輪湖俊午郎「帰国か永住か」

Shungorō Wako: “Retornar ao Japão ou permanecer no Brasil?”

Shungoro Wako's "Return to Japan or permanently settle"

本稿はノロエステおよびパウリスタ延長線の日本人の現勢調査報告書である『バウルー管内の邦人』の巻頭に掲げられた文章。かつて、半田知雄はその著書『移民の生活の歴史 ブラジル日系人の歩んだ道』(サンパウロ 人文科学研究所 1970)において、本稿について「私は在伯同胞の筆になった「苦悶の書」として、まだこれ以上のものを読んだことがない。ここには当時の移民たちの苦しみが、全部要約されているような気がする。私は移民問題に筆をそめるたびに、くりかえし、くりかえしこの論文をよみ、批判に批判をかさねてきた。しかし、このなかにおりこまれている当時の民族感情だけは、論理を超越して胸にせまるものがある。...」(同書 p. 619)と記している。

帰国か永住か

                    輪湖俊午郎

 

 巻頭に私は此問題を取りあげて見たい。

 本書の趣旨から申せば、バウル管内に於ける我が同胞の現勢を詳述すれば、事足りるかに考へられますが、近時内外の情勢は単に地域的に之を見るを許さず、而かも「帰国か、永住か」の悩みは、実に在伯邦人全般の命題となり、甚しく人心動揺の傾向にあるからであります。

 斯る根幹的な問題は、素より私輩の能くする所でないは、勿論でありますが、然かも同じ悩みを持つ在住民の一人として、真剣に此問題を考究して見たいのであります。此切実にして容易ならぬ命題に対する私の態度は、実は他人の事を論ずるのではなく、如何に今後我身を処すべきかに就き、永く思ひ悩んだ、其心境過程の御報告とも称し得るのであります。

 私の持つ悩みの内容は、単なる個人的のものではなく、在伯同胞は勿論のこと、凡そ海外に在住する日本人、そは我帝国の政治圏内を遠く離れて、天涯に身を処し、其地に子孫を遺さねばならぬ総ての邦人が持つ、民族的性質のものであります。

 近時国際関係は弥が上にも、尖鋭化し、為に私共海外に在る者は底知れぬ苦痛と圧迫に悩まねばならぬ現実に直面して居るのであります。之に要する異常な覚悟は発作的感情の一蹴は勿論、冷静而かも根深く内省し、其処に揺ぎなき精神的方向を見出すの外はないのであります。此確立を期せずして、徒に産業を論じ、教育を説くとも、所詮砂上に楼閣を築くに過ぎぬのでありまして、此点私共在外者は、祖国民と其立場を異にし、日夜不愉快極まる民族的試練の為め、痛く精神力を消耗しつあるのであります。

 如何なる心構へを以て、今後共待ち受けつつあるであらう処の、難関を突破すべきや、吾等の子孫を此地に遺して果して悔ゆる事なきか。更に自負を傷つけず、進んで在住国に感謝し、寄与し得べき途なきか、恐らく論じて尽くるを知らざる命題ではありますが、然も敢て之に触れざれば、私共自身の方向が定まらぬ今日であります。

 帰国、永住、曾ては一つの閑散な話題に過ぎなかつた此問題も、今は其孰れを選ぶにしても、真剣な而も深刻な姿となつて、私共に迫つて来て居るのであります。

 今回の管内調査事項中に私は「永住か、帰国か」の一項を挿し挟さんだのでありますが、さすが目今の関心事丈けに、殆ど全部の回答を得たのであります。乃ち全数一万二千通の中、其八割五分は実に「帰国」と回答し、一割が「永住」残余の五分が「不明」との回答であつたのであります。

 右三種の回答を何と見るべきであるか。調査旅行に依つて得たる私の感想乃至用紙を通じて見たる判断にして、若し誤りなくんば大略左の通りであります。

 帰国と称する八割五分の中には、失敗者は勿論、成功者と見るべき部類も多々混じ、稀れには第二世にして、全く日本を知らざる人々も之に参加してゐる状態であります。之にはいささか奇異の感を抱いたのでありますが、こは恐く環境が然らしめた点もあらうし、或はまだ見ぬ父母を憧るるの心裡が、祖国日本に対し働きかけた為めかとも解されました。

