上塚周平からの航海の状況の速報

Notícia de última hora enviada por Shūhei Uetsuka sobre as condições de viagem a bordo

Quick report sent by Shuhei Uetsuka about the conditions of the voyage

上塚周平(1876-1935)は、熊本県出身、東京帝国大学法科大学卒業したてで、皇国殖民会社代理人として第1回移民とともに渡伯。本稿は笠戸丸の航海記の速報。第1便はケープ・タウンから、第2便はサンパウロから送られた。

伯国移民船喜望峯に入る

                  皇国殖民会社伯剌西爾出張員法学士 上塚周平


 皇国殖民会社の取扱に係はる伯国移民船は、我移民業に新機軸を出せると同時に、八百名の移民を塔載して神戸港を出纜せる喜望峰経由の南米航路は我航業者に取りて実に破天荒の現象に属す。而して四月二十八日を以て神戸を出でたる笠戸丸は五月九日を以て新嘉坡に着、六月四日、喜望峰に着、同十八日に伯国サントスに到着したるは実に我移民業の一大成功にして亦我航海業の一大成績たらずんばあらず。伯国移民船の伯国着は、既に本誌に掲載したるを以て読者の知る所なるべしと雖も、其の航海中の消息は、皇国殖民会社当事者も東洋汽船会社自身も未だ知るに及ばざりしが、笠戸丸が帰航の途に就きたるの電報を受取りて間もなく、皇国殖民会社々長水野龍氏と共に伯国に赴きたる法学士上塚周平氏がケープ、タウンより発したる左の通信を受取りたり。掲げて伯国移民船航海中の消息に充つ、因に、上塚氏は昨年東京帝国大学を卒業したる新進気鋭の人にして、伯国移民の実行を見るや、代議士江藤哲蔵氏の推選に依り、皇国移民会社代理人として伯国サンパウロに出張せる者なり。秘露には法学士朝日胤一氏あり、今又伯国に上塚氏の如きを見る。学究児を出せるを以て能事終れりとせる赤門の中より斯の奮闘者を出だす亦た我社会の一進歩と謂ふを得べし。

▲穏波洋々涼風深緑の陸上より来る
 五月十日新嘉坡の港を出づるや、午後三時、穏波洋々、凉風深緑の陸上より来る、其の風光掬すべく、身の船に在るを忘すれしめたり。十三日スマトラの西北岬を南に折れて、炎熱漸やく烈し、所謂印度洋に入れるなり。是より一路西南に走ること十一日、初めて一小島嶼を認む。時に二十四日午後一時なり。

▲露艦相唫んで此の山下を通過せるを想起す
 二十五日早朝、レニオン島横はるに会す。露艦相啣んで此の山下を通過せしを想起し、更に日本海上堂々として我東郷艦隊の相迎へるを連想して感慨言ふ可らず。移民悉く甲板に出して当時を回想し、欣然として、印度洋上に在るを忘る。山奇峭峻嶮、我国に見るを得べからず。高さ一万六千尺なりといふ。是より又島影を見ず、無辺無極の人と為る。

▲黎明、亜弗利加大陸を見る風烈しく濤高し
 六月三日、早朝、勿然として眼を遮る者あり、曰く、亜弗利加大陸なりと。風烈しく、濤高し。夜十一時、ケープ・タウン港に入る。

▲新嘉坡と喜望峯との比較
 新嘉坡は香港と相並んで、東洋の大要港にして而して世界人種の集合所たり、然かもケープ・タウン港の光景に接す、街衢整然として、建築物の壮大なる、到底新嘉坡の比にあらず、煙突林立して、機械の音四方に響き、電燈燦然として午の如し。嗚呼、亜弗利加の極南に世界の文明を集め居るなり。稍々冷気を覚ゆ。

▲移民悉く無病息災
 而して吾人の最も愉快とするは、移民全体を通じて、無病息災なること是れなり。固より船暈ふなゑい、風邪、一時の胃病者あるを免れざりしと雖も、病気といふ病気に罹りたるを見ず。左れば船中病院室の設あるも殆んど無用の贅物にして、亦その要を見ず、最も一時二名の患者を収容したることありたるも、軽微の熱病者なりしを以て、ケープ・タウンに入りし頃は一人の患者なく、皆踴躍して、ケープ・タウンの大景を満喫す。

