1911年(明治44)4月の巡回視察報告書

Relatório de uma inspeção feita em abril de 1911 no estado de São Paulo

Report on the inspection tour in April 1911

第2回移民のジャタイ耕地における紛擾事件の大要について、報告されている。

伯国「サンパウロ」州巡回報告書

                 在伯臨時代理公使 藤田 敏郎

目  次

第一章 移民労働耕地の情態

移民現在数
 第一回并に第二回移民の配置及び四十四年三月移民の耕地現在数は左の如し。

耕 地 名 第一回配置数  第二回配置数 現在数  合    計
第一回移民数 第二回移民数
「カナン」(サンパウロ珈琲会社) 一六〇  −   −   −   −
「イツー」(カンボスネツト会社) 一七〇  −   三    −  三
「グアタパラ」(プラード会社)   九〇  二二六   九  二二五 二三四
「ザンマルチーニヨ」(仝上)    九八  一〇六   六  五五 六一
「デユモンド」(デユモンド珈琲会社)  二〇一  −   −   −  −
「ヴエアード」    四四  一〇  三七 四七
「サン、ジヨアキン」   七〇  二三  六一 八四
「ポアヴヰスタ」   −   三八   −  三八 三八
「セルヲ」(フヰルミアノ、ピント氏所有)  −   一九   −  一七 一七
「サンタ、カンデダ」  −   四八   −  三四 三四
「ジヤタイ」  −   八三   −   三  三
「パライソ」  −   一一   −  一一 一一
「ソブラド」(アラクワ農業会社)   六二   六七  二一  五一  七二
「アラクワミリン」(仝上)  −   四五    − 三一 三一
「サンタ、マリヤ」(ロドリゲス、アルヴエス会社)   −   四六    −  四七  四七
「サンタ、アナ」(仝社)    −   二二    − 一三  一三
「サン、フランシスコ」(仝上)    −   二三    − 一一  一一
「グフリロパ」    −   一四    − 一四 一四
「サンペドロ」(パヴワサーレス氏所有)   −   二一    −  一四 一四
「チエテ」(イツー)    −   −  一〇   − 一〇
「サンジョヨアキン、リベイロ」   −   二三   −  一九  一九
「エケラート」    −  −   九   −    九
「イツー」(ピメンタ)   −  −   九   −    九
「サンペドロ」(イタチンガ線)   −  −   七   −   七
 合   計  七八二  九〇六  一〇七  六八一  七八八


因曰く第一回移民を配置せずして現在数中第一回移民のあるは他の耕地より転入せしものなり
注意「ジヤタイ」耕地第二回六十一名は四十四年一月末日引上げ現在移民三人は大工一家族のみ

 前表中小官の親しく巡回せし耕地は「ロドリーゲス、アルヴエス」会社耕地、「ソブラード」耕地、「グワタパラ」耕地、「シユミツド」耕地(移民配置表以外)なり。「ジヤタイ」耕地は移民引上げ後なりしに付き巡回せざりき。「サンマルチーニヨ」、「ヴヱアード」及び「サンジヨアキン」諸耕地は旅行の都合に由り赴かざりき。

 小官の親しく視察せし耕地に於ける移民の情態を左に述ぶべし。

 一、「ロドリーゲス、アルヴエス」耕地

耕地全体の状況
 本耕地「サンパウロ」州「サン、マノエル」郡にあり。「ソロカバナ」鉄道線「ロドリーゲス、アルヴエス」駅より馬車にて東北二里許りを進み耕地本部に達す。

 本耕地は「サンタ、マリヤ」、「サンタ、アナ」、「サンフランシスコ」三耕地に分れ、共に前伯国大統領「ロドリーゲス、アルヴエス」氏の所有に係り、「サンタ、マリヤ」に総支配人を置き、各耕地に副支配人を兼ぬる人夫長を置く。

 右三耕地の面積は一千三百「アルケール」(一「アルケール」は凡我二町歩半なれば三千二百五十町歩なり)にして内珈琲園五百五「アルケーレス」珈琲樹の数百二十余万本なり。此耕地々味極めて豊饒、殆んど耕作し能はざる地積なく、本郡中屈指の良耕地なり。

 三耕地常住使用人は三百家族、凡そ千二百人にして、内、伊太利人最も多く、西班牙人、之に次ぐ。本邦人は「サンタ、マリヤ」に十一家族(四十三人)「サンタ、アナ」に三家族(十三人)「サンフランシスコ」に三家族(十一人)合計十六家族、六十七人なり。

 三耕地は同一の持主なれども各経済を異にするに付、今左に耕地各別に就き移民の情態を記述せん。

人夫長と日本移民との葛藤

  (イ)「サンタ、マリヤ」珈琲園
 本園日本移民の住居する区域を「ラゴア」村と称し、伊国移民と雑居し、伊国人夫長フヰスカール又は監督の指揮の下に在り。本耕地持主并に支配人等は本邦人に同情を有し、日本人に限り特別の便宜を与へたる事あるも、人夫長は兎角伊国人を偏愛する性癖あり。日本人に対し公平を欠くこと多く、本年一月未遂に事件を発生し、耕地支配人并に移民より公使館に出張を申請するに至れり。日本移民側の言ふ所に依れば除草大掃除及日雇賃銀支払に関し誤算及不明瞭の点尠なからざれは、各家長十一名連袂、人夫長の宅を訪ひ、垣根越しに談話し明確なる答弁を得んと迫れり。然るに突然驟雨来りしかば、人夫長は屋内に走り入り、日本移民は其後を逐ひ、掾側に上り、尚ほ本日確答を得べきや否を問ひしに、人夫長は屋内より急調にて喇叭を吹き出せり。予め計りしにや伊国人数十名手に手に棍棒或は鎌、「ピストル」、小銃等を携へ臨場し、日本移民が人夫長に対抗せば忽ちに攻撃せん態度を示せり。日本移民は若し対抗せば重大事件を惹起すべきを慮るか故に、伊人の銃口を上に向けしめ或は之と握手し、努めて平穏の挙動を装ひたりしかば、幸に事なく双方自家に引上げたり。然るに日本人は斯く威迫されたるを以て無念遣方なく之を支配人に訴へしに、支配人は事の顛末を公使館に具報すべければ、日本移民も亦た公使館に出張を請ひ、然る上万事を解決すべしと述べ、双方より書面を公使館に送付し、爾来日本移民は公使館員の出張を期待し、平穏に労働し居たり。

 人夫長の云ふ処に拠れば、日本移民は不従順にして且自分に対し兇暴を加へんとするの兆候ありしを以て、自己を防禦せんが為め、部下を召集し日本移民の攻撃に備へたるのみと。

 日本移民の要求する処は、現在の人夫長は偏頗の行為少なからず、且他日若し今回の如き不穏の挙動を繰返すときは、或は殺傷を蒙むることなきを保せず。故に右人夫長を放逐するか、移民自ら同一持主の他の耕地に転ずるか、或は他の部落に移らんことを請ふにあり。然るに支配人は之に答へて曰く、

(一) 今人夫長を放逐せんか、之が放逐の理由なかるべからず。然るに此度の出来事は放逐する丈の価値なし。人夫長が日本移民に対し伊国人を召集し其攻撃に備へたるは軽卒不謹慎の極なるに付、充分之を責め、尚ほ大に将来を戒めたり。依て再び斯る事件の起らざるを信ず。

(二) 「ラゴア」部落即ち日本移民等の人夫長を他の人夫長と交迭せしめんか、人夫長は各其部署あり、事業の能不能あり、地理の知不知あり、事甚だ複雑にして小時日間に断行すること能はず。今回の事件は斯る困難を冒してまでも交迭を行ふ程の価値ありと信ずる能はず。今交迭を行はんとせば、日本移民の為めなる旨を宣言せざれば、両人夫長は理由なくして交迭せしむるを得ず。若し其理由を述ぶれば、少数日本移民は人夫長を交迭せしむる権能を有するが如き看を呈し、両人夫長は日本人に対し悪感を抱くべし。斯る事は日本人の為めに不得策なり。

(三) 日本人を其人夫長「ベルナルド」の監督を脱せしめ、他の人夫長の下に置くことは、必ずしも行ひ難きことに非らざるも、如何せん日本人を移すへき家屋なし。仮りに他部落の移民と交迭せしめんか、既に耕地除草及珈琲樹手入れ区域の分配は定まり居り、夫々作業中なり。其分配珈琲樹数及反別は家族と力量とに依り差違あり。且樹間に栽培したる豆、玉蜀黍は生育中なり。故に東区の分配に預りたる者は、西区に家居のみを移すも、除草及び手入の場合には東区の分配区域に行かざる可らず。斯る場合には依然元の人夫長の監督を受けざるべからず。且家屋を移すとするも各家族には借入せる菜園あり、豚小屋あり、鶏部屋あり。一々移転せしめんとせば多大の費用を要し、仮りに日本人は之を忍ぶとするも、事無き他国移民は農期末なる十一月以前には決して移転の交渉に応ぜざるべし云々。
支配人は移民の苦情に関し、竹村移民会社代理人上塚に対し、左の条件を申出て日本人に忍耐労働せんことを勧告せり。
第一 家屋の狭き分に対しては夫々広き家を貸与すべし。
第二 大掃除、除草手数料、日雇賃銭の違算に対しては整算の上誤謬あれば訂正すべし。
第三 人夫長は日本人に対し将来一層の注意を以て取扱はしむべし。
第四 珈琲収穫期を終りたるとき(即ち来る十一月)は、日本人の好むに任せ部落の何れの方面にも移転せしむべし。
第五 日本人に対しては、摘採珈琲一袋に付、二百「レイス」(十四銭)の割増を実行すべし。

 支配人は是れ以上の請求には応せずと申出て、移民一同も承服し、兎に角公使館員の出張迄は依然労働すべしと申出でたり。小官移民の家長十一名を召集し、支配人の誠意を伝え、其申出は真実なれば各自之を承諾し、夫々本分を尽すべしと懇々説諭し一同承服したり。

 移民の或る者曰く、人夫長は近頃、我移民に対し多少其取扱振を改善したる看あれども、一伊国泥酔漢を使嗾し我移民の家屋に来らしめ、金銭酒食を乞はしめ、若し与へざれば小銃を差向け威嚇するものの如し。依て一同は同人の意に逆はぬ様なし居るも、若し邦人中殺傷さるる者を生ぜば、公使館に如何に所置さるるや、一人にても殺されたるときは斯る耕地に労働せしめらるる公使館の責任ならん云々。

 支配人の云ふ所に依れば泥酔漢は決して人夫長の命にて人々を煩はすにあらず。平生善人なるも泥酔の極、斯る悪戯をなすものにて伊国人及び西班牙人も均しく困却する所なれば、何とか処分すべし云々。小官移民に其由を告げ且曰く、若し移民に対し暴行する者あれば決して復讐をなす可らず、若し然からずして復讐すれば伊国人側も多勢援助に来り由々敷大事を惹起し、何れか正当防衛をなせしや判明せず、遂に殺され損、負傷損、となり了ることあらん、充分其辺を弁ふべし、暴行に出会せしときは直ちに支配人に訴ふべし、仝人必ず曲直を判定し夫々所分すべし、此事は支配人口を極めて保証したりと。支配人傍らに在り、其事を繰返す。

 人夫長なるものは素と伊国移民にして、多年耕地に労働し珈琲栽培の経験を有するも、無学文盲にして言語風俗を同ふする仝国人に有利なる田畑を貸与し、容易なる労役を課し、多数の珈琲樹を受持たしめ、多額の受負賃を交付し、物品を運ぶにも自国人を先にし少数日本人を後にする等の行為あり。是れ下等社界には不可免通弊なるが如く、日本人は斯る事には頗る鋭敏なる感覚を有し、二、三の事によりて猜疑の眼を以て百事を観察するの風あり。且多数結合し自己の意思を遂行せんとする弊あり。本耕地支配人は同人夫長の偏頗なる取扱あるを感得するも、人夫長へ委任せる些事に一々干渉することを得ず。今日まで看過したるものの如し。

日本移民  労働の現況
 本耕地に住する本邦人は客歳六月に到着し、七月上旬より就役せし。第二回移民にして年末総勘定の際、一家族三、四百「ミル」の残金を有し、本年一月まで本邦へ送金せしもの七人、此金額一「コント」四百二十「ミル」、此外現金を所有するもの多々あり。新着者六ヶ月の残金としては好成績と云はざるべからず。

