二分制限法案(邦字紙記事)

A Lei dos Dois Por Cento (artigo publicado em jornal de língua japonesa)

Two percent limit clause

連邦議会に排日案遂に上呈され
 観点さまざまの論難囂々

  日本移民俎上に擬せらる


『伯剌西爾時報』昭和9年1月24日

 卅年革命成就後臨時政府は国内失業者救済策の一端として、時の労相リンドルフオ・コーロル氏に命じて直に外国移民の入国を禁止せしめたが、当時日本移民のみは我関係者の尽力で特に連邦政府より入国を許可せられ、その後引続き毎年特定数の入国を許され今日に及んだものである、

 然し乍らこの連邦政府の好意ある対日本移民政策は各国の不満を惹起すると共に日本移民の一挙一動が著しく伯人のみならず各国民の目に止まり動もすれば葡字紙上に於て論議せられ勝であつたところ、今次の連邦議会の召集を見るに及んで愈々本問題が俎上に上り、終に事態は日本移民の前途にとつて非常に憂慮すべき情勢を醸すに至つた、

 即ち十一月卅日の議会に於て連邦区出身の代議員にして有名な排日家として知られたミゲール・コート教授が、予て持論の優生学上より主張する日本移民不可論を移民法修正案として議会に提出したるを初めとして、次で又同日更に日本人間に知られた前聖州内務長官、生物学研究所長の要職にあつたアルツール・ネイヴア氏他十七名の連署になる移民法修正案の上呈を見たが、之によると移民は総て白人のみに限定し、而もこれ等移民の集団生活を厳禁すべしと為してゐるが、その理由とする処を見るに、有色人種中日本人種は教養訓練、組織的なる点は勿論又労働等の点より観ても充分賞讃に値するものであるも、その言語、風俗、習慣は何れも伯人の夫と性質を異にし、現在聖州内に於て廿万人に垂んとする彼等日本人はやがては卅万、五十万人となつて国内労働者を次第に駆逐し、更に伊太利人、シリヤ人をも除け者と為すに至るであらうと極めて杞憂的な言辞を羅列し、更に日本人の国民性として侵略的なりとして満洲事件の例を引用した一種の恐日病に冒された様子が充分窺はれる、

 斯くの如く日本移民問題が漸く各方面の注意を惹きつつあつた折、更に十二月十九日聖州フレンテ・ウニカ所属の代議員モンテイロ・デ・バーロス氏も又移民法に関する自己の修正案を提出し、日本移民不可論に対して拍車をかけた形となつた、

 即ち氏の論旨は、法律に依つて伯国民の人種的統一を図らんと企つるもので、之が為には連邦政府所管の監督機関を設置してその実現を計るべしと主張し、尚氏は、伯国に於てその国民性に不適合であり、又人種的に相容れぬ外国人の集団生活を絶対に禁止すべしと言つてゐる、

 その他同じく排日家としてられたシヤヴイエルデ・オリベイラ氏も又旧臘[注 「昨年の12月」の意]廿二日議会に於て、氏独特の専門の見地よりして黄黒人種の入国を禁止し外国移民は総て帰化し得る人種のみに限定すべしと言ふ修正案を提出した、

 右の中殊にとく記すべきはその理由書中に於て、国内に於ける精神病者が年一年と増加しつつあるを統計的に説明し、外移国民ママ中にこの種精神病者が次第に増加しつつあるは優生学上由々敷き問題であるため、速かに適当なる対策を樹立すべしと云つてゐる

  *   *
  以上の如く日本移民に対して極めて不利なる情勢が連邦議会に於て擡頭してゐるが、従来日本人に対して深き理解を有してゐる聖州選出の代議員モラーエス・アンドラーデ氏は、廿二日の議会に於て再び前記バーロス氏が日本移民不可論の蒸返しをなすや、極力バーロス氏の主張を反駁してその主張が何事根拠なきを指摘し、同じ聖州選出の代議員であり乍ら日本移民問題を繞つて一騎打を演じ全議員の注目を惹いた

  *   *
 今回の日本移民問題がかく論議せられるに至つてことは既に幾度か噂に上つた処であるが右の各代議員中特に聖州選出のバーロス氏の如き日本移民の集団生活に対して舌鋒鋭く攻撃を加へ、ノロ線沿線一帯は勿論海興イグアツペ植民地は言ふに及ばす聖市コンデ街に於ける日本人の集団生活を根抜と為すべしと強調してゐる、恐らく氏自身としても日本移民そのものを根本的に不可と言ふものとは思はれてゐないのは、過般の議会に於る氏の演説の如き、我移民会社及び出先官憲の政策を攻撃してゐるのを見てもその間の消息を充分察知し得る処である、

 こん次の議会で斯くもいろいろに日本移民が論議されるに至つたことは種々理由の存することであるが、曩に邦人五六名の者がコカ密輸事件に関係してその筋に検挙された事実は、リオ中央政界に於て予想外の反響を与へ、伯人識者をしていたく憤慨せしめたといふ事が伝へられてゐる[、]その他関係議員にして日本人に対し個人的感情問だいも介在してゐること勿論である何れにしても現在は日本移民にとつて大切な時期であり、大使館は勿論総領事館としても慎重なる態度で善処しつつつある