▲和気藹々一人の不平者なし
 嘗て我移民船の神戸港に在るや、出纜の延引せるを以て移民の一部に騒擾ありたり。次ひで起りたる不測の災害は新嘉坡着前に発せんことを予期せしが、事の解決を告ぐるや、新嘉坡発後和気藹然として、一人の不平を唱ふる者のなきは吾人の心中ひそかに愉快に堪へざる所なり。
 若し新嘉坡発後の些事を挙ぐれば、曩に沖縄県人の間に艦員同志打の小活劇ありたると、武骨なる鹿児島県移民が事の誤解より監督の一名に対し軽打を試みたるの二事ありたるのみ。然かも皆誤解の結果なること分明するに至り、吾人の知らざる間に平和に解決せられ、船中無聊を慰するの料と為りたるも可笑し。

▲高知愛媛県人は義太夫、沖縄県人は蛇味線
 長途航海中の船艙内は浅草公園千日前を縮少せる一種の演伎場たり、各県の移民、各々其の地方特有の遊芸を演じて、喝采を博す、笛を吹く者あり、端唄を歌ふ者あり、片隅にキンキラキンを囃やす者あれば、他の片隅には声静かに秋の夜は……と歌ひ出す者あり、ジヤン拳起り、活惚くわつぼれ初まる。最も多数の喝采を博せるは。愛媛高知県人等の義太夫と沖縄県の蛇味線と為す。特に沖縄移民の蛇味線、異調を帯びて、其の声、断続。

 其の騒擾を余所にして、船尾に四五の移民集り、静かに首をあつめ居る者あり。足を偸みて其の状を伺へば、焉んぞ知らん、是れ和歌俳句の運座を試みる者ならんとは。余は風流韵事の思想なし。然かも船尾に騒擾を避け、想を練り、句を撚る這の光景に接しては、木強余の如きも詩神の琴線に触るるの想あり、我移民の高風に尊敬して已む能はず。

▲秩序を保持して誤らず
 吾人と移民とは最も能く意思疎通す。吾人の一と度訓戒する事項は、衛生に、風儀に、能く其の訓戒を守りて、悖らず。新嘉坡発後は多く訓戒するの要なきに至れり。さきに飲用水の乱用と、食事受取の不秩序とに意を労せる吾人は、今や全く其の煩を去り、監督は朝五時より毎食時間中殆んど炊事係と同様に励精して一日も怠らず。全体の秩序整然として乱れざる、実に喜ぶべし。

▲食事に対する不満足
 若し其れ強て欠点を求めんと欲せば、愛媛県人の二三が食事に対する不満足を吾人に訴へたること是なり。然かも愛媛県人のみ独り不満を訴ふるの不理なるを懇ろに諭したるに、其の意を諒して、其の後不満足を訴ふる者なきに至れり。

 要之、三十有余日の長途航海、八百の男女、博たず、飲まず、争闘せず、秩序を維持して、然かも無病息災なるは殆んど他の移民に見ざる事実にして、是れ吾人の微力に依るにあらず、天、我伯国移民に幸するものにして、亦た我会社社員諸君と、社友諸君の熱誠の感応するが為めなり。余は神戸出纜後、三十六日を以て首尾よく亜弗利加の西南端に達したるを見て、未だ嘗て知らざる快怡くわいゐの情あり、而して今回の長途航海に何等の支障なく予期せる同時に着々として目的の地に着するを得たるは笠戸丸船長の熟練に依る者にして、吾人は同笠戸丸船長に謝意なくんばあらず、之より十二三日の後には、我移民船は、南米の東海岸に達すべく、而して我旭旗はサントス港頭に翻へるべし。茲に遥にケープ・タウン港より、新嘉坡着後の消息を、故国の友人に報ず。(六月四日午前二時、於ケープ・タウン港内笠戸丸)

日本移民伯国に着す
   (伯剌西爾サンパウロ市にて)

                  法学士  上塚周平


▲喜望峯を発す
 六月四日、午前九時、ケープ・タウンを発す。此日風浪稍々高かりしが、翌五日より十有余日、伯国サントス港に着する迄穏波洋々おんぱやうやう、海上何等の異事なく、唯だ日一日、目的の伯国に近くの喜悦ありたるのみ。顧れば神戸港に纜を解いて、ケープ・タウンに達する、その日数方に一ヶ月と六日、前途の遼遠を覚へずして已む能はざりき。然かもケープ・タウンより航路を南米に向くるや、只管目的地着後の快怡を想ひて、故国を懐ふ者なし。人情の転変奇なりと謂ふべし。