 本耕地にては一家族の男一人女一人より成るものには珈琲樹四千五百本、二男一女より成るものには六千五百本を受持たしめ、間作をなさざるものには千本に付、百十「ミル」、間作をなすものには千本に付、九十「ミル」を交付し、別に畑地を珈琲四千本を受持つものに半「アルケール」(一「アルケール」は二町五反)、六千本のものに四分の三「アルケール」、八千本のものに一「アルケール」を貸与し、各自の好むに従ひ豆、米、玉蜀黍等を耕作することを許す。珈琲実摘採は一「アルケール」即五十「リートル」に付、契約額は四百「レイス」なれ共、昨年は日本人に限り四百五十「レイス」を与へたり。其は未経験者にて一日一袋以上の摘採困難なれば、食費料を支弁するに足らざるを察し、特に増給せりと云ふ。又本年は珈琲の市価上騰、且作抦[ママ]昨年よりも優れざるに付、一「アルケール」五百「レイス」を交付することを得るならんと云ふ。然るに日本人は耕主の恩恵的増給を知らずして既得権の如く心得、増額を請求するは誤れるの甚しきものなれば、小官其辺を説明し一同も了解し好意を謝せり。

 本耕地の日雇給料は一日二「ミル」(一円三拾余銭)なり。

 本耕地は近傍に「ロドリーゲス、アルヴエス」村及「サンマノエル」市あり。出入便利なれば自由に物品を購入することを得。且移民の収穫物も亦た勝手に売却することを得。

日用品の物価並に生活費
 本耕地附近の物価は左の如し。

       一 白米 一袋六十「キロ」 二十二「ミル」乃至「二十五」
  一 豆 十五「ミル」
  一 牛肉  一「キロ」  五百「レイス」乃至六百「レイス」
  一 豚肉 一「キロ」  七百「レイス」乃至八百「レイス」
  一 石油 一鑵(五瓦)  八「ミル」
  一 塩 十「キロ」入袋  一「ミル」五百「レイス」
    仝 二十「キロ」入袋 二「ミル」五百「レイス」
  一 砂糖 六十「キロ」 二十「ミル」乃至二十四「ミル」
  一 鱈 一「キロ」 一「ミル」二百「レイス」
  一 小麦粉 一袋四十五「キロ」 十三「ミル」五百「レイス」乃至十四「ミル」
  一 焼酎 一立突 一「ミル」

 大人一ヶ月の食糧十五乃至二十「ミル」を要すと云ふ。此地方の我移民は粗食に甘んじ、牛豚肉を食するは甚だ稀なり。然れども強き焼酎を飲むの癖ありと云ふ。依て焼酎を廃し滋養に富める肉類を食すべきを勧告す。

  (ロ)「サンタ、アナ」珈琲園
 本園に労働する本邦移民は愛媛県人三家族十三人にして、客歳七月到着の第二回移民に属し、最初六家族なりしが、広島県人三家族は収支償はずとの口実の下に「サンパウロ」市に逃亡せり。

移民動揺するも賃畑少きため収入少し
 現在移民三家族は勤勉温順、耕地支配人并に人夫長の愛顧する所にて、移民等も満足しつつあり。然るに耕地主の貸与する畑の面積一家族に対し五反歩なれば、玉蜀黍の収穫僅々七八俵を出でず。此売価七、八十「ミル」なり。又間作には一家族に付、豆二千本を許可するのみなれば一家族の食料にも不充分なり。されば移民の所得は珈琲摘実と珈琲樹手入及除草受負料とに過ぎず。之を仝一持主に係る隣耕地「サンタ、マリヤ」に比すれば頗る不幸と云ふべし。此耕地受負は一家族男一、女二人に付、五千本、男二人、女一人六千本間作をなさば千本に付、九十「ミル」、間作をなさざれば百十「ミル」を受くるの定めなり。

 依之小官は総支配人に貸与畑の面積を増加せんことを相談せしに、仝人曰く、仝耕地には貸すべき余地なし、移民にして希望せば来る十一月農期末「サンタ、マリヤ」耕地に移り、他の日本人十一家族と共に労働すべし、仝耕地には貸与すべき余地充分あり、とのことにて、移民一同大に喜悦多謝せり。

 此地方一体健康地にして疾病少く、日本人中九歳の小童一人腎臓炎にて死亡したるものありしのみ。然るに仝人の発病するや、医師は一診十「ミル」を請求(宅診五「ミル」往診は距離により大差あり)したれば、移民は其高価に驚き、他日疾病に罹らば莫大の費用を要すべしとなし恐怖の色あり。因りて「グワタパラ」耕地の例に倣ひ、疾病と否とに拘はらず、一人一ヶ月五百「レイス」を耕地支配人に払ひ、罹病のときは幾回の診察を受くるも別に料金を払はざることとなしては如何と提議せしに、一同其有利なるを信じ承服す。依て小官は総支配人の意見を問ひしに、仝人曰く、主義として頗る善良に付賛成なれども、先づ医師に相談し且耕地の経済に関係を及ぼす事件なれば、持主の許可を受けざるべからず。維ふに医師は少数日本人移民のみにては不引合を唱へ耕地全体各人種に及ぼさんことを請ふならん。本件は早速医師の意見を聞き不日耕主来着の上相談決定すべしと。

 伯国に於ける医師往診の高価なる可驚ものあり。大概一「レグア」(凡我五十町)二十五「ミル」、二「レグア」六十「ミル」、三「レグア」百「ミル」を徴収するに付、移民の重患殊に長病に罹るものは非常の困難を感ず。彼の伊太利、西班牙等の政府が契約移民即補助金を受けて伯国に渡航する移民を禁止したる重なる原因は、伯国に於ける移民が適当の医療を受くる能はざるにあり。
本耕地本移民十一、二歳の娘と弟を呼寄せ又従弟夫婦を呼迎へんと欲するものあり。総支配人に旅費の貸与を乞ひしに承諾したる如きも、不充分なる言語なれば誤解なきを保せずとて確答を得んことを申出づる者あり。小官総支配人に問ひしに三家族のものが保証せば右四名は勿論六、七人の旅費たりとも「サンパウロ」来着の上汽船会社若くは移民会社に仕払ひ、月々其所得中より漸次払込み償却することを諾すと答ふ。移民三家長欣諾、移民船来伯の際移民会社に依頼呼寄をなすべしと云えり。此類の呼寄は双方の便宜なれば許可しても差支なきものと思はる。

日用品物価
 此地方の物価は「サンタマリア」耕地と大仝小異なり。

移民の食物及生活費
 此地移民の食物は米飯、小麦粉団子(隠玄豆様の豆の餡に砂糖を加へたるものを附け用ゆ)、天然に生長する京菜に類するものの塩漬、干鱈の焼きたるもの、隠玄豆の煮たるもの、菜の煮たるもの、豚肉と雑煮したる温飩の類なり、飲物は珈琲なり、茶は高価にして移民の口に入る能はず、味噌、醤油等は高価にして用ひ難く、食物の味付には一切塩と砂糖のみを使用す。移民の食費并に衣服其他の生活費は男二人、女一人の一家族五十「ミル」(我三十四、円)を要と云ふ。

  (ハ)「サン、フランシスコ」珈琲園
 本園に労働するものは広島県人三家族十一人にして一家族六千二、三百本の珈琲樹手入を受負ひ、間作に豆三、四千本、玉蜀黍二百本を耕すことを許され、珈琲千本に付一ヶ年受負料九十「ミル」を受けつつあり。耕地の貸与する畑は僅々一家族半畝を越へず、自用野菜を耕作するにも不充分なり。

 移民三家族とも鶏、豚、羊を飼養しつつあり。豚は三、四ヶ月位のものを五、六「ミル」にて購入し、半ヶ年余飼養し、屠殺前一ヶ月計り玉蜀黍を多量に与ふるときは暫時にして肥大となり、八十乃至百「ミル」に売却するを得。中には屠殺し塩漬となし半は自用となし半は他に売却するものあり。

移民の食物生活費及貯金
 此耕地本邦人の食物は米飯、豚の脂を入れ煮たる豆、米に豆を入れたる赤飯、京菜の煮付、大根の塩漬、黄瓜漬、萩の餅、休日には河にて漁猟をなし、魚類を食す。一ヶ月三家族三人の費用は四十五、四十七乃至五十「ミル」にして、珈琲樹手入賃(凡そ五百五十「ミル」)のみにて生活費を支弁するに余あり。珈琲実摘採賃(凡そ五、六百「ミル」)、日雇賃、間作及家畜の収入は貯蓄金となるものなり。本耕地も「サンタアナ」に均しく借入畑地狭少、伊国人及西班牙人に比し不利益の待遇を受けつつありと訴ふ。是れ又支配人に相談の上、来る十一月「サンタマリヤ」耕地に移し、他の十四本邦人家族と共に労働せしむることに決定し、移民一同承諾す。本耕地移民中兵卒たりしもの一人あり。本邦にては中流の農家に属し、土地を所有し作男を雇ひ耕作し、自己は稀れに鋤鍬を執りしのみにて、当国の如き終日の労働に堪へ難きに付、満期の上は妻を其弟に托し本人は亜爾然丁に赴かんと願出づ。依て同国行旅券を交付し難し。依然当耕地に留まつて相当貯蓄をなし、然る後植民地に入り地主となる計を立つるべしと勧告す。他の二家長曰く、当耕地の労働は本邦に此し敢て難事と云ふを得ずと。本耕地の物価は「サンタマリヤ」、「サンタアナ」と同一市場に於て購入するものなり。

 医師診察料高価なることは本耕地移民も驚く所にして、毎月五百「レイス」又は其以上を払ひ、往診の都度支払はざることを欲するに付、其旨総支配人に通知せり。

 本耕地三家長は十一、十二月分勘定の誤謬を訂正せんことを乞ふ。支配人は人夫長に命じ調査せしむへきを約す。「サンタマリヤ」耕地は毎二ヶ月に計算をなし、珈琲樹手入受負賃は十二に分ち毎月交付する定めなれば、将来誤算の虞なからんか。

 総計算は十一月にして、日雇賃其他は月々支払はずして総計算の際交付するを一般の例となす。

 

 二、「ジヤタイ」耕地

 本耕地は「サンパウロ」州「サンシモン」郡に在り。交通頗る不便。「モジアナ」鉄道「サンシモン」駅よリ五「レグワ」即三十基米突の所にあり。

 本耕地に労働せし本邦人は、客歳六月末到着せし第二回の移民にして、最初配置せしときは二十三家族八十三人なりしが、本年一月末にて二十一家族七十五人となり居たり(二家族は他に退転)。本耕地に於る移民引上事件に関する大要を左に記載す。

移民引上事件
 本耕地にては我移民一家族三人に対し珈琲三千本乃至四千本の手入を受負はしめ、此取扱賃千本付九十「ミル」なれば、一ヶ年二百七十乃至三百六十「ミル」に当り、比一ヶ月分二十二「ミル」半乃至三十「ミル」を各家族に交付す。然るに此地は前述の如く市場を去る我七里半の不便なる土地にして只一の商店あり。表面耕主の親戚之が持主たれ共、其実耕主の出資に係れり。同店の物価は非常に高く、例へば豆一袋六十「キロ」三十五「ミル」、米六十「キロ」二十八「ミル」、麦粉一袋四十五「キロ」入り十六「ミル」の相場にて、到底一家族二、三十「ミル」にては生活困難にして月々借金を増すのみ。依て客歳十二月末一家族の負債少きは九十多きには三百「ミル」に上るものあり。移民等失望の極、労働を肯んぜざるものあり。日本人監督并に移民会社代理人等、百方説諭して移民の借入畑に於ける収穫は米三百二十俵(此売価一俵二十「ミル」)、豆七十五俵(此売価一俵十「ミル」)、玉蜀黍五十車(一車の売価十七「ミル」)ある見込なれば、此総価格を八千「ミル」とし是を二十家族(一家族は大工)に分配すれば、一家族四百「ミル」宛の割合となり。外に客歳十二月以降珈琲受持賃二百五十「ミル」を合すれば、四十四年度農期末即本年十一月合計六百五十「ミル」となり、一家族一ヶ月六十「ミル」を費やすも残余あり。加之五月以降珈琲賃摘採料一家族平均五百「ミル」内外あるべく、此計算にては負債平均百「ミル」を払ふも、尚ほ四百「ミル」内外の純益あるべしと鼓舞奨励し、移民も之を諒とし忍耐勉強を約し、左の四条件を提出したり。

移民提出条件
 第一、水管を大くして吸水を便利ならしむこと。第二、板を各家族に分与して寝台、棚、食卓等を造らしむること。第三、日雇労働を一家族中の一人に毎月少くとも七日以上を与ふること。第四、外国人并に日本人に耕地に於て一切武器を携帯せしめざること。

