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第一部 学ぶ ~古典の継承~

和歌

11 〔古今和歌集〕古聞 こきんわかしゅうふるぎき

  • 宗祇講 肖柏聞書 〔近世初期〕写 6冊 26.4×20.2cm <WA16-131>

『古今和歌集』の注釈。題簽には「古聞」とのみある。歌の上二句を掲げ、語句の解釈等を記す。朱、墨の書入れがある。各冊の巻頭や奥書によれば、文明13年(1481)8~10月に行われた約40回にわたる宗祇の講義を弟子の肖柏が聞書きしたもので、翌年正月に宗祇の認可証明を得ている(第5、6冊)。さらに文明19年、延徳2年(1490)にも受講し、明応5年(1496)、文亀3年(1503)には宗祇の聞書に基づき加筆している。別に、永正3年(1506)に宗訊そうじん(1483-?)が肖柏から聞書きした旨の奥書、天文5年(1536)の養松なる人物の奥書もある(第5冊)。寺田望南旧蔵。

12 伝心集 でんしんしゅう

  • 〔江戸時代中期〕写 1冊 27.7×20.5cm <本別15-30>

古今伝授の際、最高の秘伝は切紙に書かれ伝授された。本書はそれを1冊にまとめたもの。書名は題簽による。細川幽斎から八条宮智仁としひと親王への伝授資料を主とする「古今伝受資料」(宮内庁書陵部所蔵)に含まれる幽斎筆『伝心集』の写しと思われる。ことばの一般的解釈の後に、「重大事」「口伝」などとして、神道的あるいは儒教・仏教的な解釈を記している。同筆の『伝心抄』(三条西実枝の古今集講義の幽斎による聞書。4冊。<本別15-31>)とともに木箱に収納され伝来した。

切紙
料紙を小さく切った紙片。

古今伝授(伝受)

最初の勅撰集『古今和歌集』は、和歌を学ぶための基本として尊重され、歌道では特別な扱いを受けた。その解釈等は師から弟子に相伝されるようになり、形式が整備されたものを「古今伝授(伝受)」と呼ぶ。一般には、15世紀後半東常縁とうのつねよりから宗祇への伝授がはじめとされる。後世の形によれば、他言しないという誓紙を提出、師の講義を聴講筆記し、特に重要とされる難語の解釈は切紙に書かれ、ものものしい儀式によって伝授された。最後に師の認可証明を受ける。有名な「三木三鳥さんぼくさんちょう」をはじめ、いろいろの秘伝があった。このような伝授は、閉鎖的、荒唐無稽として、江戸時代の国学者に厳しく批判されることになる。『源氏物語』『伊勢物語』など他の古典に関しても、秘説の伝授が行われていた。

*三木三鳥 古今集にある「をがたまの木」「めどにけづり花」「かはなぐさ」の三つの植物名と、「稲おほせ鳥」「呼子鳥」「百千鳥」の三つの鳥名。古今伝授では、例えば三木を三種の神器や正直、慈悲など三つの徳目に当てはめるなどの解釈がなされた。

13 百人一首抄 ひゃくにんいっしゅしょう

  • 経厚講 〔室町時代末期〕写 1冊 24.3×17.4cm <WA16-130>

『小倉百人一首』の注釈。書名は題簽による。本文は作者と和歌を記し、解釈を述べる。最後に各歌人の経歴をまとめている。享禄3年(1530)2月の本奥書があり、青蓮院尊鎮しょうれんいんそんちん親王への講義の聞書とされる。穏当な説が多く、すぐれた注釈の一つと評価されている。『小倉百人一首』は、撰者藤原定家が中世歌壇で尊崇されるなかで、講義、注釈が盛んに行われた。

14 〔小倉百人一首〕 おぐらひゃくにんいっしゅ

  • 菱川師宣画 江戸 本問屋 延宝8(1680)刊 1冊 25.9×17.9cm <寄別5-7-1-10>

各ページに『小倉百人一首』の歌と歌人の肖像を掲出した絵本。伝本はまれで、他にはフランス国立図書館所蔵本が知られる。展示本には、後表紙見返しに考証学者森枳園きえん(名は立之。1807-85)の明治4年(1871)の識語があり、もと大田南畝なんぽの所蔵、表紙に南畝自筆で「小倉山百人一首延宝刻菱川師宣画」と記すというが、現在ではほとんど判読できない。百人一首の歌人を描いた作品は江戸時代以降のものが残っており、狩野探幽や尾形光琳の作も知られる。版本としては、本書は早いものの一つである。