 「永住」と回答せる人々の大半は、最近数年間に渡伯した新らしい部類で、未だ自立した者が少く、コロノ或は借地が其大部分であります。此現象は我国に於ける経済的な深刻味を充分味つて来たばかりであり、其上来ると直に日本人社会に入り、味噌醤油は無論の事、其他一切の生活様式に何等事欠かぬのみか、対外人との交渉も殆ど必要なき境涯に置かれてある為め「物資の豊かな丈けでも、永住に値ひしよう」との漫然たる心持ちが斯くあらしめたのではなからうか。果して然らば、之等の人々も、やがて年を重ねるにつれ、時に幾多の艱苦悲境に遭遇し、或は幸ひに発展しても、民族的な圧迫や、子供の将来を真剣に考へる様になると、之又「帰国」の転向者たるの疑ひが充分予想せらるるのであります。旧い移住者の中、まさかの場合は何時にても財的準備に不足ない者に「永住」と答へて居る者もありましたが、其事業の経営振りなどから推すと、必ずしも本腰とは受けとれぬ節も少くないのであります。勿論中には、何はともあれ、俺れは永住するんだと腹を定め、子弟教育なども一貫した方針を立てて居る方々も、無い訳ではない様ですが、之は至つて稀れであります。

 ブラジル人其他の外国人と結婚した人々は、十数名に過ぎぬのでしたが、是等の所謂「永住」は一様に諦め的な意味と解しても、支障なきかを思ひます。最後に僅かながら、祖先からのカトリック教徒たる移住者の大部分は、意外にも「永住」と確答してありましたが、これは恐く本物であらうと想像出来るのであります。嘗てあの日本歴史に血ぬつた、宗教迫害によく堪え得て来た其子孫であり、まして伯国は今尚旧教を以て立つ国柄で、而も天与の豊かな国土であります。其信仰に支障なく、且つ生活に不自由なくば、他は多く昂奮に値しないのでありませう。此点今更乍ら、私は宗教の力の偉大性に感ぜざるを得ないのであります。

 「帰国、永住」其孰れとも不明と称する人々は、各項に亘り、極めて真面目に、且つ用意周到な記入振りを示して居る点などから推しても、比較的理智的な考への所有者と思はれ、静観而して和戦両様の構へとでも譬ふべきか、一見頗る冷静を失はぬ心的態度ではありますが、腰の据らぬ点に於て、帰国希望者と何等選ぶ所ないと推断されるのであります。

 以上に依つて考ふるに、管内在伯同胞の約九割は、其感情に於て将に帰国を希望してゐるものと解して、敢て支障なきかを思ふのであります。後章に於て説明するであらう如く、管内人口の約四割近くもブラジル生れであり、而かも幼少で渡伯した所謂準二世なる者を合算すれば、其数裕に全人口の六割近くを制する現状にあるのであります。にも拘らず尚且九割を占むる帰国希望者を有するのは、抑も如何なる理由に基くであらうか。

 近時民族意識の風潮は、ここブラジルにも熾烈を極め、私共をして不愉快なる日を送らせて、居る事も事実であり、一方興隆日本の姿は燦然として東亜に輝き、之を思慕して已まぬ一般的感情等が、遂に理性の判断を待たずして一気に、帰国心を煽ふる結果となつた事も、疑ふ余地がないかに考へられます。然し、此事情なくしてもやがて一般の最後の希望が帰国にあると云ふ事は、只時の問題として残されて居るに過ぎぬかに思はれます。如何となれば、私共の最も愛する国は日本であり、而も錦衣帰国は在伯同胞二十万の祖国出発に際する一代の念願であり、且つ誓約でもあつたからであります。真実私共の一般は、此国に住む為めに来たのではなく、物質を求めに来たに過ぎないのであります。偶々中途から永住の気持ちに転じた人々があつても、恐く夫れは本来の考へではなかつた筈であります。それ故物質を欲求する為めの焦慮は、寧ろ当然であらうと思ふのであります。実に我が三十年の伯国移民史は、此帰国誓約履行に邁進したもの凄き闘争史以外の何物でもなく、従つて今日、邦人の社会的基礎若しくは財的地盤に見るべきものなくとも、そは何等異とすべきでなく、同時に一路帰国を急いだ結果は、計らずも幾多の好ましからざる害弊を招致し来つた事も亦事実であります。斯くて三十年は徒に流れて、今は既に二代目に差しかかつてゐるにも拘らず尚ほ嘗ての帰国誓約に忠ならんと焦慮しつつある現状にあるのであります。
然し乍ら、私共の経験は、実際問題として、九割の帰国希望者中果して其目的を達し得る者幾何ぞと、反問するのであります。恐くは墓に入る其日まで、帰国を焦慮して、遂に其志を得ざる者が大部分を占むるでありませう。