 右四条件は移民代理人「サンパウロ」市に於て耕地主の承諾を受けたり(此条件は遂に実行せざりし)。一般の耕地にては良きは煉瓦造又は木造の二軒又は四斬割長家を移民に交付し、甚しきは椰子樹にて建築し、壁は土を塗りたる堀[ママ]立小屋を給し、同家屋は根太は勿論家具一切を有せず、移民到着のときは当分土間に起臥し、仮時耕主の給する板を以て寝台其他を各自調製する例甚だ多し。本邦移民は「サンパウロ」市到着のとき移民収容所にて過分の優遇を受け、浴するに熱湯あり、眠るに「シーツ」毛布を具ふる寝台あり、清潔なる食卓にて一日一、二「ミル」の美食あり。耕地にても斯くあるべきを予期せしに豈計らんや、到着せば堀[ママ]立小屋を給せられ、寝台は云ふに及ばず根太床板無く失望落胆せしもの比々皆然り。本耕地にては床板並に家具を給せざりしのみならず、板までも与へざりしに由り、第二条に特記し給与を乞ひしなり。第三の日雇役云々は一家族二、三千本を受持つ者は毎月十日以上空しく手を束ねて消光するを常とし、善き耕地主は道路の修繕、牧草の苅入其他の労役を命じ、日給を与ふ。然るに本耕地にては伊国人、西班牙人には其恩典を与ふれども、本邦人は常に後廻にせられしなり。第四の武器云々は移民監督人夫長其他「ピストル」又は小銃、小刀等を携へ移民の逃亡せんとする者又は命を奉ぜざるものの抵抗せんとするもの等を威嚇するの用に供し、本邦人も不用心と思ひ各自武器を携帯する風を養ひ、斯くては些少事にて殺傷を来すことあるべきを予期し武器徹廃を提出せしなり。

移民逃亡の真想
 斯くして本年一月上旬に至り移民一同逃亡を企てたりとて、耕地より移民代理人に打電したり。代理人上塚同地に出張し事実を取調べしに、全く耕主の不注意に依り事件を発生せしなり。其大要左の如し。

 耕地主牧場の牛馬多数一夜日本人の耕作せる米畠に侵入し、前に述べし三百二十俵の収穫を予期せし稲を悉皆喰ひ尽したれば、移民は耕主に談判し責めて予期の半額にても交付せられ度と請求せしに、耕主之に応ぜず、移民は大不平の極、逃亡を企てたれば、通訳并に耕主より移民会社代理人を召寄せたるなり。代理人は移民等は米作を重大なる収入となし予算を立て居る事なれば、耕主の不注意より其牛馬の荒したる点に対し予期収穫の半額を交付すべしと請求せしに、耕主は各家族に米半俵づつを給する外、何物をも与へずと主張し、頑として移民及代理人の要求に応ぜず。代理人及移民は此上は詮方なしとて沈黙せり。本年一月二十五日通訳より事件容易ならずとの旨を発電し、代理人に出張を請へり。其事件の真相は左の如し。

 一月末支払期となり、移民各自受取るべき金額平均一家族四十五「ミル」に当れり。耕地内唯一の商店は耕主より直ちに商店に其金額を交付せざれば移民が将来何等の要求をなすとも応ぜず、若其金額を負債償却の一部として提出せば爾後物品の供給をなすべしと申込みたれば、通訳は其言を信じ移民の請取るべき金額を直接耕主より商店に支払はしめたり。然るに其翌日同商店は日本移民に対し掛金にては品物の供給をなす能はずと通告したれば、移民は商店の詐偽手段に弄せられたるを憤り、斯る耕地に留まるときは益々窮境に陥ゐる外なしとて逃亡を企つる至れり(代理人は「サンパウロ」を出発する前日耕主の父と会見し、移民一家族に対し決算期迄毎月四十「ミル」づつは前借を計すことを諾せしめ打電せしに、商店其電報を受取り之を通訳に交付せざりき。元来各耕地にては耕主及商店より毎日一回騎馬使の附近停車場に遣はし、郵便物及電信を受取り来るが故に、同耕地内に住するものは事務所又は商店に至り受取るなり。故に郵便電信を交付すると否とは事務所及商店の欲するがままなり)。

移民解放に関する三条件
 耕主は此企を探知し、耕地在住の各国移民四十名を催し、武器を携帯せしめ、本邦移民の逃亡に供へしめたり。然るに移民中松原某なるもの深夜便通の為め外出したるに(因曰、当国耕地には便所の設備無く、移民は皆山野に行き用便する慣習なり)番兵たる黒奴の一人武装の儘、突然出現、松原を拘ふ。同人抵抗せしに合図により四十人許四方より現はれ来り、松原を取圍み乱打せんとせしとき、本邦人移民は此事を知り又各々獲物を携へ之に対抗せんとせしかば、香山某(通訳)現場に赴き鎮撫しつつありしに耕主も武器を携へ出て来り松原に向へり。香山の尽力にて双方共血を流すには至らざりき。

 移民一同は耕主の斯く暴威を逞ふせしことを憤り、断然労働せずと主張し止まず。香山通訳、通夜、説諭して漸く翌日悉皆労役に就けり。然るに耕主の決心頗る堅く、日本移民にして労働を肯ぜざれば「サン、シモン」より兵士を呼び圧制的に服務せしめ、若、尚ほ承服せざれば牢獄に投入せんと宣言す。

 移民会社代理人上塚は耕主に前借の約束実行を迫りしに、耕主は其実行を諾したるも、移民は尚ほ三条件の実行を迫りて聞かず。曰く、武器の携帯を禁ずる約束なるに昨夜の為体は如何、斯る有様にては危険云ふ可からずとて、容易に承服せず。耕主は借金の返済、商店に対する負債償却の方法立たざる内は如何なる手段に訴ふるも移民を解放する能はずと極力主張し、移民は如何に説諭するも反抗心の為め到底止まるを肯ぜず。上塚代理人双方の間に立て進退に窮したり。

 其は耕地の若主人は「サンパウロ」州農商工務省総務長官の養子なれば、本耕地を長官の耕地と云ふも不可なく、此耕地を出でたる移民に対しては移民収容所長は之を同収容所に収容し若くは再び他の耕地に周旋することは断じて為さざるべく、斯くては今、此耕地を出せば他日一層大なる窮状に導く結果となるべしと思ひ、百方説諭するも、移民は骨を路傍に曝すとも如此耕地に止まらずと宣言す。上塚代理人は斯る耕地に移民を置くは人道上忍び難く、又幸に移民が勤続するとするも耕主及商店が物品を供給せざるときは再び紛擾を生ずべく、幸に食料品を供給するも斯る収入にて斯る無法の高価を払ふときは移民の借金は本年度内弁済の見込なく、従て十一月以降更らに一年度間契約を継続せざるべからずとせば、移民の窮状不快は益々加はる可き道理なり。

 現今の情勢より察すれば移民は耕地を出でんとし、耕主は飽まで防がんとし、到底感情融和の機無く、若し此儘に放任すれば流血を免かるべからずと信じ、耕主に三条件を申出でたり。第一、移民の負債は後日代理人の責任を以て耕主及商店に支払はしむべき事、第二、現在所有する移民の食料品及器具は悉皆耕主及商店負債の一部として提供すること、第三、以上二条件を信拠して移民を来る一月三十日午前六時までに解放すること、此条件は移民一同の大に満足する所にして前途如何なる困難に遭遇するも忍耐勤勉して負債を消却すべしと誓約し、耕主及商店は代理人が責任を負ふなれば解放すべしとて漸く承諾したり。其負債は十七家族其計千八百二十七「ミル」四百「レイス」凡そ我千二百円にして其内最も少きは四十九「ミル」、最多額は二百十二「ミル」なり。

 右二十家族は約束の通り一月三十日解放を受けたり。此外の一家族段村は大工にして雇主に於て切に留住を希望して止まず。本人も異存なきを以て残留することに決定せり。

解放移民の就職
 二十家族六十余名は、一旦「サンパウロ」市に来り代理人の周旋にて西北《ノロエステ》鉄道、鉄工所、鑵詰会社、「パウリスタ」鉄道、「ブリキ」会社、紡績会社、硝子製造所、「チビリサ」耕地(八名)に就役したり。初め隣耕地「グワタパラ」耕地に於て右六十余人の雇入を希望し、本邦人も亦た異議なかりしが、農商工務省総務長官の耕地に労働する本邦人を誘惑し解放せしめ、然る後雇入れたり等の風説伝播せば、後日如何なり崇りあるべきや難計、且来る十一月以前には珈琲樹の受持をなさしむること能はず、単に日雇役を命じ一日弐「ミル」のみを給することなればとて、移民の不平を顧慮し、一旦申出でたることを取消し雇入れざりき。

移民引上を是認す
 右移民会社代理人の処置は、其当を得たるものにして小官は左の理由に依りて之を是認せり。
 第一、耕主は移民の一家を支ふるに足らざる珈琲樹受持役を授け(一家族三、四千本)、第二、耕主の営業とも云ふべき地方只一の商店は近傍数里間に同業者なきを利用し物品を甚しく高価に売渡し、且移民が市場遠くして収穫物を売却し能はざるに付込み著しく廉買し、加之に十一月決算期前物品の供給を断て移民を苦しめ、第三、耕主側の過失によりて其牛馬が移民の耕作せる米凡そ三百二十俵分に当る稲を食尽したるに対し、僅かに移民二十家族に米半俵宛即ち合計十俵を交付し、移民の経済に大打撃を興へ、第四、耕主は州政府より与へられたりと称する警察権を濫用し、伊国移民等四十余人に武器を携帯せしめ、抵抗せざる本邦移民を圧迫したり、第五、移民の住家に必要なる寝台、床板、棚、食卓等の材料たる木材を供給せざりし等は許すべからざる罪過と云はざるべからず。

 移民側には屡々不従順の行ひあり。且同盟罷工を企て或は逃亡せんとせしは不良行為には相違なけれ共、必竟生活難と圧迫の苦みとに堪へ兼ね企画せしものにして、事件の重もなる原因は寧ろ雇主側に在り。移民は之に応じたりと云ふも不可なしと信ず(耕主の米作賠償の不足を憤り、牛一頭を陥ゐれ屠殺し食ひ尽し、又夜陰十数人裸体耕主の宅に至り婦女を苦しめし事ありと云ふ。皆復讎をなしたる積りなりと云ふ)。小官同耕地附近「リベロン、プレート」郡数耕地に於て世評を聞くに、「ヂヤタイ」耕地の本邦人に対する処置は良しからざりし。耕主及長男等は比較して善良なれども、常に「サンパウロ」市に住し現情に通ぜず。従つて万事を支配人と商店主に一任し其云ふ処を悉く信ぜしに付、斯る事件を生ずるに至れりと云ふ。盖し真相と思はる。

 三 「ソブラド」耕地
 「ソブラド」耕地は「サンマノヱル」郡に在り。「ソロカバナ」鉄道に沿へる「ヴヰクトリア」駅にて下車し、更らに分岐せる狭軌鉄道に乗替へ、「トレゼデ、マイヨ」駅にて降り二「レグワ」即十二「キロメートル」(凡我三里)間、馬車又は乗馬にて旅行するを順路とす。

耕地の概況及移民数
 本耕地は隣耕地「アラクワミリン」と共にCompankia[ママ] agricola araqua会社に属し耕地の面積六千「アルケール」(一「アルケール」は凡そ我二町半)、珈琲樹数六十一万本、毎年平均数収穫七八万「アロバ」(一「アロバ」は十五基)あり。使用移民百二家族内日本移民第一回十一、第二回十三合計二十四家族あり。客歳七月には第一回十七、第二回二十家族ありしが、日本人某の誘惑により「リオデジヤネイロ」に逃亡せし者と亜爾然丁国に転航せし者ありしに由り、斯く減少したり。

 本耕地新任支配人は逃亡せし本邦人を口を極めて罵倒し、分配せし受持珈琲樹を遺棄したれば、中途他の移民を雇入れ受持たしめたる等の不利益を蒙りたり。日本人は其等の点より信用する能はずと云へり。然れども現今残留する移民、殊に第一回移民の労働には頗る満足し居れり。同人は労働者を機械視し殆んど人類を以て同情を寄することなく、耕地の条件に従ふものは止まるべく、然らざる者は満期後勝手に去るべしと宣言し居れり。

移民の苦情
 移民中種々の苦情を唱ふる者あるも、多くは些事なり。左の四件は利害の関する所大なれば之を取上げ、支配人に交渉したり。

 第一、毎月十四、五日間は受持樹数少なき為め、用事なく無聊に苦しむに付、其間、日雇役に就かしめられたし。

 第二、一家族六千五百本の受持樹数は少きに過ぐるに付、来る十一月以後は力量に応じて増加せられたし。

 第三、来る年度(明治四十五年)の契約は七月に締結する慣例なるが、日本人には出奔の恐ありとて珈琲樹受持を許さざる風聞あり。若し事実なれば一同他の耕地又は都会に転ずるの準備をなさざるべからず(準備とは仮令ば豚、羊、鶏、畑作等を十一月までに処分せざるべからず。継続するとせば買増又は増殖等の企画を立てざるべからざる等を云ふ。)。