恐日呼ばはりは

  遺憾千万


『伯剌西爾時報』1934年2月24日

  一

 排日問題が、いろいろな場所にちがつた形式で起るを見るも、支那を除くの外は、人種的僻見が其の根本を為してゐるやうである。今度ブラジルに起つた排日も、論者は人種的僻見ではないと断はつてゐるが、その語る処を聴くと、大部分が僻見と、感情との捏ね廻はしであると云つて可い。

  

 すなはち、バーロス氏にしても、ネイヴア氏にしても、貴重な憲法制定議会に、移民法修正案として述べてゐることの、其の殆ど全部は日本移民の悪口であり、欠点探しであるが、如何に我が大使館が三猿主義を採つてゐるからとて、余りにも国際情誼を無視した振舞ひではなからうか。

 吾人と雖も日本移民は完全無欠だとは云はない。未だ習慣に染まない者もあらうし葡語に不通な者もあらうが、併し外形が完備せずとも内心だけは、ブラジルを第二の故郷として一家一族の生活を幸福たらしむると共に、之を延いてブラジルの為めたらしめんと、粉骨砕身、大いに努めてゐることは事実であるから、両氏も是れだけは認めざるを得なからうではないか。

  

 最近又、憲制議会で獅子吼せるミゲル・コート教授の排日論にしても、同教授永年主張し来れる優生学上からの日本移民排斥論を棚に上げ、今度は急に早変りして、日本人を山豚にたとえての「恐日」論を、場所もあらうに一国最高の議政壇上に於て叫ばれたるは、ブラジル大共和国の為め、た同教授の為め甚だ遺憾に思はざるを得ないのである。

  

 ミゲル・コート教授は、ブラジル医学界の大御所であり、国家の元老であられるのに、日本の満洲に対して執つた処の権益擁護と、三千万住民の自発的独立の満洲国承認とを、領土侵略であり、軍国主義であると前提し、若し日本移民のブラジルに移住するを無制限に許すなら、やがてブラジルは、第二の満洲と化せざるを得ないとの断案を作つて居らるるのであるが、如何に日本人を嫌ひ、日本人を恐るるからと云つて全く事実に相違せる命だいを作り、之を三段論法式にブラジルに当嵌められたるは、ミゲル教授の位置が高く、その一言一行が影響することの大なるだけに、吾人は日伯親善の為め憂ふるところなくんば非ずである。

  

 ブラジルは、国際的に観て平和の国であり、日本は、外敵に対して防禦こそすれ、進んで他を侵すことの無い国である。それにブラジルと日本とは地理的に何等忌むべきことの起らう筈のない国柄である上に、日本移民の全部がブラジルを此の世の楽園国として、日本人の先天的に好める農業にいそしみ、第二世以下をして最も優良なるブラジル市民に仕立上げんと努力してゐるのであるから、日本人としての吾々からするなら、ブラジルの国民―殊に政治家―から歓こばれこそすれ、悪口なぞを、云はれる理由なしと信じてゐるのである。然るにそれが反対に、日本移民及び其の子孫が、ブラジルの国民たることに危険あるとして警戒し、排斥さるるの言を聞くは吾々に取つて、是れほど意外なことはなく、遺憾なことはないのである。


俄然排日論陣の総攻撃
 聖州一部代議員の奮闘も空しく

  遂に二歩案通過

  票決― 「一四六対四一」

  廿四日議会


『伯剌西爾時報』1934年5月26日

 廿三日午前院内に於いて前日より続けて各州代議員団の幹事長会議続行、オ蔵相、ジ農相、サ労働相、ワ文相の四相出席、リーダ・メデイロスネツト氏移民条項討議に入る旨を宣し、所謂ロツヂ案、ミゲルコート教授の二分制限案とを提示して討議を開始したが劈頭から論議沸騰して両論譲らず、農相は昂奮して相当鞏固に二分制限案の支持を論じた、これに対してモラエス・アンドラーデ氏は

 二分案は普通法制定の場合単行法で規定せば充分なる旨を主張したがこれに対しジユアレス農相は普通法に依つて割合率を規定する場合は結局外国の干渉を容易ならしめることとなるを以つて此の機に憲法に明記するが最も妥当であると反駁し[、]モラーエス氏と大論戦を展開したが排日的論陣は意外に鞏固で、ヴアルセーロス将軍の如きをして

「本会議に於ける討論は凡て日本人に対して挑戦するものである」

と云わしめた程であつた

 斯くて幹事長会議は論戦に論戦を重ねたが結局協定する処なく、最後にオズワルド蔵相は、本問題の採決はこれを廿四日の本会議に附し、(午後二時から開始票決に入る筈)多数決をもつて票決した処に依つて決定すべきであると、協定的提案をなし、各出席者もこれを諒として未決のままこれを廿四日の本議会に上ママし、以つて両者の採否を決定することとなつた

