皇国殖民会社の第一回移民報告書

1908年(明治41)12月に皇国殖民会社業務担当社員 水野龍が駐ブラジル公使に提出した第1回移民に関する報告書。水野の自筆ではない。第1回移民の不成績の原因を偽装家族と農民以外の者が多かったことに帰する議論に対し、反論がなされている。
なお、皇国殖民会社が資金難に陥った原因としては、(1)契約締結までの探検費が5万円かかったこと、(2)外務省が追加の保証金5万円(結果的には3万円納付)を課したこと、(3)東洋汽船との契約で900人の募集義務を負い、募集できなかった111人分の運賃も支払わなければならなかったこと、(4)出発が遅れたための滞船料、(5)サンパウロ政府補助分の渡航費は同社が立替払いしていたが、耕地から逃げた移民の分についてはサンパウロ州政府から補助を受けられなかったこと((3)〜(5)の東洋汽船への債務はあわせて3万円余)、が挙げられる。

画像『皇国殖民会社の第一回移民報告書』