 第四、本耕地にては些細の事に罰金を科するの風あり。将来は濫りに罸金等に処せざること。

支配人の答弁  耕主は警察権を有す
 支配人は第一提案を承諾して、以来は成るべく日本人にも日雇役を命ずることとすべし。

 第二案も承諾し、各人の力量は既に分明し居れば、来年度契約を継続せば夫々受負珈琲樹数を増加すべし。第三案、即ち来年度日本人に契約を許さず云々は誤聞ならん。但し新来日本人は逃走の弊あるに付、本耕地は第三回移民を雇はざる決心をなしたり。盖し移民は此事を誤り伝聞せしならん。現住移民にして勤続を希望せば、本耕地は喜んで契約を更新せん。第四の罸金云々は本耕地秩序を保つ上に於て不得止して為す事なり、決して濫用せずと。小官曰く、契約書に明記せる事柄に違反したる罸金は移民に於て快よく承服するも、然らずして罸することは如何、一例として移民の云ひし事に由り云はんに、過日隣地日本移民の一夜来泊したるに対し宿主に十「ミル」の罸金を科したるは如何、用談ありて来話し深夜となり一泊せしめたるも職務を怠らざれば罸するに及ぶ間敷かと思はると。支配人答へて曰く、耕地間には移民を誘惑し奪ひ去ること多し、故に他耕地のものは一切移民の小舎に宿泊することを得ざらしむ、日本人は斯る事を知らずして為せしものと思ひ、斟酌して僅かに十「ミル」のみを科したり、西班牙人には同様の件に対し過日二十五「ミル」の罸金を命じたりと。又日本移民が自宅にて金銭を賭せずして花札《トランプ》を弄せしに四人中三人に各五「ミル」を課したるは如何。支配人曰く、移民は毎日十時間必ず受持珈琲園に於て働くべく期待せらる、然るに其園の用事を了りたりとて日中自宅に帰り遊戯するは違法の行為たり、罸金は弄花にあらず、労働時間中耕地を離れたるに対してなり、要するに各耕地支配人は習慣上州政府より警察権を附与せられ居るが故に、之を施行するに外ならずと。警察附与の事は支配人と談話するも要領を得ざりしに付き、州政府当局者に尋問すべしと思ひ、深く論難せざりき。

 次に日本移民の人夫長は伯国人にして乗算を知らず、一々実地に臨み珈琲樹を算へ始めて本数を知る如き愚人にして、喜怒度なく移民の迷惑少なからずと訴ふるものあり。依て小官は支配人に来年度人夫長を交迭せしむる意思なきや、日本人は前年度の人夫長を大に好めりと問ふ。支配人色を起して曰く、移民にして現人夫長に満足せざれば何時にても耕地を去るに若かず、耕地は勤続を希はざるなりと。小官曰く、其は移民の希望にあらず、単に拙者が貴殿に斯る意思なきやを問ひしのみと。蓋し人夫長は耕地の重なる株主又は支配人自身の親戚ならん。

移民の情態  移民有福  移民中殖民地に入らんことを希ふものあり
 耕地支配人の移民を遇すること如斯なれ共、翻て我移民の情態を見るに不思議にも本耕地には左の特色あり。第一、珈琲の受持樹数は伊国人、西班牙人に比すれば少けれ共、一家族三人にて平均六千五百本は他の耕地に比して多く、且賃銀も千本に付百「ミル」にして大概の耕地より十「ミル」多く、珈琲実摘採賃は一袋一「ミル」なり。第二、貸付の畑は珈琲一千本の受負に対し土地五分の一「アルケール」の割合、即五千本を受負ふ者は一「アルケール」の畑(二町五反)を受け豆、米、玉蜀黍等を自作して各自の所得となすことを得。之を他の耕地に比するに本耕地は貸地面積は頗る広く、所得利益亦大なり。第三、大概の耕地に於ける日雇賃金は一日二「ミル」なるに本耕地は一日二「ミル」半を払ふ。第四、本耕地附近には二、三市場ありて物を自由に売り且買ふことを得るに付き物価低廉なり。加之に耕地に於ても利益を見ずして移民に需要品を売り、若其収穫物を買はんことを希ふ者あれば、「サンパウロ」市相塲より運賃を減じたる価格にて買上ぐる制を立て居れり。故に移民の経済は頗る有福、移民も亦た勤勉なる者多く、第一回移民の一家族三人にて客歳末千五、六百「ミル」即ち我千円以上を剰じたる者多々あり。本耕地の第一回移民中其貯蓄を以て政府の殖民地に入り十「アルケール」の土地払下を受け、永住の策を講ぜんと欲する者二、三家族あり。小官大に同情を表し「サンパウロ」市に出で移民収容所に到り殖民地の所在を尋ね、政府より無は賃乗車券を得て実地に就き土地の良否、交通の便否、水利の有無、衛生上の良否を調査し、然る後払下を受くべしと手続其他を詳示し、他の移民も亦斯く有りたしとて大に其企画を賞揚したり。実に斯る移民は最も望ましき者にて最初渡航の趣旨に叶へるものと云ふべし。

 本耕地移民中亜爾然丁に転航したる者あり。其勧誘書状に依り二、三家族を除き全部亜国行旅行券の交付を願出でたり。因て公使館は転航の不可を諭し、且旅券を交付するを得ざる旨を通達したるも彼等は之を了解すること能はず。若亜国に行くを得ざれば「サンパウロ」市又は「リオ」市に赴かんことを希ひ、有利なる養豚鶏及借用畑の耕作等を怠り、耕地退転の準備と都会生活及収益の空想に日も亦た足らざる有様なりと聞きしかば、小官等は本耕地に来り更らに亜国行の不可を細説し、料理店其他都会の労働は一見自由且逸楽にして利益多きが如くなるも、結局は不利益に了はる実例を示し、然るべき耕地に於て一、二年間辛抱し貯蓄をなしたる上、殖民地に入り地主となり永年の計画を立つれば、数年ならずして相応の資産を起すことを得べし、是れ彼等伯国渡航の理想的目的ならずやと懇諭したり。移民の多くは耕地に止まり、来る七月来年度の契約を結ぶべき旨を述べしも、或者は「サンパウロ」市又は「リオ」市に出でんとする決心を翻がへさざるものの如し。

  四 「グワタパラ」耕地

耕地の概況
 「グワタパラ」耕地は「リベロン、プレト」郡「グワタパラ」駅より九「キロメートル」の所に在り。「サンパウロ」市より「パウリスタ」線鉄道に乗り同駅に至り、更に耕地の荷物用列車にて其本部に達することを得。本耕地はDa. Albertina Prado e Filho即「アルベルチナ、プラド」未亡人と二男子の共同経営に係り、支配人Jose Sartoris全権委任を受け之が総括をなせり。

 本耕地の面積は六千七百「アルケーレス」(一万六千七百五十町歩)あり。珈琲園凡そ千「アルケーレス」あり。珈琲樹数百八十二万九千本一ヶ年の収穫十五万乃至二十五万「アロバ」(一「アロバ」十五「キロ」)、即ち六十「キロ」入三万七千五百俵乃至六万二千五百俵あり。千九百十年の収穫は十八万「アロバ」即ち四万五千俵なりし。元と本耕地附属の「ブレジヨー、グランデー」区、此珈琲樹数二十五万本は客歳の初め「プラード」未亡人より其男子二人に譲与し、別個経済となせり。本耕地に常住する小作移民は二百五十家族千二百人、日雇移民百家族五百人弱、内本邦移民は五十七家族二百八人にして伊太利移民百五十家族、西班牙移民四十家族黒人三家族なり。

移民の状態
 本邦移民の受持珈琲は三人家族にて五千本即珈琲園一枚とす。一園とは二「アルケール」半の面積を有し、葡語「タリヨーン」と称し、一方に五十本、他方に百一本を植へ、樹々の間約一間半あり、一枚の畑に五千五十本を植へ、之を三人家族に受負はしむ。畑一枚の樹数は「サンパウロ」州全体を通じて同一なりとす。而して本耕地は受持賃は一ヶ年千本に付、百「ミル」なり。又三人家族に貸与する畑の面積は三反とし、我移民等重に玉蜀黍、豆を耕し一部に菜園を設け大根、爪[ママ]類、玉菜、葱等を作り、又住居の近傍に豚及鶏舎を造り之が飼養をなす。

移民の収入
 日本移民三人家族の収入支出を聞くに、珈琲受持にて五百「ミル」、摘実に四百「ミル」(二人前)、日雇給(一人前)一日二「ミル」半、合計千三百「ミル」内三人一ヶ年生活費(一ヶ月四十乃至四十五「ミル」牛乳を含む)五百四十「ミル」、医師診察料(一人一ヶ月半「ミル」三人一「ミル」半)十八「ミル」、小計五百五十八「ミル」を減却せば、残七百四十二「ミル」となり。之に耕作物、家畜等の売却益金を加ふれば優に一ヶ年千「ミル」を剰し得べし。以上の計算は最少限を掲げたるものにして第一回移民中昨年度千四、五百「ミル」を貯へたるものあり。

 第二回移民は最も不利益なるとき到着せしが、七月中旬より十二月三十一日近六ヶ月未満に多きは一家族四百余「ミル」、少きは五、六十「ミル」を剰し、五十余家族中只八家族は疾病出産其他にて少額の負債を生ぜしものありし。蓋し本年の農期末には皆済して猶が余りあるべし。

日用品物価
 本耕地附近の物価は近時公平となり。本年三月上旬の相場は左の如し。

  

  一白米 一袋  六十「キロ」入 二十一「ミル」
  一米国麦粉 一袋  四十五「キロ」入 十三「ミル」
  一隠玄豆 一俵  六十「キロ」 二十「ミル」
  一牛肉  一「キロ」 三百五十「レイス」(二十二銭一英斤十一袋)
  一牛乳  一瓶四合 百五十「レイス」(九銭七五、一合二銭四三)
  一石油 一箱二鑵「デポース」 十五「ミル」
  一砂糖 (普通)六十「キロ」入一袋 十八「ミル」
  一純白砂糖   二十六「ミル」
  一干鱈 一「キロ」 一「ミル」
 

一「マンデオカ」(葛を取りたる後の糖の如きもの)

  五十「キロ」八「ミル」六百
  一盥 一俵  六十「キロ」 八「ミル」
  一瓜哇芋 一「キロ」 五百「レイス」
  一焼酎 八十「リートル」 十八「ミル」

移民一人一ヶ月の費用は十四、五「ミル」乃至十七、八「ミル」を普通とす。

商店専横の弊を除く
 本耕地には外国語学校出身の平野運平氏あり。元と通訳として来りしが支配人の信用を得て漸次登用せられ、今や副支配人《アジユダンテ》の一人となり、日本人のみならず伊、西国人等をも指揮す。最初日本人等の此耕地に到着せしとき、移民は金銭の代用たる耕地より発する手形を以て耕地附属の商店より物品を購買する慣習なりしが、其価格の高きこと驚くべきものあり。移民は該手形を以て「グワタパラ」其他の市場に至り購品せんとすれば諸商店は之を受取らず、且市場への距離大なれば勢ひ耕地の商店より買はざるべからず。平野氏は該商店が不当の利益を収むるを快とせず、支配人に協議して数十年来因襲せる万障を排し、移民に現金に交付することに改め、平野氏自ら移民を代表し、「グワタパラ」其他の市場に到り、多額の需要品を購入し、耕地の荷物用列車に載積し、耕地に持帰り、移民へ分配せしに、其価耕地商店の半に相当したり。爾来耕地商店は大恐慌を来し種々奸策を旋らせしが失敗に終り、目下価格を大に引下げ、只管移民の好顧を希ふも、本邦移民は殆んど顧みず、伊国移民等を相手に漸く生存する有様なり。而して今や日本人中食料品及雑貨の商店を設けんとする気運に向へり。当国の多くの耕地に於ては金銭に代用する小切手を発行し、移民に交付するを通常とし、該手形の流通区域は極めて狭少なるに付、耕地に於ける商店は之を利用し、物品を貴売し、移民は手形の他に通用せざるを以て、恨を呑で法外に高価なる物品を買ふべく余儀なくせらるるも、此々皆然らざるはなし。本耕地に於て多年の慣習を打破し情実を顧みず現金を移民に交付し、到所勝手に購品せしめしは頗る英断と云ふべく、独り本邦移民のみならず伊、西其他の移民も均しく此慶に頼るなり。

日本人監督あるため移民大なる特典及便益を享く
 本耕地には平野副支配人の外か二名の日本人々夫長あり。日本移民は非常なる便宜を得つつあり。今二、三の例を挙れば高燥清潔なる宿舎を得。宿舎より半里以内の珈琲園(耕地の面積広ければ、遠き園は一、二里あり、往復二時間を要す)を受持ち、宿舎に近き肥沃なる面積広き畑を借用し、一家族中男子一人は大概日雇役に出で日給を受け、受持珈琲園の仕事(一ヶ年五回草取及大掃除を行ふを一役となす)さへ終らば、勝手に借入の畑を耕作し又は自用を弁ずることを得。疾病のときは他の本邦移民をして其受持園の仕事をなさしむ(因曰く、通常斯る場合には受持主は日雇賃を仕払ふものなり)。月々一人五百「レイス」(三十四五銭)を耕地に仕払ふときは、幾回にても無料診察を受くることを得。毎月計算をなし希望により現金を交付し、又は必要の場合には相当金額の前借を許可す以上は、本耕地独特の恩典を列挙したるものにして、畢竟支配人の公平能く日本移民を信用し、副支配人及人夫長に多くの事務を委任するが故に外かならず。随つて日本移民も好感情を抱き勤勉労働し双方の間互に相満足し諸事円滑に進行しつつあり、現に仝支配人は第三回移民百家族を引受けたしと希望し居れり。