 私共の伯国生活は此ままでよいか。此地に運命づけられたと諦めて永住すべきであるか。否私共はよし夫れが痩せ我慢であるにせよ、祖国の世界的使命と相結び、元気に明朗に、而して常に理性の判断をあやまらず、今日をして最も意義あらしめたいのであります。即ち私共は、此国に子孫を遺して尚ほ悔ゆるなきのみか、進んで其繁栄を確く信じ、一抹の不安なき精神的方向を、見出したいのであります。若し之を求め得ずんば、土に打つ一鍬と雖も、全く無意味であり、甚しき苦痛でさへあり得るのであります。「楽土安住」もよいが何となく支那臭い。私共の現状は、もつと切実な民族的根幹に触れた指導原理を要求してゐるのであります。

 退いて私は「帰国か永住か」に対する私一個の心の推移を記述して参考と致したいのであります。

 私は一般同胞の如く、日本出発に際し、実以て帰国の誓約をして来ては居ないのであります。にも拘らず、若し人あり「汝、帰国か永住か」と、問ふあらば私の純感情は直に「帰国を熱望す」と答ふるに、聊《いささ》かも躊躇しないのであります。こは偽らざる私の真情であり、理性がそれを制圧すればする程、私の感情はたかぶり燃え立つのであります。

 せめて、あの白砂青松を心ゆくまで眺めて死にたい。ブラジルのサツペ原に墓を作りたくはないのであります。郷土に於ける我が家は貧しと云えど、家を囲む石垣の一塊と雖も、祖父を語り、曾祖父を偲ぶに足るのであります。まして山川草木、一つとして幾百千年の私共祖先が光輝ある歴史の背景たらざるはない。花の蔭に或は紅葉の下に、そこに和歌は生れ、俳句は育ち、偉大なる芸術が完成されたのであります。誰か日本を敬せずと云ふや、一天万乗の君を中心として、私共祖先の血は三千年を護つて常に躍動し、あの山紫水明の地に流れ養はれて、今日に及んだのであります。
斯く思ひ到る時、私は管内調査の結果に依る、八割五分の帰国希望を敢て驚かざるのみならず、何故に其十割ならざりしかを怪しむ程であります。祖国に対する此思慕愛着あればこそ、我が史実は全きを得、更に其姿は偉大たるを得たのであります。然らば、私は此純感情に任せて、行動すべきであるか。容易ならぬ此現実に直面して、私は父とし夫として、痛く其進退に迷はざるを得なかつたのであります。

 例へ殺さるるとも、私は祖国に対する此愛着の感情を捨て去る事は出来ない。なぜならば、私の血そのものが、祖国夫れ自体の血であるからであります。愛する祖国、我民族が必要とあらば私は歓喜して死にも就くべし。まして帰国、永住のごとき問題ではないのであります。叙上の意味に於ては、いささかも迷ふ所がないのでありますが、帰国、永住に関し、ここに私をして最も苦悩せしむるものは、実に何人にも共通な子孫に対する問題であります。蓋し、親心は人間本然の姿であり、且つ絶対至上の感情であります。集つて社会を作り、国家を組織し、而して久遠の和平を要求する事も、此本能に出発した理智感情の働きであります。然らば如何にある事が、子孫の為めに幸福であり、未来につながる吾をして満足せしめ得るか。此切実なる命題は、実はいかに苦悩するとも、所詮私共の持つ経験、理智の範囲に於て解決の外ないのでありますが、而かも不幸此理智経験に不審を抱くの時あらんか、私共の精神生活は直に其安定を失ふのであります。
私共は伯国に其子孫を遺して悔ゆるなきか。恐くは在伯同胞究極の悩みも、此一点に帰着するのではないかと思ふのであります。其意識すると否とに拘らず、帰国永住共に我が子孫を思ふての結果であつて、其孰れを選ぶべきかは、実に私共各々の持つ理智体験に基いて決める外はないのであります。