▲火夫白刄を提げて闖入し来る
 六月十四日夜、サルンに於て、特別三等員二等船員及カビン船員船客合せて三十二名、笠戸丸に対し、告別式を挙行す。式終つて十時、火夫四井某、突如として来り、白刄を揮ふて、サルンに闖入せんとす。酔言固より取るに足らざるも、謂ふ所は即ち我会社員を殺害せんとするに在るものの如し。一等機関士之を捕へて、自室に引見し、説諭す。気勢漸やく衰へたる際、火夫副長我会社員に無礼を加へたるを憤り、鉄拳を加ふ。火夫某再び起ち、白刄を火夫副長の腹部に当て、大に喧嘩を極む。盖しケープ・タウン発後の大活劇に属す。

▲サントス到着前の風声鶴唳
 サントス港到着前、風評繁し。曰く、サントスの気候、世界無比、酷熱カツパの油を溶かすが如く、熱砂靴を焼くに似たり移民をして此の焦熱地獄に導く者は、皇国殖民会社員なりと、一犬虚を吠えて、万犬実を伝ひ、船、サントス港に近くに従ふて、其の声、益々高く、喧々擾々、殆んど言語に絶す、斯くて六月十七日、一大陸に接近す、船はいよいよサントス港に近けるなり。
十八日午前九時、船、サントス港に碇泊す。満山鬱蒼として、翠色滴るが如し。其の気候、穏健にして、前に想像し風説せるものと極めて相反す。移民悉く意外に驚き、果ては満願の喜悦と為り、嘻々として日本移民万歳の声、甲板に満つ。

▲公使館より三浦氏来る
 我汽船到着の報あるや、サントス移民事務官来り、検閲す。数時ならずして事終る。此夜我公使館より一等通訳官三浦荒次郎氏サンパウロ移民収容所より鈴木貞次郎氏来り、移民を慰諭す。南米大陸の一角に、日本人に接せることとて、移民の喜悦よろこび、尋常にあらず。サントス移民事務官は、移民の家族関係、年齢、職業、宗教、国籍、其の他の目録調製を命ぜらる、徹宵其の作製に従事す。

▲汽船と汽車と僅に数間を隔つ
 十九日午前三時移民各自の荷物を甲板に運ぶ。荷物は一家族のもの悉く番号を同ふし、数個あるものは(一)(二)の番号を括弧内に附し、之を荷物に貼付す。七時、サンパウロ行の汽車到着す。海上の汽船と陸上の汽車とは、僅に数間を隔つのみ。荘麗なる桟橋は其の中間に介せるなり。八百の移民静粛に移乗するや、一ト度ステーシヨンに停り、亦た発して、山麓に留まる。途上の光景、すべて吾人に新奇たらざるはなく、鬱蒼たる樹木は清新の感多く、聳然として天を摩するもの多きは、吾人の胆を奪ふ。

▲太古の深林と今代文明の建物
 ケーブルカードか、インクラインの仕掛か、サントスの市街を発したる汽車は、忽ち急坂を展開して登る。顧ればサントス港を飾れる今代文明の建物は、吾人に南米文明の一端を示し、吾人の一団を搭載せる汽車は、太古以来未だ曾て斧鉞を入れざる大深林に入れるなり。山頂に留ること暫時しばらく、更に発すれば、時に丘陵起伏、忽ちにして茫々たる平野と為り、又忽ちにして鬱蒼たる深林と為る。サンパウロ市に入るに従ひ、稍々開拓の跡ありと雖も、自然に委して、人力の到らざるもの多し。盖し自然の時代より未だ人工の時代に入らざるなり。

▲市の関口に移民収容所あり
 サンパウロ市の関口に移民収容所あり。汽車は其の関口に横に着す。汽車の戸を開けば、収容所のセメント塗の土間なり。局長部長以下列を為して、迎へらる。関門より直に食堂に入る。八百の移民を入れて尚余裕あり、規模壮大寔に嘆賞に値す。是より日本移民到着紀念として撮影を行はんとせしも、混雑の為め遂に果さず。

▲日本移民に不平家多し
 此日未だ食事札の配付なきが為め、食堂に混雑を来たしたるは止むを得ざることに属す。黎明四時に食事を為したる儘、午後五時に至り漸やく食事せるものなれば、空腹の為に先を争ふて混雑を致したるは、盖し已むを得ざる事ならん歟。唯、一事の面白からざるは、件の混雑を利用して二度も三度も食事を繰り返へせるものあること是なり。深く遺憾とす。此夜寝台の不足に就きても亦多少の不平ありき。思ふに日本人に不平家多く為に秩序を紊だすの憂あり。慬むべきなり。