本邦移民の不摂生
 本耕地の一部に小川及泥濘地あり。客歳十一月より本年一、二月の間降雨少く水量減少したる為め蚊属発生し、日本移民中休日漁猟に出づるもの多く、随て蚊に螫《ささ》れ、麻刺利亜熱に罹るもの輩出し、遂に三月下旬迄に二百余の日本移民中壮幼二十人(幼児数人を含む)死亡したり。支配人等は種々予防法を講じ仝病の撲滅を計り、低地の米作を差止め、今や新患者を出さず。斯ることは二十年前耕地開発以来未曽有のことなりと云ふ。支配人は日本移民にして仝病に罹るを恐るるものは自由に他の耕地に退転することを得る旨宣言したれども、未だ本耕地を去りしものなし。本邦移民は頗る不摂生にして、医師の禁ずるにも拘はらず、病人にして未熟の果物瓜類を食し、或は熱の未だ去らざる間に冷水浴をなし、疾病を重からしむる等の事多し。又肉類を食せずして穀類野菜類を多食し、却て「ピンガ」と称する甘蔗より製する強き焼酎を飲み、体力を弱むるもの多しと云ふ。小官は移民の或者を説諭せし外、副支配人及人夫長をして漏れなく各移民に対し摂生に注意すべきことを懇々伝達せしめたり。移民中満期後「サンパウロ」市、亜爾然丁等に赴かんとするもの多きに付、亜国行旅券は交付し難く且都会の生活は結局の利益にあらず。本耕地の如きは稀に見る良耕地なれば一、二年辛抱し相当の貯蓄をなし、然る上殖民地に入り地主たるべしと説諭せり。

珈琲の栽培及精製法
 「グワタパラ」耕地に於ける珈琲栽培法を開きたるに付、参考の為め茲に記載す
先づ「パウダリヨ」と称する木の繁茂する赭《あか》色、寧ろ爛紅とも称すべき地質を撰み、其深林を伐採し、材木は之を他に運搬し小き樹木は火を放ちて焼棄するものにして、樹木の大小多寡に由り一様ならざれども、概ね一「アルケール」(二「エクタール」半)に付、百五十「ミル」を要し、而して之に珈琲の種子を蒔付く、或耕地にては開拓費百五十「ミル」を払ひ、更らに移民に珈琲の播種栽培を受負はしめ四年の後地主に引渡し、一樹に付、四百乃至五百「レイス」即ち凡我二十七、八銭より三十四、五銭を交付す。右四年間は移民無料にて其間に耕作することを得るものあり。既に繁茂せる珈琲園中の枯樹は苗圃にて生育する八、九ヶ月の幼苗を移植す(雨の多き二、三月を撰み)るも新園は実植となすを普通とす。珈琲樹は四年より収穫を始め八、九年を満稔とし千本に付、百五十乃至二百「アロバ」(一「アロバ」は十五「キロ」)即ち一本二「キロ」四分の一より三「キロ」の精製珈琲を生ず。然れども五、六年より二十年までの樹は平均産額を一「キロ」半と算するを一般とす。珈琲樹の二十年以上に達するものは産果減ずるに付、幹を伐り更らに新芽を出さしむ。斯くするときは二、三年にして再び多額の産出をなす。

 珈琲実は五、六月頃大部分黒色となるたるを度とし、枝に結実するものを手にて扱き落し、丁寧なる耕地にては布を敷き、然らざるものは予て地均をなせる所に落下せしめ、箒にて掃き集め疎き篩に入れ、土砂及枯葉等を除き、布袋に入る。珈琲樹の高き所は一間半より二間あるに付、段楷子を用ゐ採実し、楷子に上るものは男子にして、婦女は地上に立て達し得べきものを摘み、小供は低き枝より摘採す。斯くして摘採したる珈琲は各自の番号又は姓名を書記する麻袋に入れ広き道に出し置けば、人夫長来りて各家長の口坐を設くる手帳に記入し、記入済のものは荷馬車来りて之を精製場に送るべき、軽便鉄道又は運河の傍に運び、或は其馬車が直接乾燥場に送致す。珈琲の枝は平滑ならざれば掌の軟かき者は速かに扱くこと能はず。従て一日の摘採高僅少なり。故に斯る仕事は農業に経験あるものにあらざれば出来ざるものとす。日本人は指の先き器用なれば第一回の移民は既に大に熟錬し、以、西其他の移民よりも多額の摘実をなし、一家族夫婦と小供三人にて一日八袋を摘む(即八「ミル」の貸金)ことは敢て難事にあらずと云ふ。尤も凶作の時は屡々樹々に移る必要あれば摘実の量従て減少するは勿論なり。

 軽便鉄道、馬車又は運河にて送られたる珈琲は、洗浄の後、皮剥器械にて果肉を去り、煉瓦を敷詰め又は「セメント」にて固めたる「コールタール」或は「アスフアルタム」を流し作れる広場テレイロに散布し、充分乾燥の上(五日乃至七日を要することあり、乾燥中は断へず攬拌するものとす)、更らに薄皮を去る為め清磨器械に掛け、然る後一種の唐箕に移し円形のもの、大、小、軽重に由り分類し、更らに種類を記載せる袋に入れ、倉庫に移す。或る大耕地に於ては皮剥をなさずして直ちに乾燥し、然る後乾きたる果肉と内部の薄き皮を仝時に剥去るの方法を用ゆ。然れども此方法は果肉及薄皮の小部分残留する為め、一見形状良しからず、市場に於て価格安し。因曰く、樹上又は落ちて既に乾固せるものは皮剥器械に掛けず、十日計乾燥の上、清磨器械に掛く。
皮剥、清磨器械及大小を撰別する唐箕は英国製のもの多く、又「サンパウロ」市に於て製作するものあり。原動力は重に薪を用ゆる蒸気機関を使用し、小耕地にては七、八馬力の易搬汽機ポーテブルエンジン(軽便)を用ゆ。

   五 附屬「シユミツド」耕地

耕地一般の情況
 「フランシスコ、シユミツド」耕地と称するものは三十四耕地の総名にして、「フランシスコ、シユミツド」氏の所有に属し、耕地の総面積一万五千「アルケールス」(一「アルケール」は二「ヱクタール」半)、凡そ我三万七千五百町歩、珈琲樹数八百余万本、一ヶ年の産額七、八十万「アロバ」(一「アロバ」は十五万基瓦)、牧牛三千頭、甘蔗畑三百十二「アルケーレス」、一ヶ年の産出砂糖三万袋(一袋六十「キロ」)、使用人は平時九千余人、珈琲摘採の時は臨時に二、三千人を増雇す。其使用労働者は重に伊太利人にして、小数の西班牙人、伯国人、黒人を雑へ、日本人は未だ一人も使用せず。

 以上三十四の耕地は「シユミツド」氏一人の所有にして、各耕地には養子又は親戚を配置し支配人となし、各々経済を異にし互に利益を競はしめ、持主は君主独裁的に細大の事務を一々裁断し、其命令の厳粛なる、秩序の整然たる事務の敏捷活?なること他に類例を見ず。耕地内の道路広濶にして修繕の行届ける、移民宿舎の清潔衛生に適せる真に独逸流なり。

 珈琲耕地の多くは鉄道会社の独占的運賃に苦しめらるるを常とすれ共、本耕地内には「モジアナ」線と「パウリスタ」線の二鉄道、あと尚ほ「モジアナ」線は不日耕地内に支線を延長する筈なり。耕地主は斯る優勢の地を占め、二鉄道を競争せしめ、低廉なる運賃にて珈琲及砂糖を「サンパウロ」又は「サントス」港に輸送せしめ便利と利益を併有す。

耕地の設備
 「シユミツド」耕地の本部は今や「リベロンプレト」市を距る西北三「キロ」の小丘上に在る「モンテ、アレグレ」に置き各広大なる居宅を構へ、耕地総事務所鉄工塲、鋸材塲、器具機械其他材料倉庫、珈琲乾燥塲、珈琲精製塲、精米塲、及発電所あり耕地内縦横に軽便鉄道を架し運搬を便ならしむ。

耕主の成功は着実と忍耐とに在りて幸運之を助けたるなり
  「シユミツド」氏は独逸人にして四十年前移民として来伯し、三、四年の後、多少の貯蓄を得て「リベロンプレイト」郡「ポンタル」村に地味肥沃なると他に類例なき土地を相し小区画を購ひ、珈琲及甘蔗の栽培を創め、独逸流ママ実秩序的頭脳と勤勉忍耐とを以て事に当り、恰かも当時珈琲の価格高かりしかば、大に氏の発展を助長したり。爾来氏は強固なる基礎の下に事業を拡張し、革命及珈琲大下落の際、耕地主中倒産せし者輩出したれば、氏は機を逸せず其等の耕地を廉価に買取し、漸次其数を加へ、今日の大を致したるものにて、其由て来る処は独逸流着実と忍耐に基因し、幸運と先見の明之を助けたりと云ふべし。世人、氏を称して珈琲王と云ふ。以て珈琲界に氏の勢力の大なるを見るべし。

耕地は一領独立国の観あり
 本耕地は南北四、五里、東西二、三里あり。隠然一独立国の観を呈し、各般の事項一に耕主の欲する処に決し警察力も司法権も殆んど之に及ばさるものの如く、一大墻壁内の邸宅にて事を執るよりも、尚ほ一層の自由を有し、現に警察権の大部分は耕主に委任せられつつあり。恰かも治外法権を有すると同様なり。

 当国多くの耕地持主は、相当の資産を得れば「サンパウロ」又は「リオデジヤネイロ」市等に住し、屡々欧洲に遊び事務は支配人に委任し、時々耕地を見回るに過ぎず。其二世三世に至りては其耕地に来りしことなき輩少なからずと云ふ。然るに「シユミツド」氏は常に耕地に住居し、都会の地に出づること稀れにして、本国へは機械購入等本人の出張を必要とする場合の外かは赴かずと云ふ。精励他の人々に優越するを見るに足るべし。

第二章 都会に於ける移民の状態

 第一 「サンパウロ」市在留民

移民の総数
 「サンパウロ」市に在留する本邦移民は本年三月二十日現在二百十六人(小児を除く)、内、大工「ペンキ」、「ブリキ」、鍛冶、其他職工男女八十人、家庭労働男女九十六人(男六十六人、女三十人)、日本人合宿所に止まり或は一家を持て小供の世話をなしつつ、裁縫其他を内職とする女子四十人あり。

労働者の需用   移民の都会集中
 「サンパウロ」市は当国第二の都会にして此一、二年珈琲価格の騰貴により一層繁栄を来し、各地方より入込むもの甚だ多く、客歳中新築家屋六千軒の多きに達し、各種の職工及家庭の労働者欠乏を来し賃銀大に上りたれば、本邦移民中大工其他多少の腕前あるもの、職工たらんとする者、耕地の労働に堪へざるもの、耕地の労働を厭ひ家庭に入らんとするもの、耕地にて虐待を受けし者等一昨年来珈琲耕地を逃亡し或は契約の破棄又は満期に因り「サンパウロ」市に来り、数人又は十数人申合せ合宿所を借入れ、労働先を探索せしに工場及家庭の需要頗る多く、高給を得て夫々就職し、日本職工の勤勉一の世評となり、随て来らば随つて雇はるる有様となり、耕地に在る通信又は風説に由り其情況を伝聞し、小才智あるものにして耕地に於て意の如くならざることあれば、種々の方法を講じ、耕地を出で都会に来るもの踵を接せしが、今や耕地には純農者のみ残留し都会に来るもの大に減少したり。

 本邦人は概して手指器用、純農者も十数日の練習に因りて、大工、「ブリキ」職、紡績職工、「ペンキ」職工となり、植木職、工塲人足等は最も得意とする所なり。

生活情態
 市内日本人合宿所は三軒あり。各百乃至百五十「ミル」の家賃を払ひ、二、三十人合宿し食事は共同なるあり、一家族毎に自炊するあり、一様ならず。生活費は耕地より高価なれ共、「リオ」、「ペトロポリス」等に比較すれば遙に低廉なり。大人一人一ヶ月凡そ十七、八「ミル」此外一人の負担する家賃六「ミル」合計一人前二十三、四「ミル」を必要とす。

