二世のブラジル人としての自覚

A consciência dos nisseis enquanto brasileiros

Self-awareness as Nisei Brazilians

聖市邦人学生連盟は1934年(昭和9)10月21日に結成された中学生以上の親睦団体。『学友』はその機関誌。この論文(原文はポルトガル語で、これは翻訳)中の「我々の祖国はブラジルである。遠い未見の国、菊の花は愛することはできない。」という箇所が在留邦人社会の中で不敬罪にあたるとして騒ぎ出す人が出た。総領事館では、同年10月からサンパウロ日本人学校父兄会を通じて学資補助を開始していたが、これを問題として、日本政府から学資を受けている者に、聖市邦人学生連盟を脱退せよと申しつけた(菊花事件(学連事件))。

我等の心情

                                  下元健郎

 日系ブラジル人は当ブラジル国に対して、一大責務を負ふ

 南十字星輝く沃土に生れ出でたる我等にこそ、実に、この国の運命がこの国の若き者の双肩にかかつてゐる。其の同じ責任が負はされてゐるのだ。

 我等の父兄は、時あつて、ブラジル人の攻撃の的であつた[。]そして、現在も攻撃されつつあるこの攻撃は我等の心を刺す[。]だが我々の良心を痛めることはないのだ。

 かくの如き攻撃を成す所の人々は次のことを全く了解してをらないのである。二千年以上の伝統を所有する所の且つ全然異る風俗習慣を持つ国土に培はれたる日本民族が、我がブラジルの国風に驚くべき迅速なる同化をなしつつあることをこの事実を彼等は知らないのである。我々日系伯人は我等の父兄への攻撃に対して良心を痛める必要は更にないのである[。]何故ならばブラジルへの日本移民の歴史は僅かに二十有余年の歳月をけみしたのみであるから。

 我等は意見を吐かねばならぬ。我等は既に自己の思想を発表する能力を所有してゐるのである。見よ、三百人以上の邦人学生が首都サンパウロ市の各学校に通学してゐるではないか。そして其の多くは最早や溌溂たる青年ではないか。我等は実にピラチニンガの地に生れたことを誇りとし幸福とするものだ。

 日本人は集団をなして、ブラジルの風俗習慣に同化順応せずとの非難は、根底から覆へされてゐるのだ。我々はかくの如き矛盾せる言分には一顧の価無しとする者だ。

 日本人の攻撃者は、我等日系伯人が同化の可能性を示さなかつた時、或は幼児が化物を恐怖するが如く、彼等の恐るるキストを形成する時、其の日にこそ、誰の遠慮も無く、其の主張を高らかに叫ぶべし、我等の血管内には、たとへ日本民族の血が流れてをらうとも、我等がブラジルの祖国愛にこそ我等の心臓は高鳴るのである。この真実なる立証はやがて時が与へることであらう。我々はブラジル国歌を耳にする時、四百年来、パウリスタが感じたる同じ感激をこの胸に感ずるのだ。ゴンサルベス・ジアスの詩を誦する時、我等の魂は強き情熱で震へ戦慄おののくのだ。

 この生きた証明は、実に、一九三二年の革命に際して我が日系伯人に依つて明白に与へられたのである。一九三二年サンパウロ全住民は其の愛する国土を護らんが為に、一心一体となつて立上つたのであつた。此の時我等第二世は、父兄の心配にもかかわらず、又其の行動の結果を考へる予猶ママもなく護憲兵の列に身を投じたのであつた。かつて双手を挙げて我等の父兄を歓迎せるは、又実に我等の出生地に他ならぬこの国土の為に、なすべき義務をかくの如くして遂行しつつあつたと云ふ、堅き信念のもとに。

 如何にして我等の父兄の祖国日本を我々は愛することが出来るか。遠く離れて目に見ることの出来ぬ国土の為に如何にして愛国心が生じ得るのか。我々は父兄の祖国に対して、出来得る限りの尊敬を持つことが出来る。しかしながら、菊花の国の為に愛国心は断じて起り得ないのである。
 如何にして未知の国を愛することが出来るのか。我等はブラジルを愛する、何故ならばブラジルこそ我等の祖国であるから。我等はブラジルが若し我等の血を必要とするならば、何時であらうともブラジルの為に流す用意が出来上つてゐるのだ。

 日本国家に対する、想像に過ぎない空なる愛国心を、我等に強ひること、それは一顧の価なき一大矛盾である。

 只一つの我等の戦闘精神は、ブラジル国家を愛さんが為であることを、我々は時と共に示さうではないか。そして此の精神を以て平時にあつては、ブラジルを偉大化し、戦時にあつては、ブラジルの盾となつてこの国を防禦することを我々が知つてゐることを示さうではないか。

 我々は、ブラジルの青少年の夢見る同じ夢を見やうではないか。今我等の頭脳には未来の祖国ブラジルの姿がゑがかれてゐるのである。一つの大きな塔、そこから平和と勤労の精神が全世界に向つて投掛けられる。其の塔こそ我等の努力の果実を代表するものに外ならないのである。この塔は雪どけ時の氾濫する激流の如く、民族間の疑惑と憎悪とそして人間の利己心と悪意と総べて、人類の災の要素を流去るであらう。

 祖国ブラジルの将来は恰も泉の如く、クリストが我等に教へた所の、しかも我等人類の未だ了解せざる隣人愛の精神を其の中に溶しもたらすであらう。されば、我等が愛する黄緑色旗を更に更に愛し得る為の、此の大事業実現の暁に於ける我等を期して待つべし。

一九三五年十月
(学生連盟機関新聞第一号より翻訳。文責在訳者)