二十一年三月二十日樞密院ニ於ケル幣原総理大臣ノ憲法草案ニ關スル説明要旨

(秘)

二十一年三月二十日枢密院ニ於ケル幣原総理大臣ノ憲法草案ニ関スル説明要旨

(一)去ル二月十一日余ハマ司令官ト長時間ニ亘リ会談シ同司令官ガ日本国天皇ニ対シ包懐セル所見ヲ聴クヲ得タ。又其ノ席上将来ノ日本国管理ニ関シ濠洲及ソ聯側ノ態度ニ関シテモ言及スル所ガアツタ。共ニ日本ニ対シ一種ノ恐日病的状態ニ陷チ居ル如ク考ヘラルルノデアル。濠洲ノ態度ニ付テハ余ノ滞英中ニモ種々感ズル所ガアツタ。
(二)二月二十七日以来マ司令部ハ急ニ政府ニ対シ憲法草案ノ内容ヲ強ク要求スルニ至ツタ。政府ハ昨秋組閣以来憲法改正ニ関シテハ松本国務相ヲ主任トシテ研究ヲ重ネテ来タガ其ノ後ノ内外ノ情勢ニ鑑ミ一案ヲ作成シ之ヲ松本国務相試案トシテ三月四日マ司令部ニ内示シタノデアル。政府ハ一応之ヲ内示シテモ尚充分政府トシテ研究補正ノ余裕アルベキコトヲ期待シテ居ツタガ、右内示ヲ為スヤ否ヤ司令部ハ急速ニ之ガ研究ヲ要求シ司令部側ト内閣側ノ係官ガ一堂ニ会シ徹夜シテ之ヲ検討シ、マ司令官自身モ深更ニ至ル迄之ニ関与シ、三月五日朝ニ至ツテ大体ノ草案ガボツボツト出来上リ之ガ出来ルニ従ツテ内閣ニ報告セラレ来ツタ。
依ツテ之ヲ閣議ニ於テ討議シ夕刻迄ニ其ノ大部分ヲ了シタ。併シ草案ノ全部ガ出来上ツタ訳デハナカツタガ、大体ノ方向ヲ見極メルコトガ出来タノデ夕方参内、内奏シ奉ツタ所陛下カラ有難キ激励的勅語ヲ賜ツタ次第デアル。
三月五日ノ夜ハ内閣ニ於テ法制局其ノ他ノ係官ガ徹夜ノ上草案ノ検討ヲ重ネ、六日朝ニ至リ漸ク全部ノ草案ヲ脱稿シタノデ同日臨時閣議ニ諮リ之ヲ夕方中外ニ発表スルニ至ツタ。
(三)草案ノ中特ニ重要ナル点ハ国体ノ本義ニ関係スル第一ト戦争ノ抛棄ヲ宣言シタ第九デアルト思フ。第一ハ従来天皇ハ世襲ノ御威光ニ依リ其ノ御地位ニ在ツタノデアルガ将来ハ国民至高ノ総意ニ基キ其ノ御地位ニ在ラセラルルコトトナルノデアツテ皇位ノ淵源ハ之ニ依リ一層深ク一層確イコトトナツタ。国民ガ天皇ヲ奉戴スルト云フ点、此ノ点ニ深イ意味ガ在ルモノト考ヘルノデアツテ二千余年培ハレタ国民精神ハ過日ノ天皇ノ横浜地方御巡幸ノ際ノ御様子ヲ拝シテモヨク判ルト思フ。余ハ之ニ依リ皇室ノ御安泰ハ永久ニ保持サルルモノト確信スルノデアル。
次ニ第九ハ何処ノ憲法ニモ類例ハナイト思フ。日本ガ戦争ヲ抛棄シテ他国モ之ニツイテ来ルカ否カニ付テハ余ハ今日直ニサウナルトハ思ハヌガ、戦争抛棄ハ正義ニ基ク正シイ道デアツテ日本ハ今日此ノ大旗ヲ掲ゲテ国際社会ノ原野ヲトボトボト歩イテユク。之ニツキ従フ国ガアルナシニ拘ラズ正シイ事デアルカラ敢ヘテ之ヲ行フノデアル。原子爆弾ト云ヒ、又更ニ将来ヨリ以上ノ武器モ発明サレルカモ知レナイ。今日ハ残念乍ラ各国ヲ武力政策ガ横行シテ居ルケレドモ此処二十年三十年ノ将来ニハ必ズ列国ハ戦争ノ抛棄ヲシミジミト考ヘルニ違ヒナイト思フ。其ノ時ハ余ハ既ニ墓場ノ中ニ在ルデアラウガ余ハ墓場ノ蔭カラ後ヲフリ返ツテ列国ガ此ノ大道ニツキ従ツテ来ル姿ヲ眺メテ喜ビトシタイ。
以上ハ戦争抛棄ノ条項ニ関シ外国新聞記者ニ語ツタ余ノ所憾デアルガ、余ハ此ノ考ヘガ甘イ考ヘダト云フ人ガアルカモ知ラヌガ、確ク信ジテ疑ハヌノデアル。
(四)尚申添ヘタキハ二月末頃カラノ国際状勢デアル。其後ノ新聞電報ニ依レバ極東委員会ガ日本ノ今囘ノ憲法草案ガ突如発表サレタコトニ対シ不満ノ意ヲ洩ラシテ居ルヤウデアル。
御承知ノ通リ極東諮問委員会ハ改組サレテ極東委員会ト対日理事会ノ二ツニナツタガ、極東委員会ト云フノハ恰モ国内ニ於ケル国会ノ如ク極東問題処理ニ関シテハ其ノ方針政策ヲ決定スル強力ナル機関デアリ実力ヲ有スルモノデアツテ、之ガ二月二十六日ワシントンニ開催サレ其ノ際日本憲法草案ノ発表ニ関スル論議ガアリ、マ司令官ノ態度ヲ批難スルガ如キ様子ガ見エタノデハナイカト思フ。マ司令官ハ其ノ為ニ急ニ憲法草案ノ発表ヲ急グコトニナツタモノノ如ク、マ司令官ハ極メテ秘密裡ニ此ノ草案ノ取纏メガ進行シ全ク外部ニ洩レルコトナク成案ヲ発表シ得ルニ至ツタコトヲ非常ニ喜ンデ居ル旨ヲ聞イタ。此等ノ状勢ヲ考ヘルト今日此ノ如キ草案ガ成立ヲ見タコトハ日本ノ為ニ誠ニ喜ブベキコトデ、若シ時期ヲ失シタ場合ニハ我ガ皇室ノ御安泰ノ上カラモ極メテ懼ルヘキモノガアツタヤウニ思ハレ危機一発トモ云フベキモノデアツタト思フノデアル。
以上

Copyright©2003-2004 National Diet Library All Rights Reserved.