 市内在留者は概して勤勉、住々飲酒するものあれ共、放蕩無頼者無く、殊に二百余人の在者中一の醜業者を出さざるは最も慶すべきこととなす。

日本人の給料表
 左に本邦人の現に得しつつある給料表を掲ぐ。

  職業  人員 給料 食事乃至
  大工 四十二人 日給自三「ミル」半至六「ミル」 自弁
  「ペンキ」職 五人 同  三「ミル」至五「ミル」八百
  「ブリキ」職 十一人 同  二「ミル」半至三「ミル」半
  「ビスケツト」工場 十三人 同上
  果物鑵詰工場 九人 同  二「ミル」半至三「ミル」
  紡績工場 女 八人 同  二「ミル」半至二「ミル」半 自弁
  鉄工場 四人 同  四「ミル」半至六「ミル」
  硝子工場 二人 同  三「ミル」半
  自動車扱夫 二人 月給 百「ミル」五十「ミル」 雇主持
  傭僕 二十四人 同  四十「ミル」乃至八十「ミル」
  下女 十九人

同  中小供二十「ミル」至十五「ミル」
二十五「ミル」至六、七十「ミル」

  料理人 一人 同  百「ミル」
  園丁 一人 同  五十「ミル」

家庭労働者の貯金は概して職工に及ばず   純農者たりしものは田園生活に帰るを最終の目的とするもの多し
 大工、鍛冶、ペンキ、職工中一家族にして昨年中千乃至千五百「ミル」を本邦に送金せし者少ならかず。然るに家庭労働男子は職工より概して高給を受くる割合なれ共、其衣服其他に多額の費用を要し、却て少額の貯蓄をなしたる者多し。下女は僮僕大工其他職人に妻にして小児無き者なり、本市下女の需用極めて多く、被服等も雇主の負担とす。純農業者にして目下都会に於て工塲其他に労働する者は多額の給料を得れ共、今や却て田園の生活を興味あるものとなし、当分本市にて労働、貯蓄し本邦に於ける負債を消却したる後は、最初伯国渡ママの時、目的とせし永住の覚悟を以て政府又は個人より土地を買入れ自ら耕主となり耕作せんと欲するもの少ながらず。

 第二 「サントス」港在留民
附「サントス」港築港、桟橋、珈琲輸出其の他の情況

日本移民の情態
 「サントス」港に於ける本邦人男百三十四人、女三十八人合計百七十二人。重に琉球人にして男子は波止塲に於て担荷(重に珈琲)労働に従事し、女子にして小供なきものは下女に雇はれ、小供ある者三、四人は珈琲を容るる麻袋の裁縫を内職となし、其他は家内にて炊事裁縫をなす。沖仕人足の賃金は一日十時間の労働にて五「ミル」、夜業は四時間に付、二「ミル」五百「レイス」、六時間は五「ミル」なり、珈琲請負運搬は機構の入口より歩板にて船に上り船艙内に運搬するものにして、常に四十人を一組となし之に従事し、一袋六十「レイス」を得、之を総人口に分配す。仲仕労働は高給を得れ共、頗る過激にして日本人中強壮且熱帯の気候に堪ゆる沖縄県人にあらざれば殆んど不可能なりと云ふ。

 仲仕労働は珈琲輸出期即七月より翌年一、二月まて忙しく、身体強健なる者は一ヶ月百五十「ミル」を得ることは容易なれ共、二、三月より六、七月までは閑散にして収入大に減少するが故に、之を一年に通算すれば一ヶ月の収入は百二、三十「ミル」位なるべしと云ふ。

 下女の給料は「サンパウロ」と大差なく、衣食共雇主負担にて一ヶ月二十五「ミル」乃至六十「ミル」を得つつあり。

移民の検査所
 「サントス」港は「サンパウロ」州の門戸にして輸出入貿易は云うを俟たず。同州に来る移民も亦本港より出入す。本港には移民検査所インスペクトリヤ、デ、イミグランテなるものあり。船舶入港すれば吏員直ちに出張し、移住者の有無、伝染病者の有無等を取調べ且移民に各種の報告書を与へ又説明をなす。而して内地に入らんとする移民には一々鉄道切符を無代価交付し、若二百人以上あるときは特別車輌を付するか又は別に列車を仕立、昼夜に不拘(「サントス」、「サンパウロ」間は通常夜間列車を発せず)「サンパウロ」市移民収容所に送致し「サントス」港にて労働せんとする者は其周旋をなす。

 過去六年間「サンパウロ」州移民の出入は左の如し。

 「サンパウロ」州移植民の出入[注 原文は漢数字]

  入国の部 出国の部
年次 欧州より  「ラ、プラタ」
河沿岸より
伯国他州
より
合  計 欧州へ 「ラ、プラタ」
河沿岸へ
伯国他州
合  計

1905年

42,760 2,092 2,965 47,817 21,605 10.836 2,378 34,819
1906年 41,525 3,596 3,308 49,429 22,199 16,248 2,902 41,349
1907年 21,639 5,885 4,157 31,681 23,553 9.040 3,676 36,269
1908年 26,208 7,904 6,113 40.225 17,731 8,663 4,356 30,750
1909年 28,188 4,762 6,723 39,674 19.216 10,784 4,502 34,512
1910年 26,653 4,442 2,196 33,291 17,758 8,813 3,207 29,778

右の内欧洲及「ラプラタ」河沿岸地方より来着し、又同地方へ赴く移民は重に「サントス」港を経由す。

「サントス」港桟橋及倉庫
 「サントス」港は川口にあり。元と泥沼地なりしが、一方を浚渫して深き川となし、市に近き河岸は埋立をなし、巨石にて築ける桟橋を造り、其延長三基米突あり。其上に二条或る所は四条の鉄道あり。各倉庫及停車場に通す桟橋の傍に広大なる倉庫十八棟目下建築中のもの四棟あり。一棟に優に珈琲三十五万袋を容るに足ると云ふ。最新建築の倉庫数棟には倉庫より桟橋まで大円筒を通し、圧搾空気にて珈琲を送致し、人力を省く仕掛けなり。目下建築中のものにも亦た此装置あり。桟橋より船艙内には電気荷揚卸機を使用し、珈琲を積込む設計なり。故に完成の上は本邦人等の仲仕業に影響すること大なるべし。

 「サントス」港の桟橋、倉庫、埋立浚渫等は仏国資本より成る「サントス」桟橋会社コンパニヤ、ドカス、デ、サントス(資本金四百万ポンド、社債四百万磅、合計八百万磅)の独占事業にして鉄工塲、電気変圧所、二基米突の軽便鉄道(埋立土石運搬用)、既述桟橋及倉庫等を有し規模甚だ大。「サントス」港事は一に本会社の左右する所と云ふも不可なし。電力は、「ギンレイ」氏の水力発電所より送付するものにして一万五千馬力を使用しつつあり、桟橋、倉庫、鉄工場は不及云、埋立工事用石材伐出場に於ける圧搾空気の穿孔機ドリル其他に応用す。

珈琲の輸出及混和の方法
 「サントス」港は珈琲輸出港なれば、「サンパウロ」州各地より同港に集り来るもの一ヶ年一千万袋に達し、各輸出業者は大なる倉庫を携へ、珈琲の清浄(塵埃を去る)、珈琲の大小良否の撰択及各種珈琲を混和し、所謂「グード、アベレージ」(並等品)を出来し、袋入等を取扱ふが故に各社種々の機械を備付け、殆んと再製に近かき事をなす。

 珈琲は一般十号に区別され五、六、七号品を上、中、並等(「スペリオール」、「ボン」、「オルデナリオ」)と称し、一号は「モカ」と称する丸きもの、二、三、四号は特別品なり。「グード、アベレージ」は二号と十号を混じ、或は三と九、四と八又は紐育にて定むる標準(「スタンダード」)に応じて二号以下十号までを混和するものなり。混和の方法は欲する所の各種の珈琲を大なる箱に混入し、一旦曳揚機エレベータにて高所に引上げ、更らに落下して撰択器中に入れ、大小を区別し袋入となすものなり。

珈琲の重要輸出業者
 「サントス」港珈琲輸出業者の重なるものは左の如し。
   Theodor willet Co.       Nossack & Co.
   Michaelsen wright & Co.   Leon Israel & Barros.
   Prado Chaves & Co.      George Rosenhein.
   Hasa Raudo & Co.       Levy Alvaro & Co.
   Naumann Gepp & Co.     E. Johnston & Co. L’d.
   Baldwin & Co.          Barbosa & Co.
   Societé Financiere et Commerciale Franco Brasilienne.
   Roxo & Co.            Arbuche & Co.
   Krische & Co.          Holwolthy Ellis & Co.
   Zerrener Bulord & Co.

珈琲価格維持策、珈琲輸出州税
 珈琲は当館より屡々報告せし如く、近年生産過多を来し価格大に下落したれば、世界の八割を供給する伯国殊に伯国の生産高の六割即ち世界の需要高の半額を産出する「サンパウロ」州政府は大に之を憂ひ、中央政府の保証を得て公債千五百万磅、即一億五千万円を募集し多額の珈琲を買収し、「サントス」港、仏国「アーブル」、紐育、白国「アントワープ」等の倉庫に貯蔵し、各国の需要供給を見計ひ売出す方策を実施しつつあり。之を珈琲価格維持策(「バロリゼーシヨン」)と称す。又別に欧米に官公吏私人を派出して有ゆる手段を講じて珈琲販路拡張策(「プロパガンダ」)を進捗しつつあり。費用極めて大なれば同州政府は珈琲一袋に対し仏貨五法の輸出税を課し是等の費用に充つ、過去二年間珈琲不作の為め産出高減少し、本年の収穫予想高亦多からざる為め、近日価格騰貴し州政府は現今多額の利益を得つつあり。然れども斯る好況永続し、人為的価格維持策が結局の成効を収むべきやは大に講究すへき問題なりと思惟せらる。

「サントス」港衛生
 「サントス」港は、十数年前は黄熱「マラリヤ」其他の熱帯伝染病常に流行し極めて不健康地なりしが、最近七、八年間悪水を疎通し上水、下水を設け、河渠を浚渫し、各家に悪水の停滞せしむるを許さず、常に吏員を巡回取締らしめ、且前記築港工事を起したる等にて五、六年間絶へて黄熱病患者を出さず、頗ぶる健康地となれり。悪水疎通工事の如何に大規模なりしかを示さんが為め写真を附属す。 

 

 

第三章 官設植民地

 

 一、「カンポス、サレス」官設殖民地

植民地の区画
 本殖民地は今より十三年前即ち千八百九十七年の創立にして、「サンパウロ」州政府は私有地千四百「アルケーレス」を買上げ、道路を開き狭軌鉄道を「カンピナス」より延長したり。

 右地積中「コスモポリス」市区を除き他の土地を二百四十五万区即ち一区六「アルケーレス」(一「アルケーレス」は二「ヱクターレス」半、二万四千平方米突)に分ちて、内八区は農事試験所其他の為め政府に保有し、其他は各国移民に払下げたり。

人口
 今昨四十三年末の殖民地人口を左に記載せん。
   独逸人    百八十九人     丁抹人  十四人
   伊太利人  百八十七人    露国人    七人
   瑞西人     四十三人    波蘭土人  十人
   澳国人     八十六人    葡萄牙人  七人
   西班牙人    三十四人     仏国人   四人
   瑞典人     二十二人     其他     二人
   計        六百五人
之に伯国人にして植民地附近に住する者七百三十八人を加ふれば千三百四十三人となる。現今の植民地には二百三十三家族によりて二百三十九区を占有し居れり。

植民の定着当時の特典
 各植民地には一地区六「アルケーレス」を地味其他により千乃至千五百「ミル」にて払下を受け、七、八十「ミル」の小家掛け料又は家屋及納屋建築費半額の貸与を得、農具、牛馬、若くは騾の購入代金を借入れ、各々五年賦にて返納する定めなり。又農産物種子、苗木類は今に至るまて無代償交付を受つつあり。植民中無資力者は到着後一週中半分は政府より日雇人足に雇はれ、一日二「ミル」半を受け、道路を開き、或は監督官の周旋にて珈琲摘実其他の用務に従ひ他の半分の時日を払下を受けし土地の開拓に費やし、中には第一期の収穫まで一人一日食料として六百「レイス」の補助を受け、小屋掛け及び土地の開作に従事したるものあり。

各国人の就業種類
 本殖民地は地味気候等牧畜と玉蜀黍、豆、米、甘蔗、葡萄等の耕作に適せり。独逸人は重に牛豚の牧畜をなし、「ハタ」を製し且人畜の食料として米、玉蜀黍、豆、ママ、甘蔗を耕やし、伊国人は専ら米、黍、豆の耕作をなす。

 独逸人は到る所団結力強く、本植民地内購売買組合あり。各植民所産の「バタ」、豚、鶏、卵、野菜、穀物等を「サンパウロ」市又は「カンピナス」市等にて売捌き、植民の需要する木棉、油、砂糖、塩其他日常品を大都会より仕入れ、会員に売捌き、且同団体の事業として精米所あり。且一の独逸語小学校を開き其子弟を教育す。

