アジアへの再移住論(邦字紙記事)

Teoria da reemigração para a Ásia (artigo publicado em jornal de língua japonesa)

Advocacy for re-emigration to Asia

国際変化から観て
 吾々不同化分子は
   亜細亜に帰ろ

                  公孫樹

『聖州新報』1939年4月29日

 「東洋は東洋人の東洋に」と東洋人が叫び出してゐる機に南米伯国では「伯国は伯国人の伯国に」と叫び出して居る

 手近かな実証を挙げると、去る四月十五日、伯国新政権誕生後一周年半を迎えるに際し、伯国フランシスコカンポス内相が、政府の政策として声明力説した言葉に次の如きものがある

 旧政府時代に立法者や為政家が、あまりに外国人の入国を容易にした為、伯国の人種、習慣乃至国名まで変更せしめんと企てるに至つて居たが、一体伯国に於ける外国人の協力は、極くエキゾチツクな又部分的なものであるから、現在の外国人も、その資本も其利害も何ら政治的意義をも、又集団的発言権も、持ち得るものでない[。]伯国は治外法権的特権を有する植民地や、少数民族や外国の政治的保護の存在を許さないのだ

 伯国の此国粋主義が、過去数年間に溯れば、外国移民入国制限となり、入移民人頭税となり、外国人の新聞社長は不許可となり、帰化権が容易に下附されぬ様になつたり、移民施行細則実施によつて在伯外国人子弟の十四歳以下児童には学校内で外国語授業を禁止したり、帰化人有資格教師と雖も、伯国教員たる資格なしと発布したり、今又外国人は旅券の外に、鑑識手帳を十八歳以上六十歳迄は、当該警察より下附所持するを要すとの、お令達となつたのである

 尚ほ在伯外国人にとつて甚だ厄介なことは「集団植民地には三分の一の葡国人又は伯国人の雑居を要す」と言ふのである[。]これは葡人や伯人は外国人の如く、土地を十域端ママ位として買ひ求め農業に従事すると言ふ習慣が、日本人の如く又他独逸人、伊太利人、西班牙人等の如くないのである、あつても甚だ僅尠なのである[。]それで彼等をお隣の地主として仲よく雑居する事は、理窟の上では三分の一位は何んでもなさそうで、実際では至極困難な法令なのである

 結局外国人のみが集団植民地をなす事を禁ずる、即ち外国人のキストを作らせまいとする、伯国政府当路の周到なる要意なのである、次に外国人の上に遠からず来るものは何か?

 それは国家主義の伯国が、当然到達せねばならぬ階段の一つとして、外国人の地権剥奪がある[。]それから外国人の借地面積の制限であらう、そこ迄到らねば又独立せる国粋主義としては嘘だ[。]そのくらき運命が外国人の上に、五年後に至るか、十年後に到るか、それは予測し得ぬ処だ[。]国際状勢の変化に応じて、在伯吾々日本人の上に、存外早く降りかかる運命かも知れない[。]在伯日本人の土に親しむ者は、その秋に臨み狼狽せぬ様尠くも心の要意だけは、今よりしておくがいい

 何故に海外興業株式会社も日南産業会社も、急遽直営の植民地経営を手離す可くあはてつつあるか、そうしてその事実を何故に次の土地開拓事業へ延ばさず、商業方面へと転向躍進しつつあるか[。]一般植民地開拓者も、此辺の消息と変遷を一応考慮に入れておくがいい

 日支の仲に真の平和が醸され、東洋新秩序建設へとの協力が、日支総力もてやらるる日も遠くはあるまい[。]斯くて東洋は欧米人の植民地ではない、東洋は東洋人の東洋である、となるのであるが[、]そこに至る迄には欧米人の東洋に於ける権益が欧米へと総退却せねばならぬのである

 欧米人の権益が、東洋から総退却する事は、一面何を意味するであらうか[。]欧米即ち西洋に於ける東洋人の権益も亦、西洋から東洋に向つて総退却せねばならぬと、意味せないであらうか[。]已にかうした退却の余儀ないものが至る処に現はれて居る、今の処、それは物の上に現はれて居るのであるが、やがては人の上に、退却移動を起さねばならぬのであらう、

