武藤山治鐘紡社長の南米拓殖会社設立の経緯説明

Texto explicativo de autoria de Sanji Mutō (presidente da Kanebō) sobre a Sociedade Colonizadora da América do Sul

武藤山治は鐘紡社長で衆議院議員。株主総会における南米拓殖会社設立の経緯の説明

武藤山治著『私の身の上話』 1934 (抜粋)

    南米移民事業

  大正十五年一月二十日の株主総会に諮つて、八万円を南米移民事業調査費として外務省へ寄附いたしました。それに関する委細の事情は株主総会に於て私が述べました次の速記録に依つて明らかであります。

 『次で御評議を願ひたいと考へますのは伯剌西爾ブラヂルの開墾地調査視察費支出の件であります。此の議案に就きましては一応御説明を申上げたいと考へます。

 実は伯剌西爾駐剳ちゆうさつの我大使より外務省に向つて、伯剌西爾に於ては日本人が土地を所有して開墾することに付ての非常な希望があり、現に或地方よりは百万町歩位は無料で譲渡しても宜しいと云ふやうな、州の統領から大使へ申込みがあつたと云ふやうな次第で、外務省は兎に角一応日本からしてそれぞれ専門家を彼の地に派してさうして充分に調査の結果を一般の全国の方々に御示をして、さうして日本に於ける有力なる方々の御投資を願ふことが出来れば結構である、併しながら御承知の通り外務省に於ては充分なる調査費の支出が困難であるから、どうか民間の会社に於て之を賛成しさうして其の調査費の幾分を負担して呉れまいか、外務省も非常に切詰めた予算の中であるが幾分は外務省からも之を支出するのみならず、又凡ての便利を与へると云ふ斯ふ云ふ御話であります。

 勿論此の伯剌西爾に視察員を派遣するとか或はそれが為めに要する費用を支出すると云ふことは、是れは直接当社の利益に関係する問題でないと云ふことは申上げるまでもありませぬ。併しながら私の考へる所では当会社が幸に株主諸君の御承認を得て、さうして此外務省の最も希望せらるる伯剌西爾の開墾地の調査を実行することが出来ましたならば、それは世の中に向つて非常に大きな貢献をするものであらうと考へます。而《しか》して其費用は八万円を限つてさうして皆様の御支出を御許しになることを願ひたいのであります。』

    南拓創立の由来

  伯国パラー州統領デイオニジオ・ベンデス氏は州内未墾の官有地を日本人の手に依り開拓せんとの希望があり、遂に去る大正十四年五月二十八日同国駐在日本帝国大使田付たつき七太氏まで書簡を以て、日本人に於て開墾事業を企つるものあらば州有地百万町歩までを無償提供すべきことを申出でられ、斡旋方を依頼せられたるに依り、田付大使は直ちに之を幣原外務大臣へ移牒せられました。

 然るに政府当局に於ては、右提案は我国の現状より観るも亦国家経済の上より考ふるも、実に天来の福音にして忽諸こつしよに附すべからざるものではあるが、其提供地は果して日本人の移住に適するや否や、又開拓条件に欠くるところなきや否や等は充分之を調査したる後に非れば容易に決し難く、又軽々に応諾出来ない問題であるとして、調査団を送らうとしましたが、其費用全額支出に苦しみ鐘ヶ淵紡績会社の援助を求められましたので、私は大正十五年七月株主総会に諮つて、伯国パラー州提供の調査費不足金八万円を支出することにいたしました。

 調査団の一行は八名で、内七名は医学、土木、山林、農業等の各専門家――これは政府に於て選任されましたが、団長には当時鐘紡東京本店工場長兼取締役たりし福原八郎氏を懇望されついに福原氏が受諾され任命されました。

  かくて一行は大正十五年三月二十日に日本を出発し昭和二年春帰朝、福原団長より実地踏査の結果を政府当局に向つて報告し、殖民会社設立を慫慂しようよう進言せられました。

 然るに当時、府県会議員の選挙に次いで衆議院の解散があり、其機運に到りませんでしたが、昭和三年三月二十六日、当時の首相兼外務大臣たりし故田中義一氏は、東西の有力者六十余名を外務大臣官邸に招待し懇談せられました。其結果、故渋澤子爵より十二名の実行委員を推薦せらるることとなり、其委員会を催すこと前後二回、遂に本事業は当初より関係浅からず、しかも充分研究を遂げられた鐘紡の人々が其創立に当られ、各委員は之を賛成することとせば、本事業の計画遂行上最も得策であるといふに決定し、兎角我国の実業家伝統の、難きは人に負はせよとの態度に出たのであります。

  ここに於て私は意を決し主として其創立に当り、自ら南拓の発起人総代とまでなりました。そして其資本金一千万円の南米拓殖株式会社の設立を発表し、幸ひにも八倍に達する応募者を得て、目出度其創立を終り、福原氏は自ら其社長となつて彼地に渡り、一身一家の幸福を犠牲にして、遠く南米原始村に日本殖民地を開拓しつつあることは真に感謝に堪へぬ次第であります。

  この事業の成立も、鐘紡が国家のために進んで四万五千株を引受けることを発表したことが、其成立を容易ならしめたもので、是等鐘ヶ淵紡績会社が過去に於て如何に公益事業に尽したるかを示しますのは、全く今後営利会社が続々比例に習はんことを希望するがためであります。

   右「営利会社の一考察」の一篇は昭和九年三月初め雑誌「婦人と生活」及び「公民講座」四月号の為めに執筆遂に遺稿となる