 ブラジルに私は、既に二十六年を送り、今四人の伯国出生児の父であり、数年前から、一介の農民として鍬を執る者であります。帰国か永住かの問題に関し、私は多年私の持つ全理智、全経験を動員し、これが解決に根気よく戦ひ続けて来たのであります。

 ブラジルは私の久しく住み馴れた国であり、其経済生活からする時私自身の境遇に於ては、遥かに日本に勝り、且つ好都合であります。然し私の子供等の将来を考へ、此国に生を托することが、明に不幸であると云ふならば、親の都合を以て子供等を犠牲にすることは、許されないのであります。子を犠牲として、尚ほ忍び得る唯一の場合は、自己を離れて大義に就く時以外にはないのであります。

 私は三度び祖国に帰りました。而して其都度、如何にせば日本に於て生活が可能であらうかと屢々しばしば考へて見たのであります。然るに私共の如く、永く放逸な生活を続けて来たものには、異常の艱苦を覚悟せざる限り、到底思ひもよらぬ事と知つたのであります。微に入り細に亘り、今日本の経済機構は極度の発達を遂げ、銭厘の掛引きにも、農民は或は店頭に、或は田畑の中に、小半日も立ち続け、喋り続けねばならぬ其風景を眺めては、只驚き慨嘆の外はなかつたのであります。衣食足つて礼節を知ると云ふが、故国農民の大部分は、衣食足らずとも礼節を強ひらるるの状態にあるを見て、私は伯国生活に訳もなく感謝の念が、胸一杯になつたのであります。
斯程に祖国の経済生活は、恒産なき私共に取つては、殆ど不可能に近い事を、能く心得て居る私ではありますが、然かも私の子供を此ブラジルに遺すことが、飽くまで不幸であると云ふならば、よし我身が粉にならうと、先づ以て私は此地を引き揚げねばならぬのであります。

 「不本意ながら、日本では食へぬから暫く此国に止まらう。其中にロテリヤの当らぬとも限るまい」斯うした気休めも、嘗ての私の胸奥には、過分に潜在して居たのでありますが、子供が二人となり三人と増して、夫れ等が日に月に発育成仁ママして来るのを見ると、最早よい加減な気休めでは、済まされなくなつて来たのであります。嬉々として庭園に遊ぶ我が子を見る時、或は夕餉の卓に打ちつどひ其日の出来事を談笑する時、父とし夫として、何等信念なき生活を徒に続けることは、一種の罪悪とも思はれ、如何にも堪え難き苦痛を感じたのであります。此国に永住し、子孫を遺すことが、果して子供等の為に不幸であり得るか。私の帰国永住は、将に此一点にかかつて来たのであります。

 「汝に若し、一千コントスのロテリアが当つたら、何うするか」と、先づ私は私自身の心に窃に聞いて見るのでありました。金には生来縁の薄い私のことですから、これには流石に面喰つたのであります。「五ミル換算として二十万円になる。これ丈けあれば、あの風光明媚な祖国へ帰つて老後ユツクリ暮しても余りある。いや日本内地は、うるさくていけぬ。どこか八丈か小笠原島へでも行つて、島の娘の歌を聞き乍ら、釣りでもしたら嘸《さ》ぞ面白からう。然し東京の新聞が其日に読めぬとなれば、これは亦淋しいなァ」さて何うしたものかと、私は一千コントスを抱いて、実はヴェランダの藤寝椅子で頗るもてあましたのであります。

 其時の私の心持ちには、妻子のある事をスツカリ忘れ果てて居たことに気付き、ビツクリして現実の人となり、改めて此一千コントスの用途に対し再考せねばならなかつたのであります。

 「そうだ、妻も随分苦労をしたのだから、其罪亡ぼしに何んとか慰める方法を取つてやらう。それから男の子は、夫れぞれ才能に応じてすくなくとも専門教育はさせてやらねばならぬ。女の子は余り学校教育をさせると、ロクな者にならぬ故、女学校位で止めて、其代り良妻賢母の躾けをしつかりしてやらう。「良妻賢母」いいなァ、若い頃は何だか旧るくさい言葉だと感じたが、此年になると矢張りいいなァ、なにせよ、女の子は人様にあげるのだから、御粗末ではいかぬし、第二の国民を作る者は、将に女にあるのだから、此点篤と妻をも相談しよう。そうだ、忘れて居た。先祖の墓も其後荒れてゐるだらう。帰ると何により先きに、墓参をすることにし、其上のことでも遅くはあるまい」