 物の上に現はれてゐる一つの例は[、]支那に於ける聖戦の区域上日本軍は揚子江の船舶航行権を、如何なる国にも今の処許さぬのである、これは一時の変態ではあるが、これに関連して日本は南米、亜爾然丁国より日本雑貨品を関税高壁と何やかやの政策に因り、駆逐されてしまつたのである

 支那の仇を亜爾然丁で報復されたのであるが[、]なぜ亜爾然丁で報復されたか亜国の産物が揚子江で閉め出されたのでなく、亜国と今の処切つてもきられぬ仲良の英仏の産物が揚子江上で、全く閉出されてゐるのである[。]仇敵と憎くんでも直接正面に立つて報復せないのが英国紳士道ゼントルマンである[。]英国は紳士道により亜国から日本品を駆逐し間接報復してゐるのである[。]

 今や欧洲は英仏の民主国と独伊の全体主義国とが旗色を鮮明にし「喰ふかくはれるかを真剣にやつてゐる。それで今の処支那に権益を持つ英仏も極東には僅かに口出す位の処に留めて居り、手も足も出せないのである。欧洲の斯の状態が英仏側に不利でいつ迄続くか相当永続すれば、英仏の運命は、東洋に手足出すまもなく衰退し終るかも知れないが、欧洲に小康を得る場合、英仏は東洋における己が権益の累卵危態を擁護せん、積極的におしよせる事とならう

 日対英仏戦、或は一層日本には苦手の日対英米露仏戦の夢想の実現せないと今の処誰も予断を許さない状態である[。]さうなつた場合、西洋における日本品は勿論、人間も民族的には大重圧下に歪がれるであらう

 在伯邦人廿万は独逸殖民に比ぶれば其移民史も半分の年数であり、人の数に於ても約三分の一である[。]伯国の国粋の嵐が今の処最も強く当るのはサンタカタリナ州の独逸殖民へであつて、その政治的断圧下にある彼らのある者は毎航度に本国さして相当数乗船しつつありと報じられてゐる

 民族的進出は古代の人種移動に始まり、中世は国家的侵略による移動となり近代初期の未開地争奪進出をへて今日ではもはや民族的進出は進出民族が移住地民族と混こうより外、形式はないとされてゐたのであるが日本は満洲事変より民族の進出は移住地民族と混こうなしにやり得る形式を実現してしまつた。

 伊太利はアビシニア併合によつて民族の混こうを禁じ、民族の進出し得る形式を復活させた[。]独逸はアウストリア併合、チエコ併合によつて民族の異なりたる進出形式を復活させた[。]今や日本も日支事変によりて亜細亜大陸へ混こうなき民族的移動形式を立派に成りたたせたのである

 在伯外国移民の中伯国の国粋派に嫌らはるるものは独逸移民の次は日本移民と挙げられて居る[。]独逸移民が不同化移民である如く日本移民も不同化移民が多いのである[。]不同化移民はややもすれば領土的野望ある移民と観らるるのである[。]実相から観れば同化移民こそ全く領土的野望を充分に備えゐる移民であつて不同化移民は単純なる朴直移民である

 然しながら伯国人の恐怖する者は、否嫌らふ者は不同化移民である[。]即ち不同化移民は言語の上で移住国の言語と対立し、習慣の上から国家内部を分裂させる象徴があるからである

 伯国々粋者側から独逸人の不同化分子や日本人の不同化分子が蛇蝎の如く嫌忌さるる[。]「伯国は伯国人の伯国だ」 移民クズレの不同化分子はサントス港なり、ポルトアレグレ港なりからサツサツと出て行つて呉れと言ふのである[。]御尤至極である

