東京シンヂケートとサンパウロ州政府との間で土地無償譲与の契約成立

藤田克己は、盛岡高等農林学校卒、1910年(明治43)1月農業経営の目的でアルゼンチンに渡航、同年7月伯剌西爾に転航、東京シンジケートの青柳郁太郎のイグアペ植民地予定地調査に従事、1914年(大正3年)3月伯剌西爾拓殖会社技師、1924年(大正13)8月までレジストロ植民地を指導、1930年(昭和5)6月サントスに転居、サントス日本人会長。橋田正男は、岩手県技師から伯剌西爾拓殖会社技師となった。この書簡の写は、橋田自身が作成したものと思われる。

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