29.0×21.9cm <WA16-9>
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清原業忠(なりただ)(法名常忠。1409-67)の『論語』講義を、五山文学の第一人者天隠竜沢(てんいんりゅうたく)(1422-1500)が聴講筆記したもの。書名は原表紙の外題による。展示本は、奥書によれば、清原宣賢の本を頼□(一字不明、玄または宗か)という人物が書写したものである。業忠は宣賢の祖父で、当時第一の儒者として名声が高かった。本書はその学問を伝える貴重な資料である。このような講義筆記は「抄物(しょうもの)」と呼ばれ、口語表現を交えるものが多く、当時の国語を研究する資料となっている。