伊国人は各自行動す
 伊国人其他の植民中には、斯る団結なく各自其思ふ所に従て行動し、子弟の教育を怠り、中には葡語を以て教ゆる一個の官立小学校に通学せしむるものあり。

殖民の状態
 小官「カンピナス」市を距る一基米突の所に在る農事試験所に至り、各種作物、種苗所、昆虫学の実験、各農産物標本等を参観し、更に同所長以下、米、独、伯技師数名の案内にて本植民地を巡回したり。今独逸植民に就き親しく聞き得たる情態を左に記載せん。

第一例
 「フレドリヒ、ニームス」(Fredrich nimes)は十二年前本殖民地に入り、一区六「アルケール」の地を申受け、地代千「ミル」、家屋代価五百「ミル」、合計千五百「ミル」を五ヶ年賦にて返納したり。最初入地のときは政府より食料費一日六百「レイス」宛を受け、政府より貸与の小屋に住し、先づ手初めに小舎掛をなし、且二、三の雇入黒人と共に樹木の伐採をなし、鉄道の便あるを以て大なるものは材木とし小なるものは薪となし、「カンピナス」市に販き開拓費以上の収入を得(一「アルケール」開費[ママ]拓費八十乃至百二十「ミル」)。

 初年数町歩の地を開き、玉蜀黍及豆類を耕作し、三ヶ年目より牛及豚をも飼養し、且耕地を増加し、今や二区(一区は退転移民より購入)十二「アルケール」即ち三十町歩の地主となり、借金なく牛十二頭、馬及騾各一頭、豚二十頭、鶏、家鴨、鵞鳥百余羽、蜜蜂数十箱を飼養し、所有耕地の内、牧場を除き其他は概ね玉蜀黍、豆、米、動物飼料、甘蔗を耕作し、邸内に種々の果樹野菜を植付け、目下接客室、書斎、寝室等を有する家屋を新築しつつあり。煉瓦積と家根葺の為め職工数人を雇ひし外は一切主人自ら建前をなすと云ふ。而して落成の上は先きに政府より借金して建てし家屋は附属屋となすと云ふ。又邸内に穀物を入るる倉庫あり、「バタ」製造用小舎あり、豚及穀類の小屋、牛舎等あり(巻首所載の写真参照)、頗る有福僅々十二年間の経営とは思はれざる程なり、同家には子女七人あり五、六歳以下のもの三人を除き、其他は昼間独逸学校に通学し、余暇養鶏等の用務に従ひ各々其業を楽みつつあり。

 搾乳は家妻及長女の任務にして、「バタ」製造は主人、農業の余暇になすものにして、購買組合を経て、売捌き目下一「キロ」二「ミル」半を得ると云ふ。

 本植民は自作の物を食し、只購買するものは、砂糖、塩、鱈、鑵詰物、衣服、茶其他輸入食料品位なり。肉は重に飼養の豚にして時々屠殺し、塩漬及「ハム」となし、貯蓄使用す。大人一ヶ月の生活費用は二、三十「ミル」の間なりと云ふ。

第二例
 「ジユリオ、バウマン」(Julio Baumann)は独逸人にして、十一年前本殖民地に入り、夫婦と長じたる男子二人下女一人と同棲三区十八「アルケール」の地を占め、大なる家屋一棟、納屋二戸、馬六頭、牛二十頭、豚三、四十頭、鶏五、六百羽、馬車二輌、荷車二台を有し、前者に優る有福者なり。同人の住する家屋は頗る大且清潔、寝室六、食堂、書斎、接客室各々一あり。多少の材木を購ひたる外は、所有地内の木材を用ゐ、数人の職工を雇ひしのみにて重に主人並に男子雇人等の建築したるものなり(巻首所掲の写真参看)。同人の不動産及家畜の価格は外見上三万円計のものあり。之の貯蓄金を加ふれば、盖し数万となり、十一、二年前の殖民の資産としては可驚大なるものと云ふべし。「バウマン」一家の産出する「バタ」卵、豚、鶏、穀物等は前述の購買組合の手を経て売捌くと云ふ。同人の供給を他に仰ぐ物品の塩、砂糖、干塩魚、衣服、瓦、金物等の類にして、米、玉蜀黍、鶏及卵、豚肉、野菜の類は自作品を用ゐ一切購入することなし。

 独逸人各家には必ず独逸皇帝、皇后、「ビスマーク」公、「モルトケ」伯の写真を掲げ、同国人間極めて親密なる交際をなす。或人曰く、写真は国を出づるとき帝室より貰受くるものならんと。盖し同国人は帝室を尊崇するが故に各人期せずして同様の事をなすならん。

独逸人の成功の主因
 独逸人は概して勤勉忍耐着実にして到所成功するが如し。右二家族も夫婦、子女一致して産業を励み伊国人、露国人等の中途帰国し、或は他に退転する者の地所を廉買して、益々事業を拡張し資産を増加し一本の果樹、一羽の鳥も自分のものと思へば注意して栽培且飼養し、其労を惜むことなく、各々趣味と快楽を以て其業を勤む故に、彼等の成功するは不足怪なり。

 独逸人は珈琲、甘蔗其他の耕地に移民として入込み労働することなく、伯国に来る者は必ず多少の資金を携へ殖民地に入るか、然らざるものは商業を営み、何れの途独立の業務に従事するを常とす。是れ伊、西其他の移民と異なる所となす。

 二、新「オデツサ」殖民地

創立
 新「オデツサ」殖民地は、私有地千〇三十一「アルケール」を買上げ、一九〇四年即ち六年前露国人の為めに開きしものなり。新「オデツサ」村は「カンピナス」市を距る北部三十一基米突の地にあり。「パウリスタ」鉄道に沿ひ運輸の便あり。

区画
 本殖民地には九十七区あり。一区を十「アルケール」(凡そ二「エクタール」半を一「アルケール」とす)とす。既に八十六区を払下ぐ。本殖民地を五、六区に分ち、第一を新「オデツサ」、第二を「ピネイロ」、第三を「パライゾ」、第四を「フアンゼンダ、ヴエラ」、第五を「エウゼニオ、ヴエラ」と称し、本部を「パライゾ」に置く。第一、第二、第四、第五は既に満員となり、第三のみ只僅かに五、六区を余すのみ。

 本殖民地は元と露国人の為めに開きしものなれ共、同国人の来住遅々たれば、他の国人の来住することを許可したり。目下の居住者は左の如し。
  露 国 人   四百三十四人   西 班 牙 人  十三人
  伊 太 利 人    百十四人   独 逸 人       六人(一家族)
  伯 国 人      四十七人   仏   人       五人( 〃 )
  澳 国 人      二十一人   其   他     十五人
  合  計     六百五十五人
  内八十九人は市街地に住す伯国人と伊太利人なり。

 本殖民地に於ては米、玉蜀黍、豆、棉花、「ジヤガ」芋、水瓜及牧畜を専らとす。伊太利人は米と玉蜀黍耕作を専らとし、露国人は牧牛を主とす。

 殖民地内「ノバ、オデツサ」村に州立「バタ」製造所あり。米国製最新式「シムブレツキス」製乳機械、検乳器、製氷機、及十馬力機関を備へ、殖民の搾取する牛乳を買入れ製乳し、「サンパウロ」市其他に送付販売せしむ。同所長の説明する処に由れば、露国人は怠惰にして農業を勤めず払下げを受けし土地を其儘牧場となし、終日無為に暮らし製乳をなすもの少く、偶々製乳するものあるも販売の方法を知らず。州政府は不得止二万余「ミル」を費やし製乳所を建設し、殖民より牛乳を購入することとせり。然るに露国人は牛乳に水、麦粉其他を混入し、幾何程説諭するも悪策を廃せざれば、厳重に検乳器にて検査し、又は分折[ママ]し、一立突リートルの牛乳にして五歩の「バタ」を含むものを百「レイス」(即六銭六七厘)に買上げ、其以下のものは比例により逓減する規則なり。代価一々通帖に記入し、一週一回現金を交付す。而て露国人は二、三千「ミル」の貯積を得れば、耕地を売却し、南方「リオグランデ、ドスール」、亜国又は其他に退転するもの多く、頗ぶる忍耐力に乏しき殖民なり云々。

家畜飼育場
 本村には内外国種牛、馬、羊、野羊の試育場あり。家畜の試育をなす傍ら、殖民の求めに応じ乳牛、肉牛、其他の買入を周旋し、一家族に対し九頭までは家畜代価を五ヶ年賦にて返納することを許す。伯国産「カラクー」種の価格は牝牡共百「ミル」内外なり。出乳の分量は一日漸く六、七立突(一「リートル」は五合五勺)に過ぎざれ共、気候に堪へ飼育上安全なりと云ふ。

植民の特典
 本殖民地に入るものは一家族三、四人に対し土地十「アルケール」、価格地味により七百乃至千五百「ミル」を十ヶ年賦にて払下げ、七、八十「ミル」の価ある小舎を無代価交付し、家屋建築費及鍬、鋤、耕作用馬又は騾、乳牛、垣根用鉄線(十「アルケール」の土地を圍ふには二百四、五十「ミル」を要す)等の価は五ヶ年賦にて返納せしめ、殖民が煉瓦にて家屋を造らんことを希望せば煉瓦を一千個三十「ミル」に払下げ、各殖民にして資力乏しき者には第一期収穫まで毎日大人一人に付、六百「レイス」(四十余銭)を交付するか、道路其他政府の工事又は殖民自身の小屋掛に使用し、一日二「ミル」半(一円六十余銭)を給与したり(給料を支出し、本人を使用し、木材を交付すれば、無代償にて小屋を給与すると同じ)。

 資金ある殖民は黒人其他を雇い材木伐採を急ぎ開拓すれ共、然らざるものは一週中二、三日政府の日雇に出で得る所の給料にて、食料に充て三、四日の余暇を以て伐木及開拓をなせり。斯る場合には耕作をなすまで少からざる時日を要す。殖民にして資金千乃至二千「ミル」を携ふる者は入地早々開拓に着手し、二、三ヶ月の後には牧草の播種及鋤耕を開始することを得べし。本殖民地監督官「カムポス」氏の案内にて殖民地の大部分を巡視し、且殖民を訪ひ、親しく其住居と労働の情態を見たり。此地方陸米、玉蜀黍、木棉及瓜類の耕作、牧牛に適し、一「ヱクタール」(凡我一町)の土地より籾米一袋六十「キロ」入七、八十袋玉蜀黍、五、六十袋を収穫し、牧草の繁茂良好牛の発育大に善し。然れども珈琲は地味と気候の関係上「リベロン、プレト」等に及ばすと云ふ。

植民の情態 第一例
 本殖移民地中最も成功せる伊国人(Aniello Picconi)の住居を訪ひしに家族九人(長じたる男三人あり)あり。政府より三区即三十「アルケール」七十五町歩の払下を受け、煉瓦造大家屋一(巻首所揚[ママ]写真参観)七室を有し不潔なれ共、二千余「ミルレイス」を費やしたりと云ふ。納屋三棟、大荷馬車三台、軽便馬車一輌、牛六頭、騾六頭、豚二十、鶏五、六十羽を所有し重に米、玉蜀黍、甘蔗(牛豚の飼料)豆等を耕作し、牛乳及「バタ」は自家用に供するを専らとす。同人は移民として十数年前来伯、珈琲耕地に労働し、相当の貯蓄を得て三年前本殖民地に入りしと云ふ。其内耕地を売るものあれば土地を増買し、事業を拡張せん企画なりと聞く。

第二例露人
 露国人の所有地数ヶ所を見たり。多くは手入不充分なる牧場にして其傍らに飼料に供する甘蔗を耕作せり。孰れの点より見るも伊太利人の農業に劣ること数等なりとす。

 監督官の官宅は「パライゾ」に在り。其傍に苗圃、農具の倉庫等あり。種苗は殖民の希望に依り無代交附し、農具は年賦又は即金払下ぐるものなり。

 監督官曰く、植民地を開くには土地の測量道路の開鑿、市街地の上水、農事試験場、官舎、倉庫、車馬、殖民小屋掛料、其他にて少なからざる費用を要するに付、政府は凡そ移民一家族に対し二千「ミル」許を予算すと云ふ。又月々の俸給其他も少額ならずと聞く。

 

 三、官設植民地の経済情態

 目下植民地(未だ独立して町村とならざるものは)七個所あり。其経済情態を表示すれば左の如し(植民の占有する小区数と耕作物の見積は一九〇九年末、但し「ガビオンヘイシヨツト」、「パウリセア」及欧羅巴は一九〇八年末のもの、其他は一九〇八年末に終る統計に拠る)。

  「ガンポスサレス」 「ノバオデツサ」 「ジヨルデ、
チビリサ」
「カピオン
ペイシヨート」
「ノバパウリセア」 「ノバ欧羅巴」 「パリケラアツスウ」
小区数(既に占有) 237 86 154 70 9 194 580
一九〇九年未交付植民区 1 5 8 180 3 68 93
  ミル ミル          
土地価額(植民所有) 317,160