▲移民伯国の食事を喜ぶ
 右の如く空腹なりと、食事札の有らざりしと、食事受取の先後を定めざりしとの諸原因に基き、尠らざる混雑を来たしたりと雖も、翌二十日より全く秩序を回復して些の混雑なかりしのみならず、各移民が収容所の支給せる食事に満足したるは、吾人の大に愉快として、故国の同志諸君に報ぜんとする所なり。

 移民収容所内食堂の光景を報ぜんか。食事の警鐘鳴るや、一家族相提携して、前後に一列に列び、次の家族之に序す。斯くて食事受取所に食事札を呈示すれば、係員検閲して其の日数を切り抜くこと尚電車切符に於けるが如し。家族の数に依り、匙フオーク、麺麭ぱん及び食物を下附す。家族おのおの一団と為り、テーブルを囲んで食事するなり。食物は麺麭ぱん、ソープ、豆と米とを煮たる汁、肉類と野菜の煮物と為す。分量と内容とは十二分にして、移民悉く満足の色あり。尚小児には牛乳の供給あり。

▲病院の設備あり
 移民収容所には病院の設備あり。家族の一人病気に罹りたる時は、他の一人付添として患者と共に入院せしむ。医師は毎朝見廻はり、丁寧に診察す。他の移民悉く耕地に赴くも、患者は依然として病院に滞在することを得。平癒せば収容所の吏員之に付添ひ、耕地に送る。我移民隊には僅に一人の病者ありしも、風邪の強きものに過ぎざれば、不日耕地に向け、発するを得べし。

 最も吾人をして眼をそばたてしめたる毛布の如き中々贅沢を極はむ。寝台といへば、我移民中、寝台の不足を謂ふ者あり。日本移民の到来に感激しつつある伯国人――移民収容所の吏員は、伊太利移民を土間に寝ねしめ、尚足らざりしかば、病室に移して、日本移民に歓待の意を表せり。伯国の日本人を待つ、亦た到れりと謂ふべし。

▲移民の耕地出発
 二十七日沖縄移民を二分し、一をカナンの耕地に、他をイツーの耕地に向はしむ。午後一時出発の準備として、凡ての手荷物を纏はしむ、三時食事、四時半前庭に集合、五時半、ブラス停車場より、ブラジル万歳(ビーブア、ド、ブラジル)を三呼して、耕地に赴く。斯くて二十八日午前五時には鹿児島移民の一部はグワタパラに、他の一部は高知新潟の移民と共にサンマルチニヤの耕地に赴けり。二十九日は、広島、熊本、福島、宮城、東京の全部は、彼の有名なるヂユモント耕地に向ひたり。尚残余の移民は、此の月曜日を以て当州大蔵大臣の耕地に向け出発せんとす。

▲今日迄の成績
 要するに、今日迄の実験に依れば
 一 サンパウロの気候は、寒暑共に日中感ぜざるが如し。朝夕は稍々冷気を覚ゆ。
 二 サンパウロに於ける人気 は大に日本人に集注す。特に収容所の吏員は多大の親切を尽せり。
 三 移民の満足 カタバラに至れる移民一同は満足の旨を通信し来る。
の三事は、故国の同志諸君に報じて、其の事実を断言して早計なるを悔いざるなり。水野社長は明日を以て、リオ州に向はれ、余は三浦通訳官と耕地の巡視に服せんとす。耕地巡視の後、更に其の状況を諸君に報ずるに怠らざるべし。

▲感謝すべき人
 終りに臨んで諸君に申告すべき一事あり。不肖余の如き白面の一書生、何の技倆あるなし。然かも八百の移民を悉く就職せしめ得たるは、水野氏の老熟の致す所なりと雖も、亦た公使館一等通訳官三浦荒次郎氏は非常の尽力を以て、吾人の入伯に先つて伯国と深交を温められ、移民の到着後も亦た多大の便宜を与へられたり。収容所には鈴木貞次郎氏あり、吾人を指導して一も遺漏なからしめたり。伯国移民に志ある人は此の二氏に多大の尊敬を揮はれんことを希望に堪へざるなり。伯国人モンテイロ氏の如き、我移民の為に尽力せられたるもの尋常にあらず。余は特に其の氏名を特記して、其の功を表せんとす。(七月二日伯国サンパウロ発八月八日着)