 ザツと以上の様な案で、極めて平穏無事に一千コントスの支出方針も立ち、ブラジル出発はいつ頃がよいか、花の咲く頃日本へ着く様にと、云ふ所まで進んだのであります。然るに此の時の私の心には、私共夫婦は既にブラジルに二十年も住んで居り、四人の子供は皆此国で生れ、此国で教育されて居ることに、気が付かなんだのであります。

 「さてな、これはチト困つたなァ、第一妻が、なんと云ふか解らないぞ、あいつ仲々変りものだからなァ」

 私は先年妻子を連れて一時帰国をしたことがあります。幸ひ妻の両親は健在であり、それに相続人の弟一人と云ふ至つて閑散安逸な実家で、妻はお山の大将をきめ込んで居たにも拘らず、四、五ケ月目から「あなた、いつブラジルへ御帰りになる?」と私が妻の実家へ立ち寄るたびに催促をする。「行く」と言はずに「帰る」と云ふたのが、如何にも異様に聞え、而かもほほ笑ましく感じたのであります。「なる程なァ、あのアリアンサの板小屋の方が、此家より良いのかなァ」「エエそふですとも、女には子供を産んだ所が故郷ですもの、それに妾は日本へ来てから、風邪ばかり引ひてゐるし、子供はフエジョンが食べたいと騒ぐし、おまけに近所隣りが、うるさくて嫌やになりました」と云ふ。私は当時日本国中飛び廻つてばかり居たから、薩張さっぱり解らなんだが、云はれて見ると、妻の云ふ事も真実らしいのでした。伯国へ帰つてから、妻は何を云ふかと思へば「あんなお金があつたら、斯うも、ああも出来たのに」と、私こそ誠によい面の皮であつたと云ふ経験を持つて居るのであります。

 事実二十幾年も此地に暮らすと、丁度草木の様に、段々と根が張つて来て、植え替へても仲々つかないと同様に、私共が帰国し、生活する事にはいささか無理がある様にも思へるのであります。「それでは折角、一千コントスも持ち乍ら、帰国は止めとするか。否々子供の教育と云ふ大切な問題がある。妻の方は亦なんとでも、だましがきく。」

 そこで四人の子供の個性などを頻りと贔負めに考へ、あれはああ、これはこうと夢の様に色分けして、各々其才能に応じ、専門学校乃至大学まで卒業させる事にした。所が出た後が悪い。やつと就職はしたものの、月々親の脛を齧りに来るのみか、お先きがつかえて出世など出来そうにもないと云ふ。何にせよブラジル生れのブラジル育ちと来て居るから、隙を窺つて人の足など捕へる術など知らない「どうも困つた事だなァ、夫れでは折角教育して見ても、子供の幸福と云ふ訳には行かないのかな」

 斯くて、仕舞の果てには何んのことやら薩張さっぱり解らなくなつて、一千コントスが煙の如く、立ち消えたのであります。そこで私は遂に幸福とは何ぞやと云ふ馬鹿馬鹿しい問題まで、取り上げて考へねばならなくなつたのであります。「あの人は幸福だ」と人が羨む身分にあり乍ら、本人は一向平気なのみか、時には不平を並べる場合さへ私共は往々見受けるのであります。これは一体どうした事か。所詮幸福と云ふ事は、宗教的に見れば感謝の生活で、凡てを求め得たる心境、換言すれば凡てを我が手より放ち、神に捧げたる心境でありますが故に、現在の境遇が如何にあらうとも、其儘そのままで満足が出来る、即ち幸福を感じ得ると云ふ心的作用であります。而して信仰生活を離れて之を見れば、真の幸福とは、理智と感情が共に、完全に発育を遂げ、而かも能く両者が調和のとれた心理作用とも説明が出来ませう。蓋し感情は力であり、理智は方向でありまして、之を船に譬ふれば、感情は推進力であり、理智は其行かんとする所を示す羅針盤とも云ひ得るでありませう。

 いずれにせよ、幸福とは結局精神的なものでありまして、之を求むる必須条件として、健全なる肉体を私共は要求するのであります。如何に推進力が盛んであり、又方向を示す羅針盤が正確であらうとも、船体が強固完全でなくば、目的を達し得ないのであります。それ故、肉体を護り、且つ養ふ為めの物質欲は、極めて本然的なものであり、亦当然認容せらるべき筈のものであります。