98,758

112,438 30,000 9,000 138,000 82,930
耕作物の見積額 148,215  129,450  150,000  5,150  600  49,620  205,800
土地改良価格 176,732  60,800  17,590  2,950  370  21,930  122,536
家畜価格  137,735  67,943  28,995  1,309  336  23,895  58,900
農具価額  11,827  3,320  875  −  −  −  51,600
車輌価額  20,925  3,000  1,800  1,000  −  600 300 
動物より生産する物品の価格  45,010  45,500  11,120  −  −  43,968  69,980
既に収穫せる農産物  5,350  9,700  2,682  −  −  4,584  18,344
合  計  862,954  418,471  325,500  40,409  10,306  282,597  610,440
植民の政府より負債消却高一九〇九年末 139,118 71,351  151,416  66,500  −  231,419  17,788

 植民地にして既に政府への納金を終り独立町村に編入せられたるもの左の如し。

植民地名 土地の面積 植民国名 沿  道 設立年次
 「カナネア」  未詳  伯、伊  「イグワペ」河港   一八六二年
  アルケール      
 「サンタアナ」  五〇  葡、伊   「サンパウロ」市附近  一八七七年
 「サンカエタノ」  三九九  伊太利人     同    同
 「グローリア」  未詳  伊、独、波、伯     同    同
 「サンベルナルド」  三、八〇七   同上  「サンパウロ」鉄道    同
 「カンナス」  四八四  伊、葡、伯  中央鉄道  一八八五年
 「カスカリヨ」  二八六   同上  「パウリスタ」鉄道    同
 「リベロンピレス」  二八〇  伊、伯  「サンパウロ」鉄道  一八八七年
 「ナントニオプラク」  五八九  伊太利人  「モジアナ」鉄道    同
 「ロドリゴ、シルヴア」  五五五  伊、白、伯  「ソロカバナ」鉄道    同
 「バライ、デ、ジユンジアイ」  二一一  伊太利人  「サンパウロ」鉄道    同
 「サパリナ」  二、二三九  伊、西、伯  中央鉄道  一八八九年
 「キリム」  四六八  伊太利人   同  一八九〇年
 「ビアグイ」  四〇九  伊、澳、伯   同  一八九二年

第四章 私設殖民地

  「トラピスタ」宗派米作地の情態

米作地の一般情況
 「システルシエンセ」(Cisterciense)一名「トラピスタ」(Trappista)派(羅馬旧教の一派にして労働を以て現世に処するを主管とす。)米作殖民地は「サンパウロ」州「クウバテ」郡「トレメンベ」村「ビリザル」部にあり。「パライバ」河と称する大河の沿岸にして「タウバテ」町に十一「キロ」、「トレメンベ」町に三「キロ」あり。鉄道停車場は右両町に在り。運輸交通の便極めて良し。本事業は伊、仏、波、蘭其地[ママ]欧州人なる僧侶五十三人の組合事業にして、政府より五千「アルケーレス」(一万二千五百町歩)の土地を購入し(購入せしか無代価にて申受けしか詳かならず)、最寄町村の労働者を使用し水田米作をなす。其資本金は在仏国の本部に仰ぐと云ふ。

設備
 本植民地は八年前一年有半を費やし、総理「ヴヰロツト」氏の発見したるものにして、六年前事業を始め今や二百「アルケール」開拓し、水稲、玉蜀黍、豆の耕作及牧場に使用しつつあり。水田は目下小川の水を導き使用中なれ共、数月の後は当時据付中なる六百馬力の汽関にて喞筒二台を動かし(其一は一秒時五百立突、他は三百立突を吸上ぐる力あり)、肥料を含む「パライバ」河の水を吸上げ、縦横に溝渠を通じて潅漑する筈なり。
 本米作地にて凡て新式の耕作法を採用し、耕鋤其他に牛、馬、騾を使用し、播種器、耕鋤機、草取器、収穫機、脱?器、乾燥機、精米器、引上機エレベイター機関ボイラー、貯穀大円筒ピン庫等は米国製を用ひ、発電機は瑞西国製、吸水大喞筒は仏国製を使用す。是等諸機械の価額は少なく見積るも二、三十万円を要せしならん。小官を案内し説明せし僧侶は其等詳細を知らずと云へり。

 現に耕作しつつある水田は凡そ百余町歩にして、昨年の収穫は籾米一万二千袋(六十基入)にして、資金を得るに従ひ漸次拡張をなす企画なりと云ふ。建築中の貯穀庫は優に二万袋を容るべき容積あり。貯穀は新陳代謝し且収穫の時期三、四ヶ月に渉れば現今の耕地の二、三倍大となすも充分に余裕あるべし。

 此地方九月より十一月に播種し二月乃至五月に収穫するを常とす。然るに収穫期は恰かも雨期にして穀物を腐敗せしむること多く、依て主任者は特に乾燥機を備付け収穫するや否や脱?機に掛け、其籾米を乾燥機に移し、然る後、引揚機にて貯穀庫に運入する設計なり。

 僧侶の云ふ処に由れば、本耕地は「サンパウロ」州政府より牛馬の購入に関し周旋を受け、種子苗木の分配を得、中央政府より機械の無税輸入を許さるる外か何等官辺の補助を受けずと云ふ。

稲の耕作
 此地方水田は苗代を設けず、騾二頭曳播種機にて撒種す。種子は一「アルケール」に付、百二十立突を要し、収穫は一袋六十基入二百乃至二百五十袋の籾米を得。籾米と白米の差は四と六なりと云ふ。米質甚だ佳良地の陸米に比すれば大なる相違なり(因曰、同郡「モレイラ、セザル」に於ける「サンパウロ」州米作試験所にては一「アルケール」の土地(二町半)より白米三百十九「アルケール」[ママ](一「アルケール」は四十立突、一「リートル」は我五合)即六十四石を得たりと云ふ)。

 「トラピスタ」派の僧侶五十人、組頭二人、総理一人は一日八時間(食事休息礼拝の時間を除き正味八時間なり)長靴を穿ち労働者に率先して指揮し労働すれば、雇人等の勤勉他に其比を見ず。故に其支払ふ所の給料も普通より多く、一日一「ミル」五百「レイス」乃至三「ミル」なり。

健康地
 本耕地は海面より六百米突の高地にて「パライバ」河に沿へる低地殊に水田を耕作する土地なれ共、頗ぶる健康に適し外国人なる五十三人の僧侶中疾患に罹りしことなしと。蓋し排水を良くし腐水を長時停滞せしめざるに基くなるべし。

隣接 ピンダモンニヤガバ」 植民予定地
 此地は嘗て第一回日本移民の為め特設せんとして、中途一般植民の入り得べき植民地と変更せし。「ピンダモンニヤガバ」植民地に接近し、共に「パライバ」河の水掛り地にして地味、土壌、気候、高度等相均し。小官等、同予定植民地を巡視する筈にて、州政府農工商務長官の紹介状を携へ関係技師を「タウバテ」市の官宅に訪問したるに、折悪敷「リオ」市に出張不在中にて五、六日帰宅せずと云ふ。然るに他に同人に代り案内すべき人無かりしに由り、「ピンダモンニヤガバ」植民地に至らざりし。同予定地は未た測量を終らず、又道路の開墾等にも着手せずと云ふ。

第五章 結論

  一 移民ノ定住

 伯国に渡航する移民最終の目的は、官設植民地又は私設殖民地に入り土地を買受け定住することならざるべからず。三、四年労働の後多少の貯蓄を携へて帰国するは、決して策の得たるものにあらざるなり。

定位費用の予算
 移民にして良耕地に入り二、三年忍耐すれば、一家族三人にて二、三千「ミル」の貯金を得ることは難事にあらず。其例各所に在り其貯金を資本として「サンパウロ」州政府に出願し其撰定する殖民地に入り、十「アルケール」即二十五「ヱクタール」(一「ヱクタール」は凡我一町歩)の土地を申受くることを得べく、其地価は地味に由り差等あり。略ぼ千乃至千五百「ミル」にして五年或は十年の年賦を以て納付するものなれば、初年には百乃至二百「ミル」の払込を要し、仮家屋の建築に百乃至三百「ミル」(是又出頭すれば五ヶ年賦にて借入することを得)、土地三、四「アルケール」開拓のため補助として雇入る黒人給料凡そ二百「ミル」若雇人をなさずして、自ら伐木開拓等に従事するときは、此費用を省くべく、第一年生活費六百「ミル」(一家族三人一ヶ月の費用五十「ミル」)又は家族の内一人或は二人一週二、三日づつ政府の土木工事又は近傍珈琲園の労働をなせば生活費の大部分を儲け得べし。鋤、鍬、其他の農具百「ミル」、騾又は馬一頭の代価三、四百「ミル」は政府の殖民地に入れば、五年賦にて返納し得べきも、私有地の塲合には一時に仕払はざるを得ず。然れども玉蜀黍、豆等には馬耕を要せざれば、必ずしも馬、騾の購入を要せず。而して豚子五、六頭、鶏数羽の購入費を百「ミル」と予算すれば第一年最大限の諸費用は千八百「ミル」最少限七、八百「ミル」(馬を購入せざるものとし)にして、移民が二、三千「ミル」を有するときは不足なし。二年目よりは収穫物、豚及鶏より生ずるものにして生活費、土地の年賦金等を支弁し其余裕を以て残余の土地六、七「アルケール」の一部分を拓き、且乳牛、牝牡牛数頭(一頭凡百「ミル」政府の牧場より)を購入し得べし。尚ほ殖民に関する詳細は、前第三章并に明治四十年通商彙簒第四十一号当館報告伯国「サンパウロ」州移民及殖民法等を参照あらんことを望む。

殖民成功の秘訣は忍耐に在りて其例独伊国人間に存す
 各官設殖民地に於ける独、露、伊国人等の情況を親しく視察するに、最初小額の貯蓄を携て就地し、其多くは半ば日雇に出でたる者にして、五六年の後には一区即二十五町歩の大部分を開拓し耕作及牧場となし、牛数頭、馬又は騾一、二頭、馬耕用鋤犂、軽便馬車、収穫物を容るる納屋、馬豚及鶏舎、果樹、菜園等を所有し十年の後には客室、食堂其他を具ふる煉瓦造住宅を新築し、牛馬鶏豚の数を増加し家計裕かにして不動産(土地家屋)の外か相当の貯蓄を有するに至る。要するに成効の秘訣は一に忍耐勤勉に在り。本邦人にして此要素を欠かざれば殖民することは決して難事にあらず。

日本人は日本人の為め特設する殖民地に入るを得策なりとす  独逸人は到る処、団結して本国同様の生活をなす
 当国に於ては日本人は欧米人仝様の待遇を享くべき筈なれば、官設殖民地に入り得べけれ。其現在の殖民地中「ノバオデツサ」、「ガビオンペイシヨツト」、「パウリセーア」、「ノバエウローバ」、「カンポスサレス」等には未払下地区至て少く、今二、三十家族の就地希望者あれば各殖民地の空所を充たすべく、「モジニリーン」、「ピンタモンニヤガバ」両殖民地は目下測量中にて開拓まで尚多日を要すべし。殊に日本人が各国人と雑居すれば子女の教育、購売買組合、相互の協力、共同娯楽、交際往来等の不便不利鮮少ならざれば、政府の特に日本人の為め設定する殖民地、一国人又は私立会社の設立する特別の殖民地に入るを以て得策となす。或者曰く、各国人と雑居すれば奨励となりて日本人も大に産業を勉むべしと。小官は之に仝意する能はざるなり。独逸人は「サンパウロ」州及「パラナ」、「リオグランデドスール」其他諸州に団結定住し、学校、新聞、談話に独逸語を用ひ、各種の共有物を所有し、購売買組合、倶楽部等の団結を組織し、仝国人間互に協力し着々利益を増進し、本国に於けると殆んど変りなき生活をなし居、常甚だ愉快得意乎たり。伊太利人及西班牙人は伯国に在留する者各々百万人及五十万人以上なれ共、一部落を形成するもの少く、共仝団結して事をなす慣習無く、個々別々なり。故に其勢力や四十余万の独逸人に及ばざる遠しとす。独逸人は小資本を携へ最初より殖民として来伯し、先づ農業に成効し、然る後商工業に移り成効する順序にて、今や珈琲其他の耕作、毛及木綿紡績其他製造業者、輸出入商間有力なるものは独逸人なりとす。

日本資本家の殖民地設定計画
 目下日本人にして資金を携へ伯国に来り広き土地を購ひ、本邦人を移殖せんと企つるものあり。確実なる此類の計画は好ましき事にて、続々起らんことを希望す。又之と仝時に現に移民として伯国に在る者及将来移民として渡伯する者を二、三年就役の後官私特設殖民地に入れしむることも必要なりと思惟す。