 過去七八十年間日本は弱少国であつた[。]それで居て狭隘な島国に、産めよ殖やせよとやつた結果、民は地に満ちた[。]欧米各国が近代初期の未開地争奪時期に千石積の御朱印船しか持たなかつた日本は出足がおくれて玄関や裏門近くまで欧米人にふみ込まれ占領されて居た。そこで日本は地にあふるる人間なりとも他領に移住させてと企図したが欧米人は日本人を総スカンと来て東洋人から略奪した東洋の地にさえ移住を拒絶したのであつた

 唯北米の一部に一時入国を許されて居たが余り勤勉正直過ぎるので又嫌らはれ出して入国を拒絶されてしまつた[。]日本から一番遠い南米の伯国にのみその勤勉と正直とが賞讃されて一時寛大に入国を許容されたのであつたが、遂に制限されてしまつた[。]結局「東は東、西は西」と言ふ事に到達した

 在伯日本人よ吾々は家族を纏めて亜細亜に帰らねばならぬ、将にその時期が来つつあるのである[。]伯国は日本家族移民にはいい処であつた[。]千九百三十三年各国入移民二分制限令の出でる迄は伯国は日本家族移民にとつて全くカナーンの地であつた[。]世界人種の真の坩堝であり人種的偏見の影さえも幻さえも見えぬ処、伯人自身が俺達に言ふ日本人も伯国人だ。伊太利人にもお前も伯国人だ、何国の移民にも差別視するなく皆自由の伯人として対遇して呉れた[。]それは全く世界人種の真の坩堝ユートピア国であつた[。]それ迄の我々日本人はその環境に対し真実そう感じて居た[。]吾々は此ユートピアの国を耕やして死ぬる自由人だ

 吾々の子孫は伯人として末永く伯国に貢献して呉れ是れ、吾々第一世共の冀ひだと[。]それだのに――伯国人が白系人として目覚め葡国系人として目覚めて来た時[、]吾々日本人も黄色人として目覚め日本人として目覚め出した[。]孰れが早い? 孰れが悪い?そうした事は茲で言ふまい[。]東は東、西は西、お互いに悲しい宿命である

 吾々は三十年間の春秋からイベの花を愛するパイネイラの花に恋する、だが三十年別れてゐても何でも桜の花が楓の紅葉が忘られようか[。]三十年の在伯日本人の歴史は伯国にとつても日本にとつても尊い歴史であつて、決して汚辱された植民史ではない[。]若し今後此清い、尊い植民史が北米に於ける日本人差別待遇の如く穢がされる様の事があつてはいけない[。]

 吾々はその点を今から相当に苦慮し杞憂するのである[。]日本移民を差別待遇する[、]斯うした事が宿命的に早晩来ないであらうか[。]来る可き運命であると予想さるれば、この原因を確かめて避け得らるるものならば避けたいものである

 外国人弾圧下に於ける日本人それは伯国への同化分子に対してでなく不同化分子に対してである。今の処人種的に差別待遇を表面的には叫んでゐないとすれば、叫ばせない前に在伯不同化分子を自発的に処分しては如何であらう

 吾人は茲に仝志と叫ばう[。]在伯日本人の不同化分子よ伯国を去らう[。]それが在伯日本人の同化分子を幸福にする事であり、御厄介になる伯国人に不安と嫌忌の念を消滅させる事になるのだ

 在伯日本人は皆んな不同化分子ではないのだ、吾人の観る処二十万人の半数は、或は三分の一は何んじやかんじやと屁理屈はつけて居ても同化分子なのである[。]彼等こそ大和民族中の白系又は黒系人種に同化可能の分子であつて彼等の祖先が日本人に於て日本人と浄化さるる前の血液は白系或は黒系のそれでなかつたらうか[。]そうした血液をもてるものが今日伯国に同化容易である事は首肯される秘密である

 在伯の不同化分子の日本人[。]それ等の祖先は苗族でありインドネシア族であり、アイヌ又は蒙古漢民族の血を正当に受け継いだものであつたらうと想像する[。]彼等が白系の又は黒系の伯国民として不同化分子である事は大祖先からの血の反撥であると観るべきである