 果してブラジルは、私共の子孫が幸福を求め得るのに、適当な所であるや否や。

 此場合、何人も異論なく、肯定出来る点は、ブラジルは我日本に比し、幸福獲取の第一条件たる物質、即ち私共の肉体を養ふ所の要素を過分に持ち合せてゐると云ふことであります。然し如何に物質が豊潤であらうとも、素々それ自体が究極の目的物でない故に、若し精神的な意欲を満たし得ぬとすれば、そは恰も猫に小判と同様であります。「ブラジルは、食ふて行くにはよい所だが、此頃は何にやかと不愉快な事ばかりだなァ」とは、恐く近時の在伯同胞全般を代表した慨嘆と云ひ得ませう。

 ブラジルの自然は、今日も昨日に変りはない、米も棉も同じ様に実のり、パイネーラは野山に花を開き、そして牧場の牛は、いつも乍ら屈托なさそうだのに、何故私共に限り不愉快であるか、此不愉快は私共の心の持ち方、若しくは努力に依つて、消滅し得ざるものであらうか。進んで私共の意欲して止まぬ幸福は、遂に此国では求められぬであらうか、私は此命題を最後として永住如何を決定すべき楷梯とはなつたのであります。

 先づ私の理智と感情は、血の問題に付いて相争ひ初めました。感情は云ふ。「妾は飽くまで、血の純潔を願ふ。此国に二代三代ともなれば、妾の血はいつの間にやら、濁つて仕舞ふに相違ない。それは悲しいことです。二代目には二分の一、三代目には四分の一、四代目ともなれば、私の血は十六分の一になつて仕舞ひます。夫れも綺麗な人の血とならまだよいが、若し黒ン坊とでも同居せねばならぬとあつては、とても私には我慢が出来ません」と感情は今にも泣き出しそうでありました。「考へても御覧なさい。若しあなたの奥さんが、外人だとすると、子供の血はあなたの血の二分の一、其の子が又外人と結婚すれば、孫には、あなたの血は四分の一さら、混じつて居ない事になります。同じ家庭に住んで、あなたと孫とは、似もつかぬ外人との雑居ですよ。これで家庭がおさまると思ひますか、混血はやがて民族自殺です。それでもあなたは良いですか。妾はいやです」と、感情は頗る高調を示しました。

 之を黙然と聞いて居た一方の理智は、徐ろに口を開いた。「お前はそんな事を云ふけれど、お前の先祖だつて、三千年の昔は、どこの馬の骨と血を交へたか知れや知ない。何分永い幾星霜を、ああした島国で、其後他の血を交へる機会も必要もなくて来たから、一種の型が出来上つたまでだ、趣味も思想も同じ自然に養はれ、其結果そこに一様な愛着心が湧いて来たに過ぎぬ。凡そ宇宙の生きとし生けるものは、種族保存の強力なる本能を持つてゐる。人が集つて社会を作り、国家を組織する事も、此本能に出発した人間の理智感情の働きである。此場合、同じ血に依る社会国家が最も強力であることは日本がよい例である。お前は混血すると、仕舞ひには自分まで亡びるなぞと悲観するが、其様な事はない。世の中に滅すると云ふ事は断じてないのだ。譬へお前の血が千万分の一にならうと、それは絶えたのではない。微に極なく、大又無限と云ふ事が、宇宙の原理で、形や量に比較はあつても、本質に毫末の変りはない、お前の持ち前として、三千年の伝統に執着の深いことは当然で、性欲に任せて矢鱈黒ン坊なぞと、結婚されてはたまらぬからなア、お前は幸ひ子供があるから、其様な心配も出ると云ふものだが、一体子供のない人は、何んと人生を考へればよいか」

 血の問題は、以上に依つて、どうやら、そないに神経的にならいでも、自然のままで良いと云ふ事にケリが着いたかに考へますが、現在ブラジルに在住する、私共日本人の全般が、最もセリアスな而かも不愉快極まる問題として、直面してゐるのは、実は血の問題ではなくて、伯国政府の在住諸外人に対する政治方策であります。

