大正4年の日本移民概況

Panorama da imigração japonesa no Brasil em 1915

Report on Japanese emigrants’ situation in 1915

原本は外交史料館所蔵。テキスト化に際し、適宜、句読点、濁点、改行を補った。この報告書は、『通商公報』(外務省通商局編 帝国地方行政学会)第309号にも掲載された。報告文が添削してあるのは、同公報の掲載原稿にするため。テキスト化は添削後の文により、判読できない箇所は同公報で補った。

公第一二号
大正五年壱月卅一日
在サンパウロ
総領事  松村貞雄
外務大臣男爵石井菊次郎殿

本邦移民概况報告之件
大正四年に於ける在伯本邦移民の概况、別紙之通り報告候間、御閲覧被成度、此段申進候 敬具

 

大正四年在伯本邦移民概况
大正四年に於ける本邦移民の状况は概して良好なる成績を示し、従来の如く苦情紛議等の続出を見ず。唯両三回の小事故ありたるのみ。是れ畢竟一般に当国の事情に通じたると、不良耕地を避け優良なる耕地に移りたると、偽成家族解体し大部分健良家族となりたると、事情に馴れざる新来移民の杜絶したるとを其重なる理由なりと思考す。

戦乱以来欧洲移民の渡来激減したる為め、内地一般に労働者の不足を感ずるに至れり。此時に際し我邦人は労働に熟練し、同時に一部の雇主は漸く本邦人の気風と誠実なる就働振とを了解し、欧洲移民に比し頗る優等なることを認むるに至り。人種的憎悪心なき向は頗る之を優遇し、之れが為め、塲所によりては他国移民の嫉妬を招く虞ある有様となれり。

大正四年中に於ける耕地労働者は、不景気に源因する賃銀の下落と農産物の騰貴とにより間作を勉めざりしもの及び間作の便宜を有せざるものは頗る困難を感じたるも、間作の収穫多かりし向は反て平年以上の所得ありたる為め、全体より観て三人家族平均五、六百「ミル」の純益を占めたるものの如し。茲に特記すべきは近来我移民間に独立自営の気風漸次旺盛となり、大正四年末迠に自営農業を開始せるもの、「サンパウロ」州内のみにて約四百家族の多きに上れり。

右の内、西北鉄道、ソロカバナ鉄道及アララクアラ鉄道沿線、即ち将来当州珈琲園の中心点たるべしと称せらるる最も肥沃なる地方に於て、土地を購入して珈琲園の創開に従事するもの、既に二百四、五十家族あり。此等は一家族二、三十町歩を有し、処女林を開墾して珈琲樹を栽培するを以て、主たる目的とするも、珈琲樹の結実は四、五年を要するを以て傍ら雑農を営みて生計の資を得るの仕組にして、尚ほ未だ其成績を知るの時機に達せざるも、非常に僻遠の地にあらざる限り、耕地就働に比し劣らざる実収を得ること容易ならんと信ず。

殊に耕地労働の如き奴隷的境遇を脱し、自己の所有地に於て自由に農作をなすを以て、其精神上の快楽と将来の希望とに大差あるは勿論、延て其業務に対する精励の度も亦た大に異なるを感ずるとは実行者の直話なり。此種の農業にして成績の良好なること確実なるに至らば、将来毎農年の終了と共に此種の企業者続出するに至るべく、随て新移民の需要を増進するに至るべしと信ぜらる。

尚ほ前記三地方の外中央政府経営の「モンソン」殖民地の如きも年末の調査によれば、就地者総計四百八十四家族二千四百六十九人の内本邦人百八家族四百二十六名あり。伯剌西爾人を除き外国殖民中の第一位を占む。尚ほ「サントス」「ジユキヤ」間鉄道沿線に二十五家族の本邦土着者ありて尚ほ続々増加しつつあり。此等は目下多く借地契約によりて新地を開墾し雑農及米作に従事せるものなるが、今日迠の処其成績頗る良好なり。特に土人との関係甚だ親密にして、地方人の歓迎する所となり居れり。

此外「サンパウロ」市の近郊に於て借地し又は土地を購入し、野菜、雑穀の耕作及米作を営むもの約六十家族あり。此等のものの中には従来市中にありて、職工又は家庭奉公等を営みたるもの等もあり。近年の不景気にて市中生計の困難なると市中労働の到底堅実なる方法にあらざるを覚りたる結果なるも、何れも大正四年の創始に係り果して永続し得るや否やを知る能ざるも、何れも市中に此し生活の容易にして気楽なるを満足せるものの如し。此近郊農作は従来市中に放浪して当国人の為めに指弾せらるる本邦下級者の為め、好個の指導法なりと信じ勉めて之を奨励し、其成績の不良に終らざらんことを切望し居れり。

大正四年に於ける農業労働者の本邦送金は、欧洲戦乱以来万国郵便為替の取扱を中止せる為め、各自に於て送金をなす便なきと、伯貨下落し邦貨換算率の低下せる為め、一般に送金を扣へたる気味あるも、東洋移民会社に依頼せるもの六百十六口、伯貨百九十五「コントス」百七十「ミル」、当館に依頼し来れるもの五百七十八口、伯貨二百六十「コントス」合計千百九十四口、伯貨四百五十五「コントス」百七十「ミル」あり。此他尚ほ本人自身外国銀行の手を経て直接送金せるもの若干あるを以て、総計約四百七十「コントス」に達せるならんと思考せらる。

在留者一万六千人にして大正四年中に取扱たる出生数は、六百五十六件内男子三百五十七名、女子二百九十九名にして、前年に比し百九名を増加せり、死亡数は三百二十七件内男子百七十名、女子百五十五名にして、前年に比し二十九名を増し、全体に於て差引三百二十九名を増加したる勘定なり。