 蒙古人やインドネシアの苗族や漢民族の血の流れを大分にもつ彼等に伯国民へと同化しろと云ひ強ふる事は竹に木を接ぐ迄の不能ではないにしても不自然なる試みである[。]在伯日本人の不同化分子諸君よ、お互は血に繋がる亜細亜へと転向飛躍しようぜ

 在伯卅年[、]亜熱帯の原始林地帯に瘴癘蛮雨と闘ひつつ喰ふ物も喰はずと辛苦艱難開拓した日本人の成績は各国民族の開拓成績と比較して優るとも劣つてゐないのである[。]これは自惚れの自讃でなく伯人の充分賞讃する処であり各国開拓民の等しく仰望する処である[。]此点は日本人として不同化分子も同化分子も恐らく差別なし得ぬ開拓良成績ぶりである。

 沈滞し出した時、東洋の天地は燦然と今東洋人の自由の為に日本人の血もて開放され出してゐる[。]海南島にも日章旗が上つた海南島を清掃する皇軍の銃後に続く者は日本人の経済的開拓者であらねばならぬ

 亜熱帯の原始林に三十年[、]瘴れい蛮雨に鍛へあげた開拓肉体と開拓魂とを持つ日本人が在伯日本人を除けて他にどこに居るであらうか[。]皇国の民が今国策の南進線に沿つて珈琲花咲き棉の花咲く海南島を開拓する

 行け在伯の不同化分子家族よ、天は卅年前より皇国南進政策の為めお前等を伯国の亜熱帯に送つて今日の海南島原始林開拓線に転向さすべく準備してゐたのである

 在伯の日本不同化分子!
 起て!
 起つて静かに笑つて、礼儀正しく吾々は伯国と「サヨナラ」しようではないか
 椰子の島海南島

 それは今の処、或は永久日本の領土でなく、支那の領土であるかも知れないが、共存共栄、東洋は東洋人の自由の天地だ。日の丸立てて吾らが天賦を開拓する。何の憚ある処ぞ。そここそ吾ら大和開拓民族が大和民族として弥栄に笑つて骨を埋めうる宿命の地の一つであると確信する


奥地に抬頭する帰国熱種々相
 如何するか?


『聖州新報』昭和14年5月13日

 伯国政府国粋運動による聖州各地各地方の邦語教育弾圧及び地方農界の不况は邦人農家をして著しく帰国熱をあふり最近帰国者の激増は物凄いものであるがサフラ[注 収穫]終了後の帰国者は更に更に増加する模様である[。]尚帰国者の最も多い地方は棉作者を主として包含するパウリスタ延長戦が主で次にソロカバナ、ノロエステの順序である

 例を邦人最大集団地たるバストス移住地にとると本年度同移住地の帰国者はサフラ後約五十家族以上に達するものと思はれるが、来年度は百家族を延るか突破する帰国者を算するに至るであらうと予想されてゐる

 なほ最近の帰国者が従来のそれと著しく相違する点は後者が貯蓄をのこして所謂錦衣帰郷するに反し、前者は旅費の目安さへつけばといふのが殆んどその大半を占めてゐることである、しかも前者が母国で悠々余生を送り子女の教育をなさうといふに対し後者は帰国後満洲乃至は北支に移住して再び植民として活躍しようとするにあるやうである

 その成否は暫く置き伯国の現状が奥地邦人農業者をして大なる前途の不安にとざさしめてゐる事は明白な事実であつて従つて日支事変第一段階を了へ大東亜建設の力強き巨歩をふみ出さんとする母国の現況に希望と憧れを持つ事はごく自然の事柄であるといはねばならない[。]右に関し某植民通の意見を聞くと左の如く語つた

  最近奥地に帰国熱勃興を伝へられ事実帰国者が漸次増加しつつあるやうであるが現在の帰国者が全部帰国后の自己の目標なり希望なりに対し充分の研究と智識を有してゐるか云へば否と答へざるを得ないであらう只帰国すれば何とかなるだらう位の処で遮二無二帰国する現状ではあるまいか