 私はここにブラジルの政治を、とやかく批判しようと云ふのではないのですが、何にせよ、余りに急激露骨、而かも神経質な政策実施の為め、私共在留民の一般が、甚しく面喰ひ、昏迷慨嘆の現状にあるは、隠れもない事実であります。即ち移民二分制限、並に第二世に対する外国語教授の禁止令であります。私共は以上に処する対応策乃至其因つて来る所の法律の精神に、充分の検討を加へ、然る後何等満足なる回答を得ざるとせば、或はブラジルの地も遂に永住に値ひしないかも存ぜぬのであります。果して私共は此地に、活路展開の途なきか。

 嘗て移民二分制限案通過の際「ブラジルの事だから、又何んとかなるだらう」と、斯うした漫然たる楽観者が相当知名な人々の中に見受けられたのですが、私は当時、恐くは将来とも此問題は好転を許さぬであらうと予測して居たのであります。如何となれば、斯くの如きは、伯国為政者自体の創意と云はんより、実に滔々たる世界的な民族意識に影響された結果と考へたからであります、故に事ここに止らず、伯国は世界の大勢に引きづられて、或は更に不必要と思はるる国粋的政策まで、私共の頭上に投ずるの時あらんやを憂へたのであります。

 誠に移民二分制限は、あらゆる意味に於て、私共に痛棒であつたに相違ないのであります。後続部隊の中絶は、文化的には本国とのパイプが切れた事になり、経済的には私共の今日迄の地盤が、漸次崩壊されて行く結果となるのであります。

 「ドシドシブラジル人間に進出したら良いではないか」とは、まま元気のよい人々から耳にする所であります。然し実際問題としては、二代三代目はいざ知らず、こは望んで而かも容易に得難い事に属するのであります。此事は各国人の移民経済史を顧みるまでもなく、現に二十万と称する私共在伯同胞中、凡そ成功者と唱ふる者の中の、一人として日本移民の生産力を基礎とせざるはないのを見ても、了解出来る筈であります。三菱の伯国に於ける投資ですら、其大部分は実に日本移民を対照ママとしてゐるのであります。

 斯くて後続部隊が絶えた結果は、将来伯国財界に雄躍せしむべき其温床たる、私共自体の経済的基礎が何等強化されぬのみか、寧ろ年と共に似て非なる日本人などが増加し、追次弱化の一途を辿る懼れさへあるのであります。

 私はここブラジルに猶太ユダヤ人を作らうと云ふのではない。何より先づ私共の財的基礎を確保、強化せねば、人材の養成は愚か、偶々得たる人材も用ゆるに由ないのであります。

 現在聖市其他に遊学して居る所の邦人子弟は相当の数にのぼつてゐるのであります。今後益々増加するでありませう。然し彼等が折角学業を卒へても、其生活戦線に立たんとするや、日本人であるが為めに、或はまなまなしき移民の子であるが為めに、事実ブラジル人乃至在住諸外国人の会社などへは、容易に就職出来ないのみならず、偶々其機を得ても、力量に相応した椅子は与へて貰へない実情にあるのであります。これは立場を替へて考へれば当然のことであります。私共にしても、先ず我が子、我が近親から初め、余程特種な場合でないと、物好きに支那人や朝鮮人は使はないのであります。万一之等を使傭するとせば、そは彼等の背後にある支那人、朝鮮人を対照ママとする場合に於てのみであります。故にすくなくとも、或る時代を経過する迄は、私共自体の財的地盤に依つて彼等を養ひ、且つ消化して行かねば、第二段の飛躍が出来ないのであります。

 以上に依つて考ふるも、如何に移民二分制限が私共の財的地盤に影響するかが分明するのであります。然し私は之を以て、決して悲観はしないのであります。若し在伯同胞二十万が、爾今、其各々が有する全機能を動員して、之に対応するならば、必ず其目的を達し得ると確信するのであります。要は一に私共の覚悟如何にあります。

 飜つて後続部隊中絶による、文化的影響を考へて見る。凡そ私共の心的進歩と云ふものは、先づ接することに初まるのであります。人間には不思議に、無限の吸収力と消化力が与へられて居ります。私共の肉体は厳密なる物理的制約を受けて居るのでありますが、私共の心は、世界を呑み、宇宙を呑むとも、決して支障ないのであります。即ち自然に接すれば自然を吸収し、人に接すれば人を消化し得るのであります。此意味に於て日本移民の中絶は、私共に、より高度な文化を吸収する機会を逸せしめた結果となるのであります。成る程、交通から見た世界は非常にせばめられ、従つて思想的交換には差したる不便なきかの状態にありますが、文化は思想丈けでは生れない。私共は自らの持つ思想を表現せんとし、現実に示さんとする本能的要求があるのであります。乃ち此要求は何等かの運動となつて現はれるのでありますが、此場合、同じ細胞が多ければ多い程、有効且つ好都合たるは、論を待たないのであります。私共は之に対処して、如何なる方策を講ずべきか。
誠に日本政府も、亦在伯同胞も、彼の移民二分案通過を転機とし既に其陣容を改め、迫力強化を計らねばならなかつたのであります。