“本案は伯国
  領土保全の目的”
 劈頭先づミ教授起つ

 明くれば廿四日、わが在伯邦人の死命を賭し、今後の対伯日本移民に一大障害を与ふ可き移民条項の裁断の日! 期せずして全視聴は此の日の本会議に注目された

 廿四日議会は出席代議員一六七名を以つて定刻開かれ、劈頭、兵曹の参政権問題を論議し、次いで、日程に依つて移民条項の討議に入つた、既報せる如く此の日の本会議は分科委員会の作成に掛るロツヂ案とミゲルコート教授の提出にかかる同案の修正案(所謂一般的二分制限案)で、両者の一つが採択される最後の日である

 先づ修正案(一六一九号)の提出者たるミゲルコート氏起ち

  本問題は伯国にとつて誠に重大なる意義を有するものと思考する、審査は本提案に対しては十二分の支持を示さるべきである[。]此の提案は玖瑪くゆうばに於いて開催された第六回米州会議に於いてわがラウル・フエルナンデス氏を首席とする伯国代表に依つて提示されて既に七年を閲するもので、アメリカ各国は殆んど入移民調整制限の権を保留してゐる

と北米合衆国の例を引用し更に

  伯国は、国内労働者を保護するために、各位の署名する修正案に関して、其の特権を確保する必要がある、而して本修正案は必ずしも外国人に対して嫌悪の情を催するものではない、何故ならばわが伯国に対して多大な寄与をなした各国人に対しては決して其の功を忘却するものではないからである

  翻つて欧洲大戦後、入移民国は殆んど其の移民流入の門戸を閉鎖した、これは自国々民を保護するためである、依之観之も吾人の注意が移民問題に省みられるに至つたことも決して不自然ではない

と自己の修正案を強調して今日北米合衆国よりアルゼンチン国に至るまで同等な手段を講じてゐると述べ、論点を翻し、

  本修正案には更にも一つの目的がある、それは土地=宏大なる面積を有するわがブラジル領土を保護する目的である、故に本問題はこれが必要性が多分にある、若しこれを閑却するに於いては、伯国は回恢ママし難い失地を生ずるに至るだらう

と長広舌を振ひ、次いで更にモンテイロ・デ・ヴアロス氏(聖州代議員)起ち同様に修正案に賛成なる旨を述べ、本問題に関して第一読会に於いては実に幾多の暗示、修正意見が輩出した、第二読会に於いて其の意見が凡て融合統一されて生じたものが本修正案たるミゲル・コート氏の第一六一九号で本案は一百三十名の署名を得たに依つても解せらるる如く、実に幾多の士の協力に依るものである

 故に本案は各人の伯国土愛の立法化したもので、只管に伯国利益を目的とする以外に他意ないと論じ其他客観点から本案を支持した後

  伯国は現に人口が非常に増加しつつある、更に外国人の労働力を必要としない、私は繰り返し本修正案の承認を求むるものである

と結び、亜いで、アルツール・ネイヴア氏又起ち“伯国はそれ自体が進歩的能力を有する外国人の手腕を俟たずとも”と同様に修正案賛成意見を述べ、更にデオダート[・]マイア、シヤヴイエル・デ・オリヴエイラ、アベラルド・マリニヨ、フエルナンド・デ・アプレウの諸氏が賛成意見を述べ、モラエス、アルーダ・フアルソン、アベル・シエルモント、アドルフオ・コンデル、ヴアスコ・デ・トレツドの反対論者と対立論戦を展開した

“伯国の発展は
   外国移民の協力”
  モラエス氏の奮闘

 殊にモラエス氏は
  伯国は外国人を防遏ぼうあつし得ない国である
と聖州、其他各州の例を引用して其の大部分の発展は外国移民の力に負ひ、殊に聖州の開発の如きは全く外国人の協力を必要とするを極力強調した、聖州代議員連は其の一部を除いて大部分が極力修正案否決の論陣を張り、その論議は正に沸騰点に達し議会掉尾の論陣を展開した、後議論は字句の問題に入り、“移民の集団を除くべき法律を設く”の語句修正が出たがこれは葬られ、次いでミゲル・コート修正案の“入移民は年二分を超ゆることを得ず”の語句が討議され、リオ州の修正意向が可決され、修正されたが最後投票の結果、遂にミゲルコート教授の二分制限案が一四六票対四十一票の大多数で通過するに至つた


 通過の移民条項

     (ミゲル・コート案)
第×条 移民ノ入国ハ人種の保全、移民ノ体質及ビ智能ニ関シ定メタル条件ヲ有スルモノニ限ル
  但シ 各国移民年入国数ハ当該国移民ノ最近五十年間伯国に定着セル総数ノ二歩ヲ超ユルコトヲ得ズ
 単款 連邦領土内何レノ地点ヲ問ハズ入移民ノ集団ヲ禁ジ外国人ノ撰良居住並ビニ同化ニ関スル事項ハ別ニ法律ヲ以テ定ム
【廿四日号外に単款削除とあるも報道者より誤報旨通知がありましたから訂正します】