  北支、満洲さては南支移住といつても種々の条件はもとより気候、風土、開拓事業等々充分の智識と研究が必要であらうと思はれる

  これらに関しては総領事館あたりでも充分その間の事情を知らしめ具体的にこれを発表して能力のあるものは激励し到底資格のない者にはあきらめを持たすのが良策ではあるまいか、単に熱病の如きこの種移住熱にも一つの鎮静剤となる事と確信する 云々


  告 示

  昭和十四年九月十九日

     在サンパウロ
          総領事 板根準三

東亜方面への転住又は帰国に関し注意の件


『伯剌西爾時報』1939年9月21日

 近頃在留民間に満洲其他東亜方面への転住説を流布する者あり[、]又中には主な理由を設けて在伯邦人の引上げを慫慂せうようする者さへもあり[、]かたがた在留民中には之等の浮説に就いて不尠判断に迷つてゐる向もあるやに見受けらるる処[、]刻下変転極まりなき世界の情勢下に於て未曾有の重大時局下に在る母国の現情に遥に想を致す時[、]一種の不安焦燥の念に駆らるることもあるべきは[、]内外の事情に精通せざる人々として已を得ない処とも考へられることもあるべきは[、]内外の事情に精通せざる人々として已を得ない処とも考へられるのみならず[、]東亜新協同体制建設の大乗に馳せ参じ微力ながらも貢献したといふ衷情は之れ亦十分諒解出来る処ではあるが[、]これが為に一般在留民の永住安定上に多少でも動揺を来すに至つては十分慎重考慮せねばならない次第である。

 東亜の事態に関しては帝国が二年有余に亘り一意これが解決に努力し来り居り[、]この間財政的にも軍事上に於ても多大の犠牲を払ひ居り[、]未だ終結を見るに至らないのは[、]在外日本人としても憂慮に絶えない点ではあるが[、]然し乍ら帝国の国力の現情に鑑みるに国民上下が不動の決意と愛国心とを以てこれに臨んでゐる以上[、]仮令事変が此れ以上相当永引くにしても充分之れを克服すべきことは聊かも疑ふ余地の無い事で[、]この点は海外在留民として安心して可なるべく[、]現に在外者に対しては召集の御沙汰さへもなく[、]其他何等特種の指令にさへも接して居ない事実から見ても母国の現情がだ未だ相当余裕あることは察するに難くないのである。

 満洲国への移住奨励及支那大陸及海南島方面の経済発展は我国の国策として極めて重要な事業であるが[、]満洲の如きは周知の通り南米方面とは気候風土環境総て趣を異にし居り[、]為に南米方面よりの帰国者は一般に満洲への農業的進出には不適当と認められて居る次第もあつて[、]当局としては之等の者を二度と農業移民として採用しないといふのが一般的方針であるとも申し得る事情あるのみならず[、]更に支那大陸及び海南島方面には極めて低廉な労力が豊富で到底割込みの余地なく[、]目下の処同方面には農業移民送出の計画も別に無い状態であつて[、]斯る際に多年南米方面に在り母国の近情に疎い者が無資本で而も何等の準備も特種技能もなく漫然転航するといふが如きは[、]開発経営に寄与するは愚か却つて個人的に非常な苦境に陥るべきは明らかである。

 又内地の所謂軍需景気に惑はされて帰国を志す者もあるかも知れないが[、]右は最も注意を要する処で[、]経済統制の行はれ居る現情に於て濡手に粟式の利得を求めんとするは全然期待外れのことであり[、]現にこれを夢見て帰国せる者の中にも既に相当行詰まり伯国への再渡航を希望し居る者、尠からざる趣であると聞いてゐる。

 次に子弟の教育問題の如き当国の国内情勢にして従来とは趣を異にするものあるにしても[、]これ亦在留民が父兄の立場として希望する処は[、]優良なる日系伯国市民の育成にある外他意なき以上[、]彼我の間何等矛盾を来すべき性質のものにあらず[、]此際在留民側よりも進んで伯国当局と協力の態度に出づるならば[、]我方の真意も漸次諒解せらるるに至るべく[、]この問題も愉快に解消せらるべき日の遠からざるべきことは殆ど疑ふ余地の無い事で[、]苟も在外日本人たる者が此れ位な障害や変革に辟易萎縮しては申訳が立たぬと思はれる。