 て、最後に残る問題、否本論の死命を制する中核問題は、実に私共の第二世に対する教育方針でありまするが、これが、確立は、先決問題として、帰国か永住かを決定せねばならぬのであります。

 近年伯国政府は国内の統制に焦慮し、其一方策として在住諸外国人の同化を要求し、これが法令中に、所謂外国語教授禁止なるものがあるのであります。一度び此法令の発動を見るや、邦人社会は愕然として其帰趨を知らず。遂に武官まで飛び出して来て、日本民族の美点を有する日系伯国人を養成すると云ふ指導方針を、三十年振りで発見した由であります。然し乍ら、此指導方針は其対象たる在留同胞が此国に永住すると云ふ事を前提として、初めて意義あるのでありまして、其大部分が今尚ほ永住の決心つかざる今日、甚だ響きのない声明であります。既に厳然として法律は存するのでありますが故に、日本語乃至日本教育を欲する父兄は、自らの家庭に於てなすか、然らずんば、少くとも伯国を退去するの外はないのであります。ここに於て私共は、帰国か、永住かを決すべき最後の関頭に立たせられて居る次第であります。

 私は右に関し、結論を求むる道程として、数頁に亘り、縷々るる私自身の心的解剖を試み、更に随時随感的の文字を列べて参りました。其間或は横道にそれたり、時に自己撞着の感なしとせぬが、要するに、ブラジルの国土は、其自然的条件に於て、私共の生存に欠くる所はないが、政治的傾向若しくは方向が私共に、果して堪え得るであらうか。否吾より進んで之を迎へ、而かも誘導し得る所の者であらうかと云ふ精神的な問題を最後とし、永住如何が決定され、然る上は私共第二世の教育方針の如き論なくして、確立する事と信ずるのであります。

 私共の第二世をして、立派な伯国人に育て上げることが、果して子供等の為めに不幸であらうか。立派な伯国人とは抑も如何なる目標を指して云ふのであらうか。

 私の願ふ所の立派な伯国人とは、先づ其国を愛し、其国を堅城として人類浄化の大使命に突入する所の勇者であります。此大理想は誇るべき祖国三千年の伝統であり、又ブラジル建国の精神と相結ぶ所のものであります。斯く考ふる時、子供の為めに帰国すると云ふ事は、全く無意義に終るのであります。

 此心を以て伯国の大自然を見よ。山川草木一つとして歓喜に燃えざるは無く、ことごとく我が味方たらざるはない。私共の前には、尚ほ幾多の艱苦が伴ふでありませう。然し此覚悟を以て臨めば、如何なる場合にも必ず道は通ずるのであります。実に宇宙万物は、私共の心の持方に依つて、其総てが幸福をもたらす材料ともなり、自個破滅の以所ママとも変ずるのであります。同じ材料を以て、宮殿を造ることも出来れは、獄屋を造る事も可能である。ここブラジルを天国と化する事も出来れば、祖国に帰つて地獄を作る事も又可能であります。
顧れば私共が此国に足跡を印してより、ここに三十年、其間払はれたる犠牲は老幼男女を合し、実に二万近いのであります。此墓を捨てて帰ることは、決して私共の祖先に対する道ではないのであります。私共の血がブラジル人の血脈に流れ入り、勝れたる伝統を以て其濁りを浄化してこそ、私共がここに移り来た意味をなすのであります。

 此国の墓に入る其日迄、私は一生懸命働くでありませう。懐かしき祖国日本の姿を胸に抱き、私は最後の瞬時まで、其隆昌を祈るでありませう。而して私は我子を立派な伯国人として、役立たせる為魂身ママの努力を払ふでありませう。更に子孫の繁栄を硬く信じ、尚ほ伯国の将来を祝福して已まぬのであります。