 其他幸ひにして日伯両国間には将来摩擦を予想せらるるが如き何等の問題も存しないので[、]対伯移民保護指導の原則は終始一貫彼我共存共栄と永住奨励の趣旨に立脚し居り[、]右は日支事変又は今次の欧洲戦争に依り変更を来すべき性質のものではないのであるから[、]これ等の点に関しても在留民として帰国又は他に転住等動揺すべき何等の理由無く其の点は全く心を安じて可なりである。

 要するに在伯邦人としては内外の事態に対しては慎重冷静なる態度を以て之れに臨み[、]苟も無稽の浮説に動揺する事なく各自益々その業務に精励努力し[、]飽く迄も当国移住の素志貫徹に邁進することが緊要で[、]これこそ結局重大時局下に於ける在伯邦人の本分を尽す所以であるから[、]折角多年努力の結果今日迄築き上げた基礎を放擲し一時的の動機に駆られて帰国を急ぐが如き[、]尠くとも現下の情勢に於て不適当且つ不必要と断ずるを憚らず[、]敢て茲に告示の形式を以て各位の注意を喚起すると共に自粛を希望して已まない次第である。


日本移民黄金時代いま何処!
 渡伯はたつた一名!
  帰国はなんと三百廿二名 

   七月中サントス港の動きを見る


『ブラジル朝日新聞』昭和15年8月18日

 去る七月中サントス入港船舶の旅客中伯国入国者総数は二千百七十八名で出国総数は二千四百七十三名である、即ち出国者は入国者よりも二百九十五名多いわけであるが、入国者を国籍別に見ると
 ブラジル人一、三八八、次いでアメリカ人が二三七、日本人は僅に一名である、次に出国者を見るとブラジル人一、六九二、日本人は第二位で三二二名となつてゐるが昔時の日本移民全盛時代から見ると全く隔世の感がある
 なほ七月中サントス入港の旅客総数は四千百七十七名でこれに各船舶の乗組員一万三千五百九十五名を加へると一万七千七百七十二名となる

 帰国者色分け
   金持ちは少い

 最近の日本帰りは全く例年にない活況で今日サントス発のリオ丸にも三百名に余る帰国者が乗船してゐる、ところが最近の帰国者は一財産をつくつて帰るなどといふ人は少なく、殆んど全部が日本で相続人が死んだから帰るとか、満洲から知人が呼んでるからとかで、再渡航手続きをして行く者は百人の中四、五人しかないといふ

子の心、親知らず
 親の心、子知らず

   帰りたい行かないで困りぬく帰国者一家

 親はどうしても帰国したい、子供は何んとあつても行きたくないと、今日リオ丸に乗船するため最早や船賃まで払ひ込んだが親子の間に意見対立困惑してる帰国者がある、パ線リンコン駅の渡邊某さんは渡伯以来二十五年、営々辛苦の甲斐あつて少々ばかし纏つた財産も出来たところから、一度なつかしい故郷の姿にも接して見たいと妻子を連れて出聖、帰国手続きも済まし船賃まで払ひ込んだものだが、二十二になる一人息子のパウロ君が俄かに帰国したくないと駄々をこね出し直ぐに再渡航して来るのだと宥めすかしてもいつかな渡邊さん夫妻もこれにはスツカリ手をやいてゐる、パウロ君にしてみれば懐しい故国はブラジルだ、それに植民地には将来を誓ひあつたテレーザといふ可愛い伯人乙女まであつて見れば行きたくないのも無理ではなく、親にして見れば目に入れても痛くない愛としい一人息子をただ独り残しては帰国出来ないといふ訳だ、さて渡邊さん一家果してリオ丸